ジョーシン2013

講演「情報学」をいかに定義するか

--日本学術会議「大学の分野別質保証」情報分野の参照基準作成の議論から--

萩谷昌己先生

東京大学情報理工学系研究科教授・日本学術会議情報科学技術教育分科会委員長


萩谷昌己先生
萩谷昌己先生

本日は、日本学術会議が作成している「大学教育の質保証のための分野別参照基準」の「情報学」分野の現状と動向についてお話ししたいと思います。私は、日本学術会議の情報科学技術教育分科会の委員長をしておりまして、副委員長が筧捷彦先生(早稲田大学/情報入試研究会共同代表)です。私自身は、大学では情報理工学系研究科という理系の教育部局の所属ですが、ここでいう「情報学」は、文系も含めてものです。

 

大学の学士教育の質保証を目指す「参照基準」

まず、参照基準の作成の経緯についてお話ししましょう。


平成20年5月に、文部科学省の高等教育局長から、学術会議に審議依頼がありました。これを受けて、同年6月に学術会議の中に「大学教育の分野別質保証の在り方検討委員会」が設置され、9月から東京理科大学の北原和夫先生が委員長になって、審議が始まりました。


ここでいう分野別の質保証とは、基本的には大学の学士専門課程の教育に対するものです。情報分野で言えば、情報科学科や情報工学科、社会情報学科のようなところですね。

 

分野別質保証と参照基準の成立まで

平成21年3月には、「質保証枠組み」「教養教育・共通教育」「大学と社会の接続」の3つの分科会が設置されました。このうち、「教養教育・共通教育」とは、大学の教養教育や高校教育も含めて下とのつながりを考えるもので、「大学と社会の接続」とは、卒業後の職業とのつながりを考えるものです。
 

学術会議では、平成22年7月に「回答 大学の分野別質保証の在り方について」を決定し、8月に提出しました。回答は、分科会に対応して3部に分かれています。この中で最も重要なのは第1部「どういう枠組みで質保証を行うのか」になります。学士教育の教育課程編成上の参照基準を策定することを通じて、各大学の自主的な教育改善を支援しよう、ということになったのです。

 

この回答提出後、学術会議では各分野で自主的に自分たちの参照基準を作ろう、という動きが始まりました。さらに、この動きに対して、文部科学省の高等教育局長からは、「参照基準の作成に頑張ってください」という文書が届きました。いわばお墨付きをもらったわけです。

 

この参照基準は、学習指導要領のように「この通りやらなければならない」というものではなく、各大学が自分達の特質や資源、リソースを考慮して独自のカリキュラムを作る際の参考に使ってほしい、というものです。その上で、各大学は初等中等教育との接続や、専門的職業人・市民社会への接続をいかに実現していくかを考えていくわけです。そして、我々にとっては、高校の情報教育との接続をいかに行うかというのがたいへん重要なところです。

 

この分野別の参照基準を作るというのは、最初は本当にたいへんだったと思います。それでも、現在は経営学や文学のような、正直なところとても無理ではないかと思われる分野でも作っています。さらに、数理科学や機械工学、生物学など主要な分野はほとんど出てきています。そうなると、参考基準というものが社会的に認知され、大学もこれを無視するわけにはいかない、ということになると思います。現在までに公開された参照基準は、webサイトで見ることができます。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-16.html

 

参照基準の構成要素~目指すところは高校の情報教育にもつながる

参照基準の作成にあたっては、まず、当該分野の定義と、固有の特性を述べることになっています。次に、これに基づいて、学生が身に付けるべき基本的な素養を定義します。そこでは、当該分野の学びを通じて学生に身に付けさせるべき分野固有の能力を定義しつつ、そのことが社会人として、市民としてどのような意義を持つのか(=ジェネリックスキル)、これらのことを学生に身に付けさせるために、どのような学習の工夫が重要であり、またその成果をどのように評価するか、を示します。そして、専門教育および、専門外の学生に対する教養教育において身に付けるその分野の素養が、良き市民の育成にどのように寄与するかについても述べることになっています。

 

このことは、情報分野について言うならば、大学の一般情報教育だけでなく高校の情報教育とも共通する部分が大きいと思います。

 

「『情報』を定義する」ということの難しさ

さて、情報学の参照基準の策定に関しては、平成25年2月に第1回の分科会を開催し、つい先日10月12日にたたき台(箇条書き)に関する議論を行ったところです。メンバーには、東京大学名誉教授で、今は東京経済大学にいらっしゃる西垣通先生と、早稲田大学で社会情報学がご専門の伊藤守先生に入っていただきました。私と筧先生をはじめとして他のメンバーは理系ですが、このメンバーで情報とは何か、いかなる学問かを幅広く考えていこうとしています。

 

まず、情報学をどのように定義するか、ということですが、とりあえず一般的な定義をしてみよう、というのが左図です。非常に幅広くとらえており、この内容を全て網羅しているような学科は現実には存在しません。これは、現状ではなく各分野の理想を考えることから定義を出していこう、という方針で、学術会議でもこのやり方を推奨しています。

 

そして、情報学の対象となる「情報」とは何かを簡潔に定義すること。これは、非常に難しいことです。定義すべきかどうかという議論まであります。例えば、数理科学の参照基準では、数学というものの定義はなされていません。数学は定義するまでもない当たり前のものということでしょうか。他の分野、例えば経営学は、「継続的事業体に関する科学」というように、じつにきれいに定義がなされているものもあります。

 

まだ議論の途中でセンシティブなところがありますが、西垣先生の意見としては、「人類の価値をつくり運用するための知」(左図の上)、私の意見は「世界に意味を与え秩序をもたらす源としての情報」(左図の下)です。表現は違いますが、結局同じことを言っています。0と1で表される「データ」は情報ではなく、情報は世界に意味をもたらし、秩序を与えるものである、という考え方です。このあたりについては、ぜひ皆さんのご意見をいただきたいと思っています。

 

情報学の定義の前に、情報学の特性というものを考えてみました。それが左図です。こちらは、網羅というよりは典型の羅列として見ていただければと思います。 

では一方で、情報学に固有の知識の体系とはどのようなものから成っているかをまとめたのが左図になります。


「情報に関する普遍的な原理」は、理系情報学の基礎的な部分である計算論とかオートマトンといった部分です。それだけでなく、世の中一般の情報のとらえ方といった部分についても、ここに加えるべきという意見もあります。


「情報を扱う機械および機構を設計し実現するための技術」は、理系の情報学の典型的な領域で、計算機科学や情報工学などがこれにあたります。「情報を扱う人間と社会に関する理解」は、情報社会学の周辺です。メディア論やコミュニケーション論などがここに入ります。さらに、「社会において情報を扱うシステムを構築し運用するための技術・制度・組織」。こここそ、もっと積極的に世の中を変えていってほしい分野です。

 

高校の教科「情報」との関連も意識しています。「情報の科学」に関係が深いのが、「情報を扱う機械および機構を設計し実現するための技術」で、「社会と情報」は後ろの二つとつながっていると言えます。もっとも、「情報を扱う人間と社会に関する理解」は、高校ではあまり扱われていないようですが。

 

本当はこれらが混じり合うべきですが、現状は専門単位のコミュニティに分かれています。ただ、別々というわけではなく、それぞれが様々な形で関わりあっています。将来的には、壁が取り払われて融合していくべきである、ということはご理解いただきたいと思います。

 

「情報学に固有の知識の体系」を詳細に見ると

ここからは、上記の「情報学に固有の知識の体系」の内容をさらに細かく説明するものになります。


「情報に関する普遍的な原理」の中の「情報一般の原理」では、情報のとらえ方・分類を考えます。ここをきちんと考えることで、文系と理系の「情報」がスムーズにつながります。この中で、基本になるのが「情報の種類」です。「生命情報」とは、遺伝子解析とかではなく、生命体が存続するための意味と価値を与えるための情報のことです。そして、人間が社会を作った時にその中でやりとりされる「社会情報」、さらに機械で形式的に処理される「機械情報」と続きます。この3つの分類に対応して、「情報と記号」「記号の意味解釈」「コミュニケーション」などの観点が整理されてくるのです。このあたりは、西垣先生のお考えが反映されているところです。


※参考リンク 西垣通先生ご講演「全国高等学校情報教育研究会全国大会基調講演(2013年8月9日)

 

他の「情報学に固有の知識の体系」を下記にまとめています。



そして、情報学を学ぶ学生が獲得すべき能力です。これは見ていただければわかります。


このうちジェネリックスキルの方は、情報学を学ぶことを通して身に付けられる、社会を生きるための力という意味です。ただ、このようなジェネリックスキルは他の学問分野でも当然出てくるものですので、他の分野と内容や教育方法などでどのような差別化を図るかが、今後の課題であると思います。

 

今後、「情報学に固有の知識の体系」の4分野をもとに、この箇条書きを文章化しながら各方面の学会や有識者、例えばIPA(情報処理推進機構)などにも意見をもらいつつ、定義や参照基準としてまとめていきたいと思っています。その過程で、ぜひ初中等教育の現場の先生方のお話をうかがっていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。

【質疑応答】


Q1.都立高校の教員です。「情報とは何か」「現状では(情報学の)コミュニティはバラバラだが、本当は融合したい」というお話が印象的でした。私は情報の授業で生徒に説明する時は、辞書に載っている「特定の目的に対して適切な判断・意思決定をするための資料や知識」と説明しており、これがけっこう的を射ているのではないかと思いますが。いずれにしても、「情報とは何か」という定義をしていただきたいと思います。


A1.おっしゃることはよくわかります。ただ、先に定義をしてしまうと、以降の議論がそれに引きずられてしまうので、議論をまとめていく過程で決めていくのがよいのではないかと思います。定義にあたっては、もう少し大胆に「秩序」や「価値」などという意味も含めていきたいと思っています。

 

 

Q2.私立大学の教員です。参照基準は、練り上げた上でオープンにしていく過程でじっくり時間をかけ、大学に浸透させていただきたいと思います。MOOCs(※)などで公開していただくのがよいかと思います。また、私の専門は図書館情報学ですが、図書館情報学の特質や育成される能力はどのような形で落とし込まれるのでしょうか。


※大学における高度な学習コースを数週間単位で無料受講できる大規模公開オンライン講座。Massive Open Online Coursesの略


A2.情報を取り巻く様々な応用分野は広く、例えばロボティクスや遺伝子情報、経営情報など特有の体系を持つものがたくさんあります。これらを全て参照基準の中に含めることはしません。ただ、参照基準は学術会議だけが作っているものではなく、たとえば統計学は数理科学にはいりますが、別個に参照基準を作っています。ですので、個々の学問分野で独自の参照基準を作っていくということも歓迎します。

 

 

Q3.都立高校の教員です。見せていただいたスライドでは、獲得すべき能力(ジェネリックスキル)の中に問題解決力や論理的思考力が入っています。現場の立場から考えると、今の教科「情報」の学習指導要領は、ジェネリックスキルに偏っているように思いますが、今後どのように整理されていくのでしょうか。


A3.これは、分野固有の能力とジェネリックスキルをどのように切り分けるか、というたいへん大きな問題につながります。たとえば、問題解決とモデル化、さらにそのための知識の体系というものを(分野固有の能力の)どこかに入れたかったのですが、問題解決は情報学の教育にあまねく入っているものです。その中には、情報学固有のものもあります。上に行くほど固有性がはっきりしてきますが、初中等教育ではジェネリックスキルの部分がより強調されます。そういった部分を、今後の議論で整理していきたいと思います。

 

(文責:河合塾)

 

※この記事は、ジョーシン2013秋(2013年10月26日・早稲田大学大学)の講演の内容です。