New Education Expo 2023

【基調講演】教育の情報化の現状と課題

東北大学/東京学芸大学 堀田龍也先生

私は現在2つの大学で仕事をしています。また、「委員等」の所に書いてあるように、中央教育審議会(中教審)の委員なども務めておりますが、今日の講演をお聞きいただく皆さんには、特に赤い字で書いてある2つにご注目いただきたいと思います。

 

1つは「デジタル学習基盤特別委員会」で、これは今年5月に中教審の中に作られたものです。ここは、もう少しすれば次期学習指導要領の検討が本格的に始まりますが、そこでデジタル学習基盤、つまり学びの基盤になるデジタル環境を今後どうするか、ということを検討するための特別委員会です。

 

「特別」と付いているのは、ここでの議論の結果が次の学習指導要領の前提となるので、今やらないといけない、という意味でしょう。今までは大体、文部科学省のいろいろな課の会議体で行われていたのが、中教審の中に特別委員会ができた、というのが大きなポイントです。これについては、また後でお話しします。

 

 

もう一つは「リーディングDXスクール(※1)事業推進委員会」です。これは、全国100地域で1地域当たり小学校と中学校を必ず1校ずつ以上、全209校を指定して、文科省が1地域当たり約100万円の研究助成を直接行います。これは、学校現場から見れば非常に大きなお金です。ここに手を挙げてくださった皆様のご協力によって、GIGAの標準仕様でできることの事例をできるだけたくさん集めて、それを横展開するために全国に広げていくという事業です。

※1 リーディングDXスクール

 

これは、指定校になった皆さんに頑張っていただくとともに、ここで集まった事例から「こうやってやればいいのか!」というヒントが次々に出てくるだろうということです。つまり、GIGAスクール構想が始まって端末を使ってみて、自分の授業ではどんなところに使えるか、といったことをいろいろ試していた人たちが、「子どもたちが慣れてきたから、次のステップとして、思い切って授業のやり方を変えてみよう」とか、さらにそれがいろいろなクラスや学年で行われることによって、学校のカリキュラム・マネジメントがこのように変化してきたという、いわゆる授業からのDXや校務でのDXが起こり始めた事例を集めて、全国に横展開しようというものです。今回のお話では、この2つにご注目いただけたらと思います。

 

毎年、この講演のタイトルをどうしようかと悩みます。例年この場では、最新の現状がどうなっているかという話と、なぜそうなっているのか、そして、今後どうなりそうか、あるいはなりそうもない理由はどこにあるかというお話をしています。これまで事務局と相談して毎回少しずつタイトルを変えてきたのですが、今回からもうこのままでよいでしょう、ということになりました。ですので、同じタイトルでも話の内容は毎回違うとご理解ください。

 


今日お話しする内容は、この4つです。まず今の世の中の話。次に、それに対応していかなければいけない学校教育の話。特にその中のICT活用の部分のこと。そして、何より大事な先生たちの働き方についてです。実はこれらは全て関係しています。

 

世の中が変わり、いろいろな職種や業種で働き方が変わってきているのに、先生だけが同じようなやり方をずっと続けていたら、先生になりたいという人は減ってしまうでしょう。実際、今そういった困った現象が各地で起きています。

 


この意味でスライドの1と4は当然関係しますし、ICTをどのようにうまく使うかということは、先ほども中教審の特別委員会についてお話ししたように、これからの時代の学校教育にとって非常に重要なことなので、3と2も関係しています。

 

さらに、学校教育はどのような方法で改善されていかなければならないのかということについては、これからの世の中を生き、支えていく子どもたちを私たちが育てるという意味で、1とも深く関係することになります。

 

今日のお話は、先生方の明日の授業にすぐに役に立つ話もあるかもしれませんが、できるだけすぐには役に立たないお話をしたいと思います。今の学校の環境ですぐに役に立つ話を繰り返していても、学校はなかなか変わりません。先生方ができるだけ「少し先」を見て、「今は仕方ないけれど、もう少ししたらこうしなければいけないんだ」ということを意識して、授業を改善していただくことが大事だと思います。ですから、最初に今の、次にこれからの世の中のことからお話ししたいと思います。

 

今の世の中、これからの世の中

 

こちらは、立教大学の中原淳先生のツイートです。かつて大学は、「レジャーランド」と呼ばれていた時期がありました。大学は遊ぶ場所で、入学してしまえば、あとは好き放題。授業を適当にさぼっても卒業できてしまう人がいっぱいいたということです。

 

当時の大学生が、現在の会社の社長や専務、あるいは学校でいえば校長先生のような管理職です。だから、若い人に対して、「どうせ大学でもちゃんと勉強していないだろう」という思い込みがどこかにあり、大学よりも会社に入ってからの方が大事だと考えがちですが、実は今の大学は違うよ、という話です。

 

 

 

実際、今の大学は昔とは全く変わっています。勉強しない人は卒業できませんから、本当に学生は真面目によく勉強しています。言い過ぎかもしれませんが、現場の先生より勉強していることも少なくありません。

 

そういう人たちが学校現場に入る際の採用試験が、本当に教師として必要な力量を測っているかを問い直そう、という動きが、今起こっています。いろいろなところで、「この試験は軽減しよう」「これは免除しよう」という話が上がって来ているのは、人集めだけの話ではなくて、資質・能力を測る方法の見直しの話でもあるのです。

 

さらには、教員の中途採用をもっと増やそうという動きもあります。これは民間では普通に行われていることです。新卒を採用して、同じところで40年働き続ける、という終身雇用モデルは、他の国ではほとんど見られないものでした。日本でも、そういった働き方はとっくに崩れてきているので、何年も働き続けることが前提の様々な研修は、ほぼ破綻するわけです。

 

こういったことについて、学校がどういう受け止め方をしているか、あるいは先生たちが、かつてのステレオタイプな視点で自分たちの周りを見ていないかというのが問題なのです。

 

この解決には、「アンラーン(Unlearn)」と言って、自分の知っている知識や価値観を棄却することで、思考をリセットさせることが必要です。

 

例えば、教師だったら板書がうまくなければいけないと言われますが、黒板をいつまで使うかもわからない時代に、板書が上手なことがどれだけ意味を持つかは考え直す必要があるでしょう。板書よりも、ICTに非常に強い先生が出てきたら、それはそれで多様な教師の在り方として認めていかなければならない。大事なのは、学校を動かしている管理職の人たちが、これをきちんと認識しなければならない。そういう時代になっているということです。教員になる前にいろいろ学んだり経験してきたりした人たちに、古い考えを押しつけてしまっていないかということです。それはアンラーンすべきことなのかも知れないのに、です。

 

 

日本の初等中等教育における教育の情報化の現状と課題について、ChatGPTに聞いてみた

 

今日のテーマ「日本の初等中等教育における教育の情報化の現状と課題について、400字で教えてください」と、さっそくChatGPTに聞いてみましたら、こんな回答が出てきました。

 

まず、「日本の教育の情報化は、コンピュータやインターネットの普及、プログラミング教育の必修化によって大きく進展している。その結果、子どもたちは検索やプレゼンとかプログラミングなど『情報活用能力』を高めることができる」とあります。

 

「情報活用能力」という言葉を既に知っているのですね。そして、「情報社会に対応する力を養うことが期待されています」とあります。

 

「しかしながら、課題も存在します。第一に…、第二に…、最後に…」とあります。課題が3つあるわけですね。「第一が情報機器の整備状況やネット環境の格差」だそうです。「特に地方や経済的に厳しい家庭では、必要な機器やインターネット環境が整っていない」。皆さんのところではいかがでしょうか。ありますよね。

 

「第二に、教師のスキルが足りませんよ」ということです。「すべての教師が適切なIT教育を行うためのスキルや知識を持っているわけではなく、教育研修のさらなる充実が求められています」。ごもっともです。

 

「最後にプライバシーとセキュリティの問題、個人情報について、学生の個人情報を安全に保管し、不適切なネット利用を防ぐための対策が必要で、これらの課題解決には、政府と教育機関の協力が不可欠」だそうです。 

 

 

 

皆さん、これをご覧になっていかがでしょうか。「IT教育」とは言わないとか、プログラミング色が強めだとか、細かいところはいろいろありますが、皆さんが書いたレポートと比べてどうですか。結構良くできていますし、実際便利なものです。

 

私は別に、これがなくても講演できるとか、あるいは今日の原稿は全部ChatGPTで作ってきたとかいった話をするわけではありません。しかし、ChatGPTがどのくらいの威力があるのかということを、先生たちに実感していただく必要があります。大体、毛嫌いする人や禁止したがる人というのは、実際に使っていない人です。使ってみたらわかりますが、これは使いようが大事で、あらゆる道具はそういうものだと思います。

 

ICTはよく包丁に 例えられます。人を傷つけることもできる包丁が、全国で一家に必ず2本や3本あるのはなぜか、ということです。包丁による事件もたまにはあるでしょう。それが報道されても禁止にならないのはなぜかと言えば、それは使いようの問題であって、包丁のせいではないからです。

 

ICTも同様です。使いようによっては、子どもを伸ばすこともできるし、先生方を楽にすることもできますが、使い方を誤ると良くないことも起こる。だから良くないことをした人や行為を罰するべきであって、ICTを罰するべきではない、というわけです。

 

この辺りは冷静に考えればわかることですが、あまり使ったことがない人が問答無用で全て禁止しようとするので困るのです。ChatGPTの使用に関しても、もっと教員を信用してほしいと思います。

 

ChatGPTの仕組みはどのようなものか、なぜ「情報活用能力」などという言葉を知っていて、なぜプログラミング色が強めなのかということについて言えば、ChatGPTは、ネット上にある情報を学習しているからです。

 

残念ながら、今のChatGPT(ChatGPT-4)は、2021年9月までの情報しか学習していないので、それから今現在まで1年半くらいで起こったことは未学習です。そこまで学習したバージョンも、もうすぐ出ると思いますが、それ以前のものであっても、ネット上には膨大な情報があります。「情報活用能力」については、文科省も私もたくさん書いています。そこで学習したことを、いい具合にまとめて出してきます。その中にプログラミングが入っていることも知っているわけです。

 

プログラミング色が強めなのは、プログラミングに関する情報は、ネット上の方が紙媒体よりも割合として多いからかもしれません。逆にChatGPTは、ネット上にないものには答えられないのです。ChatGPTの仕組みから考えると、当然そうなりますね。

 

 

ChatGPTを使うことの意味を考える

 

今度は、ChatGPTに「授業中になかなか集中できない小学校1年生に対する通知表の所見を書いてください」と問いかけてみました。まずこの問い方だと、このくらい書いてきます。このままでは「こんなにたくさん所見を書く欄はない」と言いたがる方もおられるので、短くしてもらいます。

 

※クリックすると拡大します。

 

こちらは、先ほどと同じ内容を150字で書くように指示したものです。「○○さん」というのは、こういった場合は仮名でいこう、とChatGPTが考えたのでしょうね。

 

私は「なかなか集中できない1年生」と言ったのですが、ChatGPTは「授業中しばしば気が散ってしまう傾向がある」とまろやかな言葉に言い換えています。これは教師が皆やっていることです。所見の文章はストレート過ぎないように気をつけますよね。ChatGPTも、「ちっとも言うことを聞かない」も、「独特の動きをして」といった言い換えをしてくれています。「興味を持つ分野では一生懸命さを見せてくれるから、興味を持つ範囲を増やしましょう」とか、「こういった練習も役に立つかもしれません」「読書もどうでしょう」とリコメンドまでしてくれます。

 

いかがでしょうか。このように、特定の子どもをイメージするだけでなく、こんな傾向のある子の所見をどう書いたらよいか、という例文が得られるわけですから、それを基に、実際に自分の担当している子どもの所見をスムーズに書くことができます。若い先生のサポートの装置としては非常に有力なものだと思います。

 

 

ChatGPTの英語の文章の精度は相当高いですが、日本語としてもかなりのレベルにあります。

 

ChatGPTの仕組みは、こちらのスライドのように「日本」→「の」→「現在」→「の」と来て、その後に何が来るのか。

 

例えば「首都」→「は」と来たら、大体「東京」と答えるのが正解だと考えます。インターネット上の情報では、「日本の」→「首都」と来たら、次は「東京」が来る確率が高いので、「東京」と出せば大体の人が満足する回答だろう、という仕組みです。これは全て確率論で作られています。

 

このスライドは、NHKの「クローズアップ現代」のホームページに載っていたものです。このような仕組みであることを考えると、ネット上にないものは出て来ないとか、あるいは質問をやり直すことで、ChatGPT自身が「今の回答はイマイチだったんだな。次の回答は満足してもらえるかな」と学習するわけです。また、もしそこで個人情報的に該当することをたくさん入力すると、それも学習してしまいますから、個人情報の漏えいにならないように、自分や他人のプライバシーに関わることは入れてはいけない、といったこともルールとして知っておかなければなりません。

 

また、ChatGPTが時々間違うのはどのような仕組みに因るのかを踏まえて、ChatGPTに間違わせないような聞き方を工夫していくために、「プロンプトエンジニアリング」が研究されています。これは、問いをどのように立てれば、希望通りのタスクを実行させ、利用できる答えを引き出すことができるのか。あるいは、逆にChatGPTの限界はどの辺りなのかを知っていれば、人間が考えなければならないことは何なのか、ということを峻別するものです。こういったことが学習できるということになります。

 

 

現在、ChatGPTのバージョン4(ChatGPT-4)は課金が必要ですが、月額20ドル、2千数百円で使えます。今お見せしたものは、課金したモデル、精度が高いモデルで作ったものです。

 

このChatGPT-4で日本の医師国家試験の問題を解かせてみたところ、合格ラインに入るという記事が出ていました。ChatGPT-4は392点、医学生の平均は482点ですので、まだ医学生の平均にはかなわないけれど、すでに合格ラインは超えるところまで来ているのです。

 

つまり、医学の知識を問う問題のかなりの部分はネット上にある情報なので、この部分はクリアできます。しかし、安楽死のように、今まさに議論になっていて賛否両方の意見がネット上にあるテーマについては、誤った考えを持って来る割合も高くなるということです。

 

 

生成型AIは文章だけでなく、このような絵画を描くこともできます。これはAIで描かせた絵がコンテストで1位を受賞したというものです。

 

「コンテストの規約に『AIで描いてはいけない』と書かれていないから受賞を認めてよい」という意見も、「いや、これは人間の創造力が試されているんだ」という意見もありますが、要はことが起きてから騒いでいるということです。

 

ただ、これをAIに描かせたというのはすごいですよね。どのように命令したらこんな絵を描いてくれるのか、知りたいところです。つまりこれは、問い方の問題なのです。

 

 

こちらは、AIが書いた小説が文学賞に入選したという話です。これが星新一賞だったというのが、いかにもな話ですが、問題はこれをどのようにとらえるかということだと思います。

 

ここでAI=サイボーグと見なすことの可否については別として、AIを人間の能力を拡張するものと捉えるか、人間の代わりをしてしまうからこういったことはやめろ、という話にするかは、捉え方の問題です。

 

皆さんはどう思われますか。皆さんがいろいろ検索して調べたことを、自分の意見に取り入れることはルール違反でしょうか。今は逆に、むしろそのぐらいのことは調べてからものを言えというところですね。

 

でも、検索エンジンが登場した頃は、「こんなことをやっていたら答えがすぐ見つかるじゃないか。けしからん!」と言って、学校では検索エンジンを禁止して使えないようにしていた時期もあるのです。

 

多分、当時禁止だと言っていた人も、今はふつうにスマホで検索していらっしゃると思います。新しいものに対しては、皆そうです。もっと遡ると、1970年代に学校の全ての教室にテレビを入れようとしていた頃、「テレビをずっと見ていたら、人間がダメになる」みたいなことを言う人たちがいました。今から考えるとおかしな話ですが、反対する人の意見というのは、往々にして今の自分を前提とした思い込みなのです。

 

 

「昔はこうだった」が通用しない時代に

 

なぜこんなことを言うかといえば、「昔こうだったから」という流れでものを判断しようとすると、今の新しいものがダメなものに見えてしまう、ということです。今、皆が検索を日常的に使うようになったように、いずれ私たちはChatGPTや、あるいはChatGPTに変わるいろいろな生成型AIを日常的に使うようになると思います。

 

仕組みとしても、わざわざそのページを開けて使うだけでなく、ChatGPTが組み込まれたサービスが普通に出てくることでしょう。今すでに検索エンジンに組み込まれつつありますが、そうなると、使っているという意識がなくても、実際は使っている、ということも出て来るかもしれません。しかし、明示的に使おうとすると「それは禁止だ」と言われる。でも、禁止だというあなたも実際はいつも使っているのですよ、ということですね。

 

校長会に講演に行くと、ネット利用で個人情報の流出を心配される先生がいます。そういう方に、「今日は電車で来られましたよね。Suicaは使われましたか。使われたなら、どこで乗ってどこで降りたか、という個人情報が漏れていますよ」と言うと、「え?!」ということになります。あるいは、「今スマホでGoogleマップを開いたらこの辺の地図が出てくるということは、あなたが今ここにいることがバレているんですよ」と言うと、「?!?」ということになる。

 

つまり、自分がいつも使っているものがどんな仕組みなのかわかっていらっしゃらないのです。だから、仕組みをきちんと教えるということは、とても大事だと思います。

 

こういったことは、小学校でもプログラミングを体験して、コンピュータの仕組みがわかるような環境を与えていきましょうといった話や、全ての大学で数理・データサイエンス・AI教育をやりましょうといった話も、全てつながります。大学入学共通テストに「情報」が入るのも、これと関係しています。

 

ChatGPTみたいなものが出てくると、大学はどうするんだ、ということになります。当然大学生の方が小中学生より先に使い始めますから。こちらは東北大学が出した留意事項です。学生向けと教員向けをそれぞれ出していて、こちらは教員向けのものです。

 

おそらく小論文や要約、英訳や和訳、プログラミングなどは、そのままで正解と判断できるようなものを出してくるでしょう。学生が課題でChatGPTを使ったとしても、それを見抜くことはそもそも無理です。教員の側で課題を工夫しましょう、という内容になっています。

 

大学としては、事務作業でかなり積極的でこれを使って、事務の人の働き方を楽にすることを推進する動きになっています。いろいろな大学が、ホームページなどで、取りあえず「ルールは守ろう」とか「個人情報は入れるな」といったことを表明していますが、ここから先、つまり彼らの「情報活用能力」の一つとして、これをいかに便利に使って、彼らの「情報活用能力」をどのように高めていくか、というところまでは、まだ至っていないということです。

 

 

初等中等教育でもChatGPTの影響に関する議論が始まりました。

 

こちらは、先ほどお話しした特別部会の上の委員会にあたるところで、僕がお話ししたことが記事になったものです。このときお話ししたのは、「ChatGPTを何に使えば便利か」といった考え方ではダメだ、ということです。

 

つまり、今の枠組みで授業のやり方や子どもの能力を考えて、「ここで使えばいい」とか、「ここでは禁止だ」と考えるのは、冒頭の中原先生のツイートと同じで、昔の枠組みで新しい技術を見ていることになります。

 

それよりも、例えばChatGPTがあれだけのものを出してくるようになった時代の作文教育というのはどうあるべきか、ということをもっと考えなければいけない。つまり、これは教育内容自体の大幅な変革につながる可能性があります。

 

この変革によって、もしかしたら教育内容を減らすことができるかもしれません。ということは、現在カリキュラム・オーバーロード(負担過重)になっているのを救えるかもしれない。逆に、これを禁止して今まで通りの能力を求め続けたら、ChatGPTを使うことで簡単に乗り換えられることを、必死になってアナログで教えることになる。そんなことでは、日本の教育は恐らく早晩ダメになる。こんな大きな話になることだと思っています。

 

 

この話題は、先日のG7でも教育相会合でも取り上げられました。そこでもデジタル技術が教育に与える影響にはプラスとマイナスがあるとか、コロナ禍を踏まえた学校の役割、子どもの可能性を引き出すには、技術革新を通じて社会課題を解決できる人材を、などよくある課題を話し合っていますが、要はそれをどうやって実現するのか、ということです。

 

大まかに言ってこの話題は、「私たちはこれからの時代の社会の変化とそれに対応できる人を育てている。そのとき、技術を抜きに考えるというのはほぼ無理だ」ということになります。私たちの若い頃になかったものや技術だからといって、それをダメだというのはナンセンスだということです。

 

G7というのは、要は先進国と言われる中での仲の良い7か国の会議です。この会議で、日本だけでなくいろいろな国から同じような意見が出てきているのは、ChatGPTの台頭によってどの国でも「これまでの教育ではもたないね」ということが、リアリティを持ってきたということです。

 

少し前までは、AIが人間の能力を超えるシンギュラリティは2045年頃ではないかと言われてきました。しかし、技術革新は非常に早くて、しかもコロナがあったために、多くの人がオンラインを使うようになりました。そうすると、オンライン上にデータが蓄積され、それによって学習速度が上がって、そしてChatGPTというびっくりするようなことが現実に目の前に現れている。これが今2023年の私たちの状況です。

 

子どもたちが社会に出ていくのは10年後ですから、今これを禁止したところで、何の解決にもならないでしょう。ただ、そうは言っても学校教育は、生徒指導や保護者の心配といったことに対応しなければいけない。ここしばらくは多分、今までのやり方とどうやって折り合いをつけるか、という話かもしれませんが、最初に「少し先を見ましょう」と言ったのはこのことです。少し先になると、実際にこういったものを禁止している場合ではなくなるので、そのときどうするか、ということを今のうちから考え始めておかないと、常に場当たり的な対応になってしまうということです。

 

子どもたちに説明するとき、「今のところはこういうふうに使うんだよ。こんな使い方をしてはいけないよ」と話すとしても、「でも、多分将来は、君たちはいつでも使うようになるよ」ということも説明しておく。それが情報モラル教育の考え方だと思います。

 

 

人生100年時代の働き方は…

 

ここまでずっとChatGPTの話をしてきましたが、日本でこのことがことさらに話題になるのは、日本の人口というのは、今、かつてなかったほど急激に減少しているからです。

 

少子化、高齢化で労働人口の割合が減少し、日本を支える人たちが日本にいなくなる。優秀な人たちは海外に出て行ってしまうかもしれない。そうなった時の日本をどうするか、という議論の中で、猫の手ならぬAIの手を借りることを真剣に考えていかなければ国がもたない、という話でもあるわけです。

 

もう一つは、人生100年時代になって、働き方を変えながらいつまでも働き続ける時代になっていることです。この「働く」というのは、必ずしも収入を得るということだけでなく、いろいろな働き方の有り様やダブルワークが普通になってきています。副業を認めない会社には入社しないという傾向もあります。

 

教員の世界でも、兼業規定などの細々した処理をクリアすれば、副業もできないことはない、ということになってきていますが、これもなかなかナンセンスなことで、結局そういうところには人が来なくなるということになります。

 

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さらに、新入社員に「入った会社に何年いますか」と聞くと、「10年以内でやめる」と答える人が半分を超えます。これは年々こういった傾向ですので、つまり同じ所に10年留まろうとする若い人はもういないということです。

 

これはやる気がないとか、いい加減だとかいうことではなく、キャリアを積んで経験をしたら、その経験を生かして次の自分の人生にもっと良いものを得ていく、という、生き方の問題です。終身雇用が当然と思う人にはわかりにくいかもしれませんが、今の若い人たちのマインドはこういう感じになっているということです。

 

 

さらに悪いことに、日本の経済は非常に苦しい状況になっています。20年前の2000年には、日本の国民1人当たりのGDPはまだ高かったのですが、今はOECDの国の中でも、真ん中より下で、あっという間に凡庸な国になってしまいました。

 

しかし、今の偉い人たちの多くは子どもの頃に「日本はすごい国だ」と教わって、その後も学び直しをしていないから、日本は安全で国力の高い国だと思い込み続けているわけです。

 

でも、日本の隣国は今戦争状態にあります。ロシアとウクライナ、韓国と北朝鮮。中国と台湾も危うい状態です。経済が強ければ攻められることはないのですが、経済がうまくいっていないと、足元を見られることがあります。こういったことは、外交や安全保障といったことと全て関係してきます。日本の中枢の人たちが、昔の思い込みの延長で考えようとするのでなく、現状をきちんと把握した上で向き合わないといけないということです。

 

一方で、この経済状況で、学校は忙しいから教職員を増やすということが、そう簡単にできると思われますか。税金を納める人も減っています。税率を相当上げれば何とかなるかもしれませんが、消費税を上げるだけでも大騒ぎです。これを考えると、教員の数を増やすというのは、ほぼ無理でしょう。教員の数については、子どもの数が減っているので、数は増えていませんが、割合は増えています。特に文科省は、35人学級にするときに本当にご苦労されています。多分、教員数の調整はあれが限界だと思います。あとは学校が、あるいは教育委員会や管理職が教員一人当たりの職務を、どれだけ減らすことができるかという話になると思います。

 

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「AIに奪われない仕事」に就ける人を育てるための教育

 

このグラフは去年も出しましたが、これからどのような仕事で人が余り、どのような仕事で人が足りなくなるか、というものです。今後、人が余る、つまり要らなくなる仕事というのは、グラフの上方の事務職です。事務職はこれからどんどんプログラムに置き換わるということです。ChatGPTであれくらいのことができるのですから、そこそこの仕事は全て置き換わるでしょう。

 

一方で足りなくなるのは専門職です。何かにこだわって、「あの人はすごい、あの仕事はあの人にしか任せられない」と言われるような人は生き残ることができます。学校で、探究的な学びを推奨しましょう、という話になっているのはこのことからきています。

 

にもかかわらず、「教える内容が多すぎて探究させる時間がない」ということになっているなら、恐らくそれは、探究できない、つまりいずれなくなるような仕事に就く人を量産して、専門職になる人を育てきれていないということになります。

 

先生方は探究活動だけでなく、入試対策でも苦労されていることと思います。先ほどからお話しししているように、これはすぐ明日明後日、あるいは今年度末には変わるという話ではありませんが、緩やかに変わっていくはずのものです。

 

大学進学で言えば、大学の定員と大学に行きたい人の数を比較して、かつては大学に行きたい人の数が圧倒的に多かったから入試があったわけですが、去年あたりからこの割合が逆転しています。学生が来ないために大学の定員が余って、今後大学が倒産していくでしょう。最近もいくつかニュースがありましたが、まさかあんな有名大学が、という事態が増えていくことになるでしょう。

 

これまでのような「選抜のための入試」というのは一定の割合で残る部分もあるでしょうが、今後の入試は「あなたは何がやりたいのか。うちの大学ではこれができますよ」というところでマッチングのような形になっていくでしょう。そうすると、アプリなどでやれることが増えていって、入試コストも下がるでしょう。入試時期も年1回というわけではなくなるかもしれません。今すぐにそうなるわけではありませんが、中長期的に見れば、今お話しししたような話が起こるはずだということです。

 

 

これについて、政府はスライドの左のような現在の日本の社会を、右側のように変えていかなければならない、と指摘しています。

 

こちらは内閣府が出している資料です。高度成長が終わって人口減少になり、1人当たりGDPも下がっているのに、高度成長の頃の日本のやり方がずっと踏襲され、保護者は学校に過剰な期待を続けていて、それを学校は断ることができないまま今に至っている。まだ学校は左側の状態であるということです。

 

しかし、今後他の人と違うことをやれる人が生き残るという時代になっていきます。先ほどの専門職が生き残るということがその象徴です。「皆と同じことをやりなさい」ではなくて、「皆と違うことをやりなさい」と言わなければいけない時代なのです。ですから、そういう視点からの校則や生徒指導の見直しが要求されることになるのです。

 

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今の学校教育 これからの学校教育

 

ここまでは、これからの日本がどうなるか、という話をしてきましたが、ここからは学校教育はそれにどう対応すべきかというお話をしていきます。

 

実はこの考え方は、既に現行の学習指導要領にインストールされています。ここまでお話しした内容については、2014年・2015年あたりの中教審でさんざん議論されて、それが答申となり、その答申が元になって現在の学習指導要領が作られ、告示されました。

 

そして、移行期間を置いた上で全面実施されたのが小学校は2020年、中学校は2021年。高等学校は2022年の高校1年生からスタートして、今2年目になります。

 

高校は義務教育ではないので年次進行になり、来年度、2024年度が完成年度となります。その終わりとなる2025年1月の大学入学共通テストから「情報」という教科が入ります。これは、初等中等教育の学習指導要領やGIGAスクール構想といったものの先に情報入試というものがある、というトータルソリューションになっているということです。ですから、私たちは一つひとつのことを断片的に議論するのでなく、トータルにどうなっているかということを把握して、それぞれの段階における教育を行わなければならないのです。

 

 

「個別最適化」ではなく、「個別最適な」学び

 

これについては、「令和の日本型学校教育」を標榜した令和3年1月の中教審の答申が、影響力が強いことになります。

 

まずこの答申の中に「個別最適な学び」と「協働的な学び」という言葉が入っています。この「個別最適な学び」についてですが、当時、世の中には「個別最適化」という言葉が流通していました。これは、経済産業省から出て来たもので、政府も使っていましたし、一時期文科省も使っていました。

 

こちらのスライドは、中教審の議論で私の発言のところを取ってきたものです。こちらはwebに公開されています。

 

この発言で問題にしているのは、「個別最適化しますよ」だと、誰かが子どもにしてあげるという話になっていないか、ということです。一人ひとりの子どもに合わせるということに異論はありませんが、「あなたにとってこれが最適ですよ」ということを誰かが決めてくれるのをずっと待っているのでは、結局受け身になってしまいます。

 

そうではなく、子ども自身が自分の学び方や特性、あるいは今こだわっていることを基に、自分で「これをやる」と決めたり、今の自分にとって最適なものを自分で判断できたりする、つまり自己選択・自己決定をきちんとやらせるべきではないか。自己調整学習の理論に基づいて考えればこうなるのではないか、と述べました。

 

ですから、「個別最適化」ということを行って、それを一人ひとりの学びで「個別最適な学び」にすべきではないか、と。この後いろいろな議論を経て、結果的に答申には「個別最適な学び」という形で入ることになりました。この辺りは、けっこう奥が深い話で、AIドリルを入れて一人ひとりの能力に合わせた問題をやる、というのは、実は「個別最適な学び」のほんの一部なのです。

 

ただ、これも使い方によっては、「個別最適な学び」の本質的な思想と真逆のことをやっている可能性もあります。例えば、AIドリルを宿題として子ども全員に皆と同じようにやりなさいとしていたら、子ども自身が自己選択・自己決定しているのか、という話になります。さらに、GIGAスクール構想の本来の予算にはAIドリルは入っていません。つまり、国の標準はそこではないということです。この話はまた後ほどいたします。

 

 

PISA国際学習到達度調査の結果から見えてきたこと

 

2018年に、PISAの国際学習到達度調査がありました。ちょうどGIGAスクール構想が始まった頃にこの調査のことが何度もマスコミでも報道されて、世の中で話題になりました。

 

PISAは国際的に比較ができる学力調査で、15歳、日本で言えば高校1年の春に、抽出された学校の子どもが受けます。当時、「学力的には、読解力は下がっているけれど、科学的リテラシーと数学的リテラシーは世界でトップクラスだ」といった話が報道されました。

 

このテストと同時に、どのような学び方で学んでいるかということが調査され、そのうちの一つにICTを使ってどのくらい学んでいるか、という話があります。

 

 

ICTを使った授業をどのように行っているか、という質問に対しては、日本はOECD諸国では圧倒的最下位です。

 

これは2018年初めて最下位になったわけではなくて、10年ほど前からずっと最下位が続いています。

これについては、国の事情がいろいろあって仕方がなかったということはありますが、今後ICTを使わないで仕事をしていく、生きていくことはたぶんできないですし、うまく使えない人は仕事の生産性が上がらないので、他の国は教育にどんどんICTを使わせるよう方向転換しましたが、日本は「ICTはお金がかかる」とか「不平等になったら困る」といった理由で、頑なに取り入れることがありませんでした。

 

この不平等ということについて言えば、例えば学習に障害のある子どものためにデジタル教科書を使わせようという動きがあったとき、ある自治体が「子どもに不平等になるから、この子だけに使わせるわけにはいかない」という見解を示したことが大きな問題になりました。

 

つまり、日本ではほんの少し前までは一人ひとりに合わせたり、well-beingを目指したりといったことに対して、悪しき平等主義の方が勝つような意思決定がふつうにあったということです。今はかなり変わってきていると思いますが、残念ながらそういった同調圧力もあって、日本はデジタル機器を使わない方向、今までと同じやり方で改善せずにやり続ける方向に動く傾向があります。

 

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では、日本の子どもたちはICTを使えないのか、と言うと、そんなことはありません。学校外の平日のデジタル機器の利用状況を見ると、「ネットでチャットをする」「1人用ゲームで遊ぶ」というのは世界でトップですから、ICTを使うことはできる。

 

ただ、学校で教えていないから、自分たちの好きなように使うのですね。そうすると、当然不適切なことも起こります。その生徒指導案件を学校が抱えることになります。日本の今の状況からいくと。これも矛盾以外の何物でもなく、先生たちもやるせないのではないかと思います。

 

先ほど、ChatGPTの仕組みをきちんと教えるべきだと言ったのは、仕組みがわかれば何をしてよいか、何をしてはいけないか、ということがわかるからです。これは教育内容にすべきだと思いますし、実際に今の学習指導要領で小学校にプログラミングが入ってきたのは、同様なの理由からでもあります。

 

ただ、教科書に載っているプログラミングの学習活動を見て、「こんなのは算数ではない」とかとおっしゃる方がいるのを見ていると、とても悲しく思います。今までの枠組みでものを見ることを繰り返すのは、衰退を意味するということなのです。

 

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PISAの読解力の成績が下がっていると言いましたが、具体的には読解力の問題はこのようなものです。スライド右のような、スクロールできるブログの中に書かれた内容で正しいものを4択で選ぶというもので、大して難しい問題ではありません。

 

しかし、日本の子どもの正答率は、OECDの平均よりも低いのです。他の分野の成績はトップクラスなのに、です。

 

この原因は、webページの情報を、学習情報として読み取れないからです。学校の勉強では紙のものしか読んでおらず、ネットに出ているものは遊びでしか触っていません。だから、彼らがこれを学習情報だと捉えているのかということが一つ。

 

もう一つは、そもそもCBT(Computer Based Testing)に慣れていない、ということです。この辺りが大きな課題、という見解を、当時の文科省や国立教育政策研究所が出しました。

 

PISAでは、こういったweb情報の読解や、webから必要な情報を取り出す力を「読解力」と言います。日本語の読解力というと、例えば「ごんぎつね」の主人公たちの気持ちを読み取ろう、といった話になりがちですが、そうではなくて、世の中にある様々な形態の文章や図や表を読むことができる力を「リーディングスキル」とされるのです。それが日本語になると、日本の昔からの国語教育に引っ張られてしまうところがあります。

 

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この能力は、例えば貧困や文化に触れる機会など、社会経済文化的背景に左右される、という分析もあります。

 

一番下の層は約6割がレベル1かレベル2の評価、つまり、社会的に恵まれていない家庭の子どもたちのデジタル読解力は著しく低い。日本全体でも低いのですが、家庭資本によってこのように大きな格差が如実に表れています。

 

実は、この部分がGIGAの実現の最大のポイントだったのではないかと思います。つまり、デジタルの教育環境を整えることを、このまま家庭に任せておいてはいけないということになったのです。

 

これから必要な能力であることは決まっているわけで、少なくとも義務教育では全ての子どもが学校に来ている。それなら、義務教育においては、せめて全ての子どもたちに同様の環境を与え、それが学校でも家でも使えるようにしてやるべきではないか、ということですね。

 

ですから、端末を家へ持ち帰らない、というのはあり得ない話です。学校でしっかり学ばせ、それを家に持ち帰ってさらに続けてやれるようにすることが、GIGAの本来のあり方のはずなのです。

 

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このことは、中教審の答申にもGIGAの思想として書かれています。この令和3年1月の答申でも、クラウド上のデータやサービスを使うので、そのためにはネットワークが高速・大容量でなければいけないことが示されています。

 

当時、クラウド活用を禁止する自治体は、まだいくつもありました。それもナンセンスで、家庭への端末の持ち帰りも望まれるというのが国の方針です。

 

国の方針にきちんと従うかということについては、設置者である自治体の役割は非常に大きいものがあります。自治体で意思決定をしている人たちが、きちんと過去の日本を棄却するようなアンラーンをしているかどうかというのは、非常に大きな課題です。

 

 

全国学力調査や共通テストの問題も変わってきた

 

こちらは、昨年の中学校の全国学力・学習状況調査(全国画力調査)の問題です。「先端技術とのかかわり方」というテーマで自分の意見を書く、という場面設定ですが、国語の問題であるのに横書きです。自分の意見は文書作成ソフトで書いています。さらに、そこに友達がコメントして、それを参照する、という、Googleドキュメントの共同編集のような場面です。

 

これは、GIGAでこういった活動の環境が整えられ、クラウドでお互いのやりとりを可視化できることを前提とした教育環境があるはずですから、国語の授業でも当然このような活動もやっていますよね、というメッセージでもあります。

 

この問題にびっくりして、これを機会に授業での活動に取り入れた学校もあると聞いています。これはつまり、国語の能力としては自分の意見に他者のコメントを取り入れる文章の修正の仕方の話ですが、それを試す学習基盤が、デジタルが前提になっているということです。全国学力調査がこのような形になっているというのは、現行の学習指導要領がこれを前提としているからです。

 

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大学入学共通テストでは、令和3年1月の問題で、スライド左の英文を右のようなスライドにしたとき、どのようになるか、という問題を出しています。

 

このスライドは、実際の問題をキャプチャして私が構成したもので、実際の問題はこういった形ではないのですが、要は英文が読めればいいとか、長文の内容がつかめればよいというだけでなく、今はそれをリバイスして修正して、自分たちの表現にする、ということが求められるということです。

 

こういった活動の経験がない人には、いきなり入試でこんなことをやらされるのはすごく大変ですから、「共通テストは難しくなった」と思うでしょう。逆に、いつもやっている人たちは、むしろ文章が簡単になった、楽になったと思うだろうということです。

 

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また、政治経済の問題でも、課題の設定→情報の収集・読み取り→課題の探究→まとめと発表という、探究のプロセスを踏んだ授業を行っていることが前提になっているものがありました。

 

こういった問題が出題されるのは一種のメッセージであって、今すぐに対応はなかなかできないかもしれないけれど、大きな流れとしてはこういう方向に向かっていますよ、ということです。

 

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さらに、2025年度から全国学力・学習状況調査(中学校)がCBTになるということが決まっています。これまでは前日に宅配便で送られてきた試験問題を何時に開封して、回収はこの手順で…という作業に、現場の先生がご苦労されてきました。人手が少ない時代に、あのような形式をいつまで続けるのかという話です。

 

その意味で、CBT化はある意味必然です。来年は紙ベース実施の最後の年ですから、まさに歴史的瞬間です。

 

 

全国学力調査では、英語のスビーキングの調査を、3年に1回、オンラインで試験的に行っています。

3年前は、パソコン教室のパソコンで行いましたが、今までの試験とやり方が違うので、多数のクレームが来ましたし、エラーも出ました。

 

今年は生徒が端末を持っているから、端末で実施したのですが、12.5%のトラブルが発生しました。今回は初回でしたから、今後はもっと減ると思いますが、12.5%というと8人に1人です。

 

ただよく調べると、トラブルが起こった学校は同じ自治体に多かったようです。つまり、その自治体のネットワークの容量が足りなかったり、管理ソフトが走り出したり、テスト中に急にアップデートが始まってしまったり、ということでした。

 

そういったトラブルが起こらないように、予め文科省からも話は行っていますし、教育委員会や委託業者の方も頑張って準備されているのでしょうが、ネット自体が昔のやり方で管理されているため、こういったことが発生してしまう。そもそも学力調査が受けられないネット環境、デジタル学習基盤で学ばせているような学習環境で大丈夫なのかということになります。

 

こういったことは、地方議会などでもっと話題になるべきことだと思うのです。逆に、「こういうことがあるからデジタルはけしからん、テストは紙でやるべきだ」という人たちさえいます。しかし、今回も紙ベースの試験でも解答用紙の紛失事件が起きています。つまり、テストが紙かデジタルかの問題ではなくて、人間がやっている以上エラーは起きるし、環境が十分でなければミスも起こるということを認識すべきなのです。

 

 

さらに、先ほども申し上げたように、2025年1月の大学入学共通テストから「情報」が出題されます。サンプル問題は大学入試センターのホームページ(※2)などで見ることができますが、例えばこちらのような問題です。

 

算数や数学で言えばデータの活用の延長ですが、データ量が多くなるとプログラムで解析するしかないわけで、「情報」の問題と算数・数学の問題がくっつくとどうなるか、という一つの例となっています。

 

他に家庭内のWi-Fi環境を構築するのに、こういったエラーが出たらどんな原因がありそうか、といった問題など、いろいろな問題が出ているのでぜひご覧いただきたいと思います。

 

※2 https://www.mext.go.jp/content/20211014-mxt_daigakuc02-000018441_9.pdf

 

学校現場の先生には、ぜひ高校の「情報」の教科書を読んでみていただきたいと思います。こんなことをやっているのか、と思われると思いますが、そこに書かれていることは、必履修なので、今全ての高校生に求められる常識的な学習です。それがもしご自分にまだ備わっていないとしたら、それについては勉強されるべきだと思います。

 

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「情報活用能力」の位置づけも変わってきた

 

ここまでの一連のお話で、先ほどChatGPTにも知られていると申し上げた「情報活用能力」という言葉の位置付けは、昔とは変わってきた、ということがおわかりいただけたと思います。

 

時代が変われば、扱われる情報や、情報の活用の仕方は、デバイスやツールが進化することでどんどん変化します。「情報活用能力」というのは、能力自体を規定しているものの、それがどんなデバイスやどのようなスキルで担保されるべきか、ということについては決めていません。時代によって変化するからです。

 

ですから、「今使っているソフトウエアで、このくらいのスキルを育てよう」という目安が、各学校の事情に合わせて作られています。そういった情報はネット上にもたくさん出ていますから、それを基にうちの学校の場合はこうしよう、ということを決めることができます。

 

能力観としては、「情報活用能力(情報モラルを含む。)」は学習指導要領の総則にも、「学習の基盤となる資質・能力」と書かれています。つまり、あらゆる授業、教科学習の基盤となって働くものです。

 

同じように基盤となっているのが「言語能力」と「問題発見・解決能力」で、つまりこれらは教科学習のついでに学ぶのではなく、これらが身に付いていることを前提に教科を学んで行くことで、学習がよく捗り、結果として教科の授業時数が多少少なくても間に合うようになります。

 

ですから、今までと同じやり方で、今までより増えた内容を教えるからカリキュラムオーバーロードが起きるのであって、子どもたち自身に学ぶ力を付けさせれば、むしろ学び取る時間は少なくて済む。そして、子どもによってペースが違うので、個別最適を認めていけば、時間もだんだん要らなくなり、うまく収まるようになるでしょう。

 

個別最適な学びの実践事例で、実際に一斉授業で8時間かかった内容を、自由進度学習でやると5~6時間で終わった、という例もあります。今までは先生が全部用意しなければならず、それにも限度があったものを、今はいろいろな教材をクラウドで共有でき、評価もしやすい。そういったものをうまく使っていきましょう、という話になるわけです。

 

そして、今「情報活用能力」は、学習の基盤となることであると規定されていますから、これを養わないのは、カリキュラム・マネジメントとして問題がある、ということになります。

 

2つ目に、前提となる端末とクラウドが整備されているのに、ネットワークの速度が遅いというのは大きな課題です。これは学校の先生方の問題ではなく、教育委員会の問題です。

 

そして3つ目、「情報I」が大学入学共通テストの出題科目になったのは、小学校から端末を使って学んできた人たちが経験的に身に付けた「情報活用能力」を、高校で「情報Ⅰ」という必履修の科目でしっかりと知識構造として整備し、技能として修練させる。そこで身に付けたことを大学入試で試し、それらが身に付いている人が大学に入学することで、これまで大学が請け負っていた初歩的な指導をやり直さなくてもよい、というトータルソリューションになっているということです。

 

 

ところが、この「情報活用能力」について、文部科学省が中心になって行っている情報活用能力調査から、いろいろなことが見えてきます。

 

「情報活用能力」というのは、いろいろな能力の複合体ですから、トータルで見ると小学生ではこのくらい、中学生ではこのくらい、高校はこのくらい、という形になります。

 

この表は、一番上が最も高いレベル9、一番下がレベル1で、緑色のグラフが高校生です。

 

高校生でレベル9が9.7%ですから、約1割は国が期待するMaxのレベルにある人ということです。高校生はレベル7から6辺りがピークですが、残念ながらわずかながらレベル1の人もいるということです。

 

中学生はオレンジ色です。レベル8や9に達している人は少ないけれど、ピークは、レベル6から5辺りにあります。実は、高校と中学のピークはほんの少ししか違わず、著しく進んでいる人は高校に多い、ということです。義務教育ですから、人による違いはあまりなく、これは今後変わるべきところかもしれませんが、中学校にもポテンシャルがある人たちがけっこういるということです。

 

小学校は青です。小学校は、当然発達段階の関係で、情報処理能力や人間としてのパワーは高校生、中学生に比べては低いですが、大体ピークはレベル4~3辺りということがわかります。この辺りの子たちは、学習の基盤となる「情報活用能力」があまり身に付いていないのに、いろいろな学習活動をさせられるのはかなり苦しいだろうということが想定されます。

 

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「情報活用能力」はいろいろな能力の集合体ですが、その中のコンピュータにキーボードで入力するスキルだけ取ってみても大体同じような分布です。こちらは高校生が緑、中学生がオレンジで、高校生と中学生は大体正規分布ですが、小学生(青)はそうではない。これは5年生の冬の調査ですが、1分間に10~20文字あたりがピークですが、一方で、1分間に10文字入力できない人が、合わせて3割くらいいます。

 

確かに個人差は大きいですが、この個人差は、先ほどお話しした家庭の格差ともいえます。家族がいつもパソコンを使わせてくれる家庭では、いつの間にかタイピングが身に付いてしまうこともあるでしょう。しかし、そういう環境にない子ほど、タイピングができないと、今後いろいろな場面で困ることになるでしょう。ですから、カリキュラム・マネジメントでこれをきちんと教えましょうと、小学校学習指導要領の総則に書かれています。

 

実は、これも学校間の格差が著しいのです。この1分間に10文字以下という子どもの多くは同じ学校に属しています。こういった基礎は、時間を取ってやればちゃんと身に付くものです。

 

「パソコンをやる時間がない」とおっしゃる人もいますが、これは自転車に乗れるようになることと同じで、どこかで一定の練習をすれば、皆できるようになり、忘れるものではありません。そして、そこからは安全教育をちゃんとやるべきだということにつながります。自転車に乗るにはどうすればいいかを構造的に理解したり、生活が便利に、楽しくなるように自転車を使うにはどうしたらよいかを考えたりするのと同じです。そう考えたときに、現在の状況というのは非常に大きな課題であると思います。

 

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こういったいろいろな課題がある中で、中教審では次の学習指導要領を見越して、このデジタル学習基盤を考える特別委員会を作り、ここに挙げた(1)から(6)をやります、というようなことになりました。

 

 

今のICT活用 これからのICT活用

 

先ほどの(1)にあたるICTの活用の話に行きましょう。ICT活用は、10年前と今とでは、GIGAスクール構想のおかげで考え方が大きく変わっています。

 

昔はパソコンはパソコン室にしかない、あるいはパソコン室から持ち出せるパソコンは何十台かしかなくて、それを皆で交代で使うため、次の人がすぐ使いやすくなるように、端末をすぐリセットする仕組みがあったり、ネットも大してつながらないようなものでした。

 

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しかし、今は1人1台端末を持っていますし、クラウドが使えること、これが重要です。

 

クラウド上に様々なものがあって、それを使うことができますから、生徒の端末の側は、実は空っぽに近くてよいことになります。

 

これまでもいろいろなアプリに頼った実践が行われてきましたが、これはどちらかというと、端末の側にいろいろなものが乗っかっている感じでした。今は、むしろそのクラウドツールをどう使うかという考え方に変わっています。

 

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GIGAスクールで推奨した、学習端末で活用すべきアプリは、ここに挙げたようなwebブラウザや文書作成ソフト、表計算ソフト、プレゼンテーションソフトなどです。皆さんも仕事で使っているものばかりと思います。

 

 

こちらは学校では生徒のワークを配布・提出に使ったり、管理したりする学習支援ソフトです。

 

これらには、標準仕様や無料でインストールできる機能として、下に挙げられたようなものが設定されています。

 

これは、大人がいつも仕事で使うようなツールで学ぶ経験をさせて、学校での学びと自分の将来や仕事とつなげていきましょうということなのです。

 

つまり、特殊なソフトがないと学べないような活動ではなくて、全国のどんな家庭の子どもでも使えるものを使った標準的な学びを義務教育で提供しようということです。

 

ですから、先ほども申し上げたように、既成のAIドリルのソフトを使えばいい、というわけではないのです。自治体の方針としてAIドリルを入れることはよいのですが、その前に、先ほど挙げたような標準的なアプリを使って何ができるか、ということをしっかり追求していく必要があるだろうと。これがリーディングDXの考え方です。リーディングDXについては、この後で詳しくお話しします。

 

 

1人1台端末の標準仕様のアプリでできることは

 

1人1台端末が手元にあると何ができるか、と言いますと、まず先生が大事なところを大きく提示すること。これは大型提示装置があればできていたことですが、子どもたちの手元にそれぞれ端末があると、手元で同じように先生のまねをすることができたり、違うやり方で考えたりすることが認められたりします。これは既に個別最適な学びに近づいてきていますよね。

 

例えば、理科は体験が大事な教科です。だからこそ、グループで実験したり観察したりしたことを記録に残して、後でプレゼンに使ったり、レポートで使ったりといったことをするために、協力して何かをする場面がいろいろあります。

 

つまり、これは理科の学習でありつつ、協働で行う学習経験でもあり、デジタルと実体験をどのようにつなげるかということの学習でもあり、結果的に学習の基盤となることも一緒に学んでいることになります。ただ、これを教科学習しかなかった頃の考え方の人から見ると、「これは理科じゃない」という話になってしまうわけです。

 

今は、教科で育成すべき能力の下に「学習の基盤となる資質・能力」というものがある、という前提で授業研究が行われます。このスライドでは、教科書から情報を読み取って付箋紙に書いたものを、友達と相談しながら並べ替えて整理していく。こういったことを、先ほどの標準的なアプリを使って、これも日本中のいろいろなところ・あらゆる場面でやっていただきたいわけです。

 

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こういった活動は、他のグループ、他の人たちがどのように考えているか、ということが可視化されます。正解が1つに決まっている時に、他の人の答えを見るという行為はカンニングになりますが、今の時代は、他の人のいろいろなやり方をどんどん吸収して、自分の考えを創り上げていくということは、むしろ奨励されるべき、と考え方自体が変わってきているということです。

 

これは時代の変化によるものです。人口が減少して、一人ひとりの生産性を上げなければならないのだから、自分に足りないものを持っているのは誰なのか、その人のやり方を取り入れて自分のやり方をどうやって更新をしていくか、という「他者参照」と「学び方の自己更新」というのはセットになる考え方です。

 

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最後に自分としてのまとめを作るときは、皆でやった作業の画面をキャプチャして、自分のスライドに貼って自分の言葉でまとめることを行っています。

 

それぞれ自分の言葉でまとめたものをお互いに読み合って、わかりにくいところがあれば作り直すことができる。こうすることで、個別最適も協働も行っています。それを通して、他者参照ができ、学び方の自己更新につながっていくわけです。

 

このように、学習の基盤となる「情報活用能力」を伸ばす活動とGIGAの標準仕様がうまく機能して、あらゆる教科学習の中で、その後の力を発揮する形で実現できていることがおわかりいただけると思います。

 

この学校では、4月に「GIGA開き」を行っています。小学校2年生の学級通信には、文部科学省のGIGAスクール構想の説明や使い方のルールなどが書かれており、先生たち自身も勉強されているとがわかります。また、「パソコンを大切に扱いましょう」ということで、パソコンを持ち運ぶときは「赤ちゃんだっこ」で運びましょうといったことも指導しています。

 

 

中学校も同様です。中学校の社会科の教科書は、かなりの情報量があります。これまでも大事だと思う言葉にはマーカーで線を引いたりしていたわけですが、この学校では、大事な言葉を取り出して、並べて構造化して自分で説明できるようにするということを行っています。

 

これを毎時間やっていると、自然に教科書の読解力が高まって、社会科の知識としても整理ができ、人に説明ができるようになるので、深い理解にもつながります。

 

こういった活動にやり慣れていると、例えば新型コロナの濃厚接触者になって登校できない子どもも、オンラインで授業に参加することができます。子どもたちは端末を家に持ち帰っていますし、データはクラウドで共有されるので、登校できない人も全て同じことは無理であっても、8割方は同じことができます。むしろ家の方が時間がある分、まとめが進むということも言われています。

 

また、外国人児童・生徒への指導の場面での活用も考えられます。こういった子どもたちは、これから確実に増えてきます。その子たちが、日本語の教科書でわからないところを、Google翻訳を使いながら、自分でツールを使って学ぶということも、GIGAの利用によって可能になっています。

 

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先生の役割りも変わって来る

 

子どもたち一人ひとり、あるいはグループが、それぞれのフェーズでいろいろなことを始めたときに、先生の役割というのは前に立って教えるだけではなくなります。つまり、ティーチングのみならず、ファシリテーションのスキルも求められるのです。

 

これも前々から言われていることですし、優れた実践を行っている先生は、こんなことをずっとされていました。ただ、道具が足りなかったから、先生が本当に無理をしながらやらせていたわけです。端末があることで、今まで無理してやらせてきたことが、むしろやりやすくなったということです。

 

つまり、「GIGA端末がきたから、こんなことをやらなければいけない」ではなくて、これからの時代を考えたときに身に付けなければならない能力、これは学習指導要領にインストールされているものですが、それを実現するための授業の形が、これまではなかなか難しかった。それが、端末が来たことでやりやすくなったという話なのです。

 

紙orデジタル、個別or協働も子どもが自分で選ぶ

 

子どもたちは活動に合わせて紙もデジタルも使います。先生方の中には、「紙か、デジタルか」を決めたがる人がいますが、紙には紙の、デジタルにはデジタルの良さがあります。

 

今、この講演を聴いている方の中にも、紙で記録している人もいれば、デジタルで記録している人もいらっしゃいます。これを、私が「メモは紙じゃないとダメです」とか、「はい、ここからはデジタルでメモしてください」と言ったら、皆さんは「ナンセンスだ」と思われますよね。紙か、デジタルかは本人が決めることです。

 

逆に言えば、この子たちには本人が決められる学習経験があり、「情報活用能力」が身に付いているのです。学習経験を与える途中段階では、「今日はデジタルでやろう」とか「今日は紙でやって、紙の良さを伝授しよう」というステップがあっても、それは初期指導であって、そこから先はできるだけ自分で判断し、なぜそれを使うかを自分で説明できるようになることが大事です。

 

もしデジタルから逃げる形で紙を使っている子がいたら、そこは歩み寄って支援しなければいけないこともありますが、あくまで子どもが決めることです。

 

もっと言えば、個別でやるか協働で進めるか、いうことも子どもが決めることです。先ほどの「デジタルか、紙か」のように、初期指導として型を教える意味では大事ですが、本当は「今、僕はひとりでやりたい」とか、「困ったことがあるから他の人や先生に相談したい」といったことは、一人ひとり事情が変わります。それについては、子どもたち自身が決めてよい、というルールにしておかないと、「『個別最適な学び』と『協働的な学び』の一体的な充実」という、答申に書かれた言葉は実現しないことになります。

 

これは、先生の授業観に関わる部分が大きいと思います。

 

こちらは神奈川県のある校長先生が作られたスライドですが、今までの授業は、先生が運転するバスに子どもを乗せて「はい、右が○○です。左は△△です」と説明しながら時間通りに目的地に着いて、「はい、皆着きました。良かったね」でおしまいでしたが、これからは子どもたちが皆自分の車を持って、自分で運転し、自分の好きな方向で自分のやりたいペースで目的地にたどり着くことになる、というイメージです。端末が来たのでそれをいろいろ使っているうちに授業観が変わった、という学校や自治体もたくさんあるのです。

 

その一方で、端末は届いたけれど、先生方の授業観が固くてアンラーンできないので、結局「こんなことなら端末なんて要らない」ということになって、使わなくなったところもあります。これが格差の原因になってしまうのです。

 

自治体の中で、同じように端末やネットワークが整備されても、「うちの学校は、やたらと禁止事項が多くて使いにくいので使わない」という話もいろいろ聞きます。「子どもが迷うといけないから、アイコンの位置を変えてはいけない」という通達があったところもあるそうです。まじめに子どものため、先生のためを思ってのことだったかもしれませんが、かえって足かせになってしまった、ということなのですね。今日、校長先生もたくさん来場されているかと思いますが、実際にこんな笑い話のようなことが、GIGA端末の利用の弊害になっているということも、ご理解いただきたいと思います。

 

 

最初にご紹介した「リーディングDXスクール」は、今年度スタートした事業ですが、これはこれまでの授業観が変わっていくときの、現場の先生方の様々な工夫や教育委員会が行ったこと、校長先生が判断されたことなど、いろいろな工夫をTIPSとして集めて、全国に広げていこうという取り組みです。

 

文科省がかなり力を入れている事業で、全国100地区から209校を指定していますので、全ての都道府県・政令指定都市から、必ず選ばれる形になっています。

 

こういったホームページが間もなく立ち上がることが決まっていて、実際にそういうところに選ばれた所は、張り切って地元のニュースになったりしています。

 

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今の働き方 これからの働き方

 

最後に、先生方の働き方のお話をします。今、教員不足が話題になっていますが、本当に先生のなり手が見つからないようです。

 

そうなると病気になっても休みも取りにくい。それが働きにくさに拍車をかけて、「もうこんな仕事は続けられない」ということになるわけです。

 

その意味では、学校現場は非常に追い詰められたところまできています。

 

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この問題に関しては、文部科学大臣から中教審に諮問があったわけですが、マスコミにはなぜか給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)のことばかり大きく取り上げられてしまいます。

 

給特法というのは、公立学校の教育職員には、原則的に時間外勤務手当や休日勤務を支給しない代わりに、給料の月額の4%に相当する額を「教職調整額」として支給することが定められているものですが、教員の働き方改革の一環として、この調整額を4%から10%にするという話が出ているので、それに注目が集まっているのです。

 

もちろん、公立学校の教員の給料は税金から出ているので、納税者としてそこに注目するのは当然かもしれませんが、別にそこだけ改善しようというわけではありません。

 

 

諮問の要旨にはいろいろなことが書かれていて、こういったことを総合的に改善しましょう、ということです。給特法はあくまでそのうちの一つなのですが、マスコミでそこばかり取り上げられるので、某コメントサイトに「それしかやらない文科省は何を考えているんだ!」などと書かれてしまいます。コメントする方も、「情報活用能力」をもっと発揮してちゃんと調べたら、結構いろいろ出てくると思うのですが、残念な話です。

 

考えてみれば、教員になる人は都道府県の採用試験を受け、都道府県の地方公務員になるので、文科省が関われることには限界があります。文科省は、あくまで仕事の標準、つまり「ここまでは教師の仕事だが、ここは違うのではないか」ということを示すことはできても、それ以上のことはできないのです。ですから、教員の働き方改革は、本当は都道府県の問題なのです。

 

さらに言えば、義務教育のほとんどの設置者は区市町村なので、働く環境は区市町村の課題です。そして、各学校の校長先生が保護者にどれだけ説明し、納得してもらって保護者の意識を変えていただくか、という、多層構造になっています。

 

もちろん、国としてできることがあるので、諮問に対する答申があるわけですが、「国がやってくれないからできない」と言って自分たちは何もしないというのも、他人任せな話ということになります。

 

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教員の働き方問題は、先ほども出て来たように、負担が大きいのであれば給料を上げよう、という話になっていて、確かに多少はそれもあると思いますが、そもそも仕事の総量をどう減らすかということ、そしてどれだけ便利なものをうまく使うか、ということが問題です。ここには、先ほど説明したChatGPTの活用も含めた話に帰着します。

 

例えば民間企業では連絡にビジネスチャットを普通に使っていて、もはやメールはどんどん使わなくなっています。学校では、子どもはチャット禁止というのはまだいくつかあるようですが、同時に先生もチャットは禁止ということになっていたりします。実際、チャットは非常に便利です。実際に使って、校務が楽になったという事例がいろいろあります。

 

 

また、愛知県春日井市はGIGAがうまくいっている地域として話題の自治体ですが、ここでは子ども達がいつも活用しているGoogle Classroomを先生方も校務で活用することで先生方の仕事を楽にしています。たとえば、職員会議や運動会の準備といったことにも使っています。

 

こうすることで、校務も楽になるし、困ったときはGoogle Classroomを見に行けばいつでも参照されるので便利です。さらに、先生自身がいつも校務で使っているものを授業で使うことになるので、非常にわかりやすい。そうして活用することが、同時に研修にもなるのです。

 

 

先生の業務を減らすために、まずGIGAを活用しよう

 

GIGAスクール構想下で、今後DXに向けてどうのように取り組んでいくかということについて、文科省で1年半議論したものが、先日3月8日にまとめが出ていますので(※3)、ぜひこれをご覧いただければと思います。

 

※3 GIGAスクール構想の下での校務DXについて

 

 

そこで出て来た様々な議論の中で、GIGA端末には子ども向けのクラウドツールがたくさん入っているのに、先生が使いこなせていない例がたくさんあること、また自治体のネットワークのセキュリティポリシーがやたらと細かいため、結果として校長室には何台もパソコンがあって、それぞれが別々のネットワークにつながっているという事態が発生している、という例もありました。

 

今の常識では、クラウド上でゼロトラストでセキュリティを保つ、ということになりますが、昔の常識で考えている地域では、ネットワークごとに細かく分けたがるのです。そして、パソコン間でデータを移すときにUSBを使う。これがちょいちょい紛失されて信用失墜…という、お決まりのコースです。いつまでもこんなことを繰り返さないために、敏感にならなければいけない場合が実は多々あります。こういったことも、先ほどの報告書に出ています。

 

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現在の校務の情報化の一番の課題は、校務処理の多くが職員室でしかできないことです。いろいろな所で仕事ができるようになっていないので、例えば子どもが病気になって、休まなければならなくなった先生が、校務情報にアクセスできない。その方が確かにセキュリティは高いかもしれませんが、働き方という点では大きな障害です。これからはロケーションフリーが原則です。

 

 

また、学習指導案を共同編集することは、いろいろなところで試みられていますが、ぜひみなさんもやってみてはどうでしょうか。これまでは、研究授業を引き受けた若い先生が一生懸命考えて作った指導案に偉い人たちが皆が赤を入れて、結局誰の指導案なのかわからないものになってしまう。それを授業にしたところでうまくいかなくて、逆に「何であんな授業をしたんだ」と叱られる。こんな授業研究は、先生たちを疲れさせるだけです。

 

最初に授業者からの案が出てきたら、見た人はコメント機能で「ここはこうすればいいんじゃないか」と入れればよい話で、作った人が「なるほど」と思ったら取り入れる、ということにする方がずっとよいと思います。

 

これは、先ほどの中学校の学力調査の問題の場面と同じです。つまり、先生たちがなさっている校務の仕事の仕方と、子どもに期待されている学習活動は相似形だということです。ですから、先生もどんどんクラウドを使っていろいろなことを便利にしていき、そこで身に付けたスキルや考え方を授業に持ち込めばよいということなのです。

 

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まとめに入ります。こちらはアクティブ・ラーニングの第一人者で、現在桐蔭学園の理事長をされている溝上慎一先生の本の中に書いてある例です。

 

ある中学校の授業を視察したときのこと。優秀な先生で、子どもたちは本当によく活動しているけれど、一人ぼっちで活動に参加しない生徒がいる。

 

溝上先生が一緒に見ていた同校の先生に訊くと、「●●くんはとてもおとなしくて、ふだんもあまりしゃべらない子です。だからアクティブ・ラーニングは難しいですね。でも成績はいいですよ」と答えたと。これに溝上先生は衝撃を受けたという話です。

 

 

確かに、そういう子を認めてあげることは、担任としては正しいあり方かもしれないし、自分もそういう気持ちはある。しかし人口減少のこれからの時代、うまく人と話し合えない人は、いくら成績が良くても、多分やっていけないと思う。寄り添いたい気持ちもわかるけれど、いくら知識があっても地頭が良くても、いくら良い大学を出ても、自分の考えを述べられない人、他者と議論ができない、あるいはしようとしない人がやっていけるような仕事や社会は、今ないのだと。教師はこのことを強く意識しなければいけないのではないか、というのを提言されています。

 

これについては、賛否いろいろあると思いますし、総論はそうであっても実際の現場はでは難しい、ということはあるでしょう。しかし、まさにこれは数年かけて私たちが意識して、変えていかなければならないところかもしれないと思います。

 

New Education Expo 2023 基調講演より