基調講演

文と理を結ぶ情報教育、基礎情報学からのアプローチ

~人間と機械の理想的なコラボレーションで、「人間のための情報社会」を構築するために

東京経済大学コミュニケーション学部教授・東京大学名誉教授 西垣通先生

2.そもそも「情報」とは何か~機械と生命体の両面から見ると


西垣通先生
西垣通先生

情報をどう捉えるか。客観世界か主観世界か

 

「情報とは何か」というお話をしましょう。これはなかなか難問で、専門家に聞いてもいろいろな答えが返ってきますが、まず、文と理の代表的な定義を上げておきましょう。

 

理系の代表が、情報理論の父、通信工学者のシャノン,C.E.の「ネゲントロピー(negentropy)=負のエントロピー」です。エントロピーというのは、熱力学、統計力学の概念ですが、ネゲントロピーはその援用で、システムがどれだけ秩序立っているか、その度合いを示します。例えば、今甲子園でA高校とB高校が試合をしている。で、どちらが勝ったか知らない状態では勝った確率はどちらも1/2です。ところが、誰かが「A高校が勝った」と結果を教えてくれたら、1/2と1/2の状態から1と0になり、安定した秩序ができます。それをもたらしたのは情報、というわけです。ところが、この概念は、客観世界というものが前提となっています。甲子園でどちらが勝った、という話はある程度客観的なことと言えなくもない。しかし、野球など全く知らない人の主観世界にとっては、全く意味を持たない「情報」もあるわけです。

 

一方、文系の代表が、文化人類学者のベイトソン,G.の定義で、「差異を作る差異(A difference which makes a difference)」です。これはどういうことかというと、「(自分にとって)意味のあるものを自分で見分けていく」こと。これは、生命体はみんなそうです。例えばここにハエがいたとすると、ハエは私には興味は持たず、甘いものの方へ飛んでいきます。自分の記憶や経験に基づいて、意味のあるものをとらえる。これは主観の世界ですね。「差異を作る差異」たる情報とは、つまり、甘いものだとか、匂いとか、何らかの差異に基づいています。差異で世界を分類するときに、再帰的な、あるいは自己準拠的な働きをし、自分にとって意味のあるものが情報なのです。

 

一般的な定義はどうか、ということで広辞苑を引いてみると、2つの定義が出てきます。一つ目は、「ある事柄についての知らせ」と書いてあります。つまり、“不明なことを教えてくれるもの”ということですが、これはどちらかと言えば、シャノンの定義に近いですね。もう一つは、「判断を下したり行動を起こしたりするために必要な知識」。つまり、“主体の行動を促すもの”。これはベイトソンの定義に近い。この2つは、かなり違いますが、2つを結ぶ鍵はどこにあるのか。シャノンはもともと通信工学者ですから、機械の間の情報通信テクノロジーとして考えている。ベイトソンの方はやはり生命ということについて考えています。つまり、機械と生命体というのがここでのキーワードになります。

 


「生命体は自分で自分を作る存在」であることを踏まえて、情報をとらえる


この機械と生命体の差異、あるいは同一性について考えたのがウィナー,N.です。彼が1948年に書いた『サイバネティクス』という有名な本のサブタイトルが、「動物と機械における制御と通信」でした。これが生命体と機械をつなぐ、ということだったのです。さて、問題はここからです。

 

この古典的なサイバネティクスは、動物と機械をある意味共通のものと考えていました。刺激(入力)に対して反応(出力)するものという意味で、猫も人間も機械と同じ開放系であるとされていました。しかし、それでいいのだろうか、という疑問が起こりました。猫と人間がとらえる世界は当然違いますし、人間でも一人ひとり見ている世界が違うだろう、と。そうなると、生命体の主観世界を考えなければならない、ということで起こったのがネオ・サイバネティクスの考え方です。ここでは生命体は入力・出力がある開放系ではなく、各自のメモリーに基づいて動く閉鎖系です。これは大きなパラダイムチェンジでした。

 

こういう発想に基づいて、1970年代から80年代にかけて、生命体を、オートポイエーシス(autopoiesis)としてとらえるという考え方が出てきます。私の研究している基礎情報学という学問もこういう考えに基づいています。オートというのは「自分」、ポイエーシスというのは「つくる」という意味です。生命体というのは自分で自分を作る。だから、主観世界ができるのです。でも、コンピュータは、プログラムも含めて全部人間が外部から作り込むから客観世界の存在です。この基本的なことに皆意外に気づいていません。私たちは、ものごとを外から科学的に見るという教育を受けてきました。そうすると、人間、あるいは生命体を、入力と出力を有する機械のように見てしまう。そうすると人間もロボットも、本質的な違いはないと思われてしまうのです。しかし、生命体は自分で自分を作る主観的な存在です。


こういう違いに基づいて情報というものをとらえていかないと、情報の持つ意味内容をつかむことができず、情報社会を本当に健全な形に作り上げていくことは決してできないと思います。

 

●西垣通先生プロフィール
1948年生まれ。東京経済大学教授、東京大学名誉教授

 

東京大学工学部卒業後、エンジニアとして日立製作所に入社。このときOSやネットワーク、データベースなどの性能設計や信頼性設計を研究し、客員研究員としてスタンフォード大学に留学。日立製作所に戻るが、過労で倒れたのを機に退職し、明治大学教授、東京大学社会科学研究所教授、東京大学情報学環教授を歴任。技術を基礎に持ちながら、文理両方の分野にわたる脱領域的な情報学研究を拓いている。著書に、『デジタル・ナルシス: 情報科学パイオニアたちの欲望』(1991)、『こころの情報学』(1999)、『生命と機械をつなぐ知: 基礎情報学入門』(2012)、『集合知とは何か:ネット時代の「知」のゆくえ』(2013)他多数。