基調講演

文と理を結ぶ情報教育、基礎情報学からのアプローチ

~人間と機械の理想的なコラボレーションで、「人間のための情報社会」を構築するために

東京経済大学コミュニケーション学部教授・東京大学名誉教授 西垣通先生

1.曲がり角に来た情報教育~時代に即した教え方ができていない現状


西垣通先生
西垣通先生

しばらく前から情報教育は曲がり角に来ているのではないか、と考えています。私は、コンピュータと付き合い始めて40年になります。昔は、コンピュータを作る人はもちろん、使う人もある程度の専門家でした。それなりに勉強して知識のある人が扱うもの、という時代がけっこう長かったのです。今はすっかり変わってしまいました。万人がユーザーであり、ふつうの人が作ったアプリケーションが評判になったりして、今やもうユーザーとサプライヤーの境目もあいまいになっています。

 

ですから、情報教育もそれに応じて変わらなければならないはずなのに、どうも必ずしもそうなっていない。これを教えればいい、ということが決まらない一方で、ITの技術そのものはどんどん進んでいってしまっていて、情報教育の体系がそのスピードについていっていない、という状態だと思うのです。それが、いろいろな意味で亀裂や問題を生んでいるのではないかという気がしてなりません。今までの教育の仕方が悪かったわけではない、ただこれからは時代に即した新しい教え方を考えなければならないのではないか、ということを考えるのです。

 

私自身は、ちょっと変わった経歴を持っていまして、会社に勤めていた14年間はコンピュータの研究者で、完全に理系でしたが、体を壊したため退職し、80年代半ばに大学に移りました。移った先が文系の学部で、文系の学生に初期のパソコンでBASICのプログラムを教えたりしていました。そこで、自分の研究として、人間や社会とITとの関係を考えるようになりました。80年代の終わりくらいからパソコンが日本社会の中に広がり始め、90年代の後半からはネットをみんなが使えるようになり、社会全体がITと密接なつながりを持つようになってきて、時代がそういった研究を求めていたのですね。1996年に東大の社会科学研究所に移り、本格的にITと社会、ITと人間の関係について研究するようになりました。2000年代に入って、大学院に情報学環という文理融合の情報学を研究する組織を作ろうという、東大としては思い切ったプロジェクトが始まり、そこに最初から参加しました。そこで文理融合の情報学を作らなければならない、ということになり、生まれてきたのが基礎情報学です。

 

しかし、文理融合の情報学というのは、口で言うのは簡単ですが実際に作るとなるとなかなか難しい。例えば、情報に関する概念はいろいろありますが、これがどうもはっきりしない。「情報洪水」などと言われますが、実際にデジタル記号としての「0」と「1」がいっぱい溢れていることは確実ですが、意味内容としては、もしかしたら非常に貧困な状態に置かれているかもしれません。アイドルの情報はやたらとよく知っていても、日本に原爆を落とした国は知らない、というように。そういう状況をきちんと踏まえて情報教育をしなければならない。機械的な操作の技術だけを教えるだけではダメだと思います。

 

そもそも「情報」「メディア」「コミュニケーション」という、3つの基本的な概念やそれぞれの関係性について、きちんと説明できる人が、はたしてどれだけいるでしょうか。こういうことが明確でないから、しっかりした情報教育もできていないのだと思います。

 

私は、この中で大事なのは「コミュニケーション」であると思います。コミュニケーションが次々に発生することによって、生命活動が活性化されていきます。「情報」は、意味作用を持ち、このコミュニケーションを支えています。一方、「メディア」とは何かというと、社会的、制度的にコミュニケーションの舞台を作るものなのです。例えば今日のこの集会という場がなければ、私はここに来て皆さんにお話しすることもないわけです。さらに、私がお話ししていることを、皆さんがいろいろに感じ取ることができるのは、皆さんの中にいろいろな知識の蓄積があるからですね。そういうことも一つのメディアです。このようにコミュニケーションを両輪のように支えるのが、情報とメディア、と説明することができます。

 

●西垣通先生プロフィール
1948年生まれ。東京経済大学教授、東京大学名誉教授

 

東京大学工学部卒業後、エンジニアとして日立製作所に入社。このときOSやネットワーク、データベースなどの性能設計や信頼性設計を研究し、客員研究員としてスタンフォード大学に留学。日立製作所に戻るが、過労で倒れたのを機に退職し、明治大学教授、東京大学社会科学研究所教授、東京大学情報学環教授を歴任。技術を基礎に持ちながら、文理両方の分野にわたる脱領域的な情報学研究を拓いている。著書に、『デジタル・ナルシス: 情報科学パイオニアたちの欲望』(1991)、『こころの情報学』(1999)、『生命と機械をつなぐ知: 基礎情報学入門』(2012)、『集合知とは何か:ネット時代の「知」のゆくえ』(2013)他多数。