New Education Expo2022

「令和の日本型学校教育」の推進のための教育の情報化の動向

東北大学大学院/東京学芸大学大学院 堀田龍也先生

「令和の日本型学校教育」の背景

 

今回の演題にある「令和の日本型学校教育」という言葉は、文部科学省、中教審が使っていますが、単に「令和の学校教育」でなく、「日本型」と付いているところに意味があります。

 

これは、これまで日本がやってきた教育の全てを変えるということではなく、良いところは残しながら、硬直化しているところは変えていこうということです。しかも、大きな予算がつぎ込まれない中で実行していくための工夫が必要です。

 

本当は、予算が十分にあればよいのですが、日本のこれからを考えると、学校教育に多くの予算が付けられるのは、多分無理です。これは、教員が公務員であるため、一定の給料が保たれているので、仕事の仕方によって給料を変えるということがしにくいことにも一因があります。民間では、働き方の工夫とともに給与の工夫をしていますが、公務員はそうはいかない。ですから、教員が今のような待遇のままならば、少ない人数で回していくしかない、ということになってしまうのです。

 

今日は、そういった日本の現状と、それに対応するための工夫をどのように行っていくべきかということについて、お話ししていきたいと思います。

 

今日お話しすることは3つです。

 

1つ目は、子どもたちにどのような資質・能力が求められようになるか、というお話です。先生方はご存じと思いますが、今は「学力」と言わなくなって、「資質・能力」という言い方をします。

 

つまり、「学力」という言葉からイメージされる「測定可能で、教えたことがきちんと理解できる」といったことも大事ではありますが、それだけで世の中を渡っていけるような時代ではありません。そういったところで求められる、もっと広い意味の、学力のほかに例えば非認知能力なども含めたのが「資質・能力」です。

 


具体的に言えば、誰かと協力して問題解決に取り組むといったことも、重視すべき活動として教育の中に入ってきています。これは、日本が今までとはかなり違う状況になっていく(実は、すでになっていますが)ことに対応していかなければならない、ということの現れです。

 

学校教育というのは、昔からの制度がずっと続きがちな組織の中で行われますが、それでもその中で新しい時代の教育を作っていかなければならない。これが「令和の日本型学校教育」というものを考えなければならない、ということの趣旨です。

 

2つ目が、この「求められるようになる資質・能力の変化」と、学習インフラとしてのGIGAスクール構想についてです。GIGAスクール構想の本質というものが、十分に伝わってないところがあると思いますので、中教審でこれが議論されたときのお話をしたいと思います。

 

3つ目は、教育の情報化の最新の動向です。これは今まさに動いていることなので、これからどうなるかわからない部分もありますが、デジタル教科書や校務の情報化、教育データの活用といったことについて、私が座長をしたり、関わっていたりする範囲での最新情報をお伝えします。

 

これからの日本と、児童・生徒に求められる資質・能力の変化

 

こちらは、毎年私がこのセミナーでお見せしているグラフです。有名なグラフなので、皆さんもすでにご覧になったことがあると思います。

 

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日本は、人口減少社会に入ってすでに15年以上経過しています。この15年間に、人口が減ることを前提に仕事の仕方や組織の仕組みをどう変えてきたのか、ということが、今の働きやすさを決めています。

 

例えば民間では、在宅勤務をできるようにしたり、働く日数を週3日や週5日で選べるようにしたり、子育て中の人は時短勤務を可能にするなど柔軟な働き方を取り入れて働きやすさを追求し、それによって、能力のある人材を自分の会社で働いてもらえるよう工夫をしてきました。

 

ところが、日本の公立の学校の教員は公務員であるため、働き方が一律に規定されてしまっています。福利厚生は十分に工夫していますが、教員の仕事の量はむしろ増えています。

 

そういう状況の中で、デジタル化が進んでいないために限られた人数で何とか乗り越えようとして疲弊し、そのために学校はブラックだと言われるようになり、教員を希望する人も減っています。今年の教員採用試験は倍率が1倍を切る県が出てくるのではないか、ということが話題になっていますが、そういったことが現実に起こりつつあります。

 

これはかなり深刻な問題です。今、働いている人の働き方の問題だけでなく、学校教育のサステナビリティということに非常に大きな影響を与えます。

 

そして、今から28年後の2050年、現在小学校6年生の子が40歳になって社会の中心で働いたり、子育ての世代になったりしている頃、日本の人口は9500万人まで減少していると予測されています。とりわけ子どもの数が減ってるので、30年後は働き手がそれだけ減って、相対的には高齢者率が上がり、65歳以上が全人口の約4割になっているということです。

 

つまり、この頃は65歳以上の人にもしっかり働いて、社会に参画していただかないと持たない時代になってるということでもあります。今の65歳の方、皆さんお元気ですよね。さすがに20代、30代の人たちと同じようには働けないけれど、別の能力やスキルや人脈をお持ちです。

 

そういう方々が、20代や30代の人の働き方とは同じでなくても、持っている能力やスキルを活かせるような仕事の仕方を用意することが必要になります。今、話題になっているジョブ型雇用もその一つです。民間では、その人ごとの個性的な働き方をどのように認めていくか、という雇用がもはや普通になってきていますが、学校教育でもこれが非常に重要になっている、という時代なのです。

 

働き手の総数が少なくなるということは、1人あたりの生産効率が上がらなければなりません。今の人間ができることだけで仕事の範囲が閉じているようでは、生産効率は上がらないでしょう。ですから、今人間がやっていることの一部をAIやロボットなどのテクノロジーに任せて、人間の仕事は、人間にしかできないことに絞り込む、ということをいかに実現するか、ということですね。

 

そのために、小学校からコンピュータの操作やプログラミング教育が入ってきていますし、STEAM教育が重要だ、と言われているのもこのためです。これは単なる流行ではなくて、社会的には必然なのです。

 

大事なのは、このことを先生方がどのくらい実感を持って今の子どもたちを育てているか、ということです。自分が教わってきたときと同じような学習指導の再生産をしていたら、今から先の子どもたちはもう持ちません。ですから、これからの学校現場では、私たちが受けてきた教育と同じことをしない、というのが非常に重要になってくるということです。

 

 

先ほどは人口の話でしたが、下図は1人あたりのGDPです。

 

10年ごとの表ですが、2000年時点では日本は世界第2位でした。20年経った2020年は23位、今現在は28位とか30位とか言われていますが、すごい勢いで下落してます。

 

世界には約200の国があり、その中で20位台ならトップクラスじゃないか、という見方もありますが、先進国と言われているOECDの加盟国は約40か国。その中で20何位と考えると、私たちが子どものときは、「日本は立派な国で、俺たちはすごいんだ」と習いましたが、今はそんなふうに教えてはダメですね。そういう時代になってしまったのです。

 

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下図は、最近経済産業省が出した「世界競争力ランキング」です。世界競争力というのは、先ほどのGDPなど様々な指標を足し合わせたものですが、日本は現在31位です。アメリカも1位ではありません。逆に中国はどんどん上がってきて、間もなくアメリカを逆転するのではないか、と言われています。

 

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変わる社会、変わる仕事…これまでと同じ教育では将来必要な資質・能力は身に付けられない

 

下図は昨年末の日経新聞の記事で、今後どういった人材が必要になり、どういう人材が要らなくなるか、というものです。グラフの横軸に時間軸を取っていますが、2022年時点で人材が余るとされているのは、グラフの緑色の濃い所、事務職です。事務的な仕事の多くは、今すでにプログラムで置き換えられますし、ソースコードを使わずにシステムなどを開発するノーコードなど、様々なソリューションが出てきています。

 

クラウドがあれば、会計や文書の管理もそういったシステムでできてしまうので、大学でも事務を随分軽減していると聞きます。そもそも、皆が扱わなければならない書類には、相当部分同じことが書かれているので、処理や編集の仕方はだいたい同じと考えれば、事務的な作業はそういったツールに置き換わっていくのは当然ですよね。

 

一方で、人材が足りなくなるのがグラフの下半分の黄緑の部分、専門職です。専門職と言われる人たちの意思決定のスキルは相当高くて、ロボットやAIに置き換わることは、今すぐには難しいだろうと見られています。

 

専門職の人たちのほとんどが、何かの資格を取り、たくさんの知識を得て、深く考えて仕事をしています。これが今、「探究的な学び」が重視されている背景です。だから、「教科の学習が忙しいから、『探究』なんかやっている時間はない」というのは本末転倒で、子どもたちに探究活動をやらせないと、ロボットでもできる機械的なことしかできなくなり、結局は「要らない人」になってしまう、ということなるのです。

 

そのような社会の変化を見据え、子どもの将来に必要となる資質・能力を考えて、今どのような教育をしておかなければならないか、ということを逆算して出てきたのが、現在の学習指導要領であり、「令和の日本型学校教育」と言われるものです。ここが本質で、そのためのインフラとして入ったのがGIGAなのです。ですから、「GIGAで入ってきた端末を、今までの授業のどこで使えばよいか」という話とは全然違います。今お話したようなことをできる人たちを育てていく、これからの教育をリニューアルしていくときに、1人1台の端末を使うことを前提にしてやっていきましょう、という話です。

 

今現在、大人の私たちは、端末を全く使わず何か仕事をするということは少ないでしょう。その端末はスマホかもしれませんが、日常場面でも、知りたいことを取りあえず検索してみる、ということもたくさんあります。

 

例えば、今日この会場に来られるときに地図アプリや乗り換えアプリを使った人は多いと思います。来場の予約もインターネットでされたでしょう。それがもはや普通です。学校だけが、相変わらず紙の文化で動いてきたので、それを普通だと思っている学校の先生は、世間的にはもはや普通ではないという状態になっているのです。

 

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下図も経産省の最近のデータで、これからも必要とされる仕事、なくなっていく方向に向かう仕事はどのようなものかを示したものです。グラフの右の方がなくなる可能性が大きい仕事で、販売や事務、建設や掘削などが挙がっています。建設や掘削は、おそらく大きな機械に置き換わっていく、ということでしょう。大きな機械は、昔は粗い作業しかできませんでしたが、最近は、AIの発達とロボットの発達が掛け合わされて緻密に動くことができるようになりました。

 

農林水産業も同様です。最近、ブドウを収穫するロボットが出てきています。単に実をもぎ取るだけでなく、糖度や大きさなどをセンサーで自動的に測って、どのブドウが収穫してもよい状態かどうかということを判定しながら採っていく、というものです。アメリカの農業には、そういった機械がどんどん入ってきています。

 

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個人のキャリアパスも変化している

 

話は変わって、これは新入社員が入社して何年間この会社で働こうと思っているか、というグラフです。

 

全体で言うと、5割以上の人が10年以内で辞めると考えているということですね。さらに28.3%が3年以内で辞める、と。

  

 

「最近の若い連中はとんでもない!」と思われるでしょうか。しかしこの人たちは、やる気がないためにこう言うのではなく、ここでキャリアを積んで、新しいスキルを身に付けて、知識を身に付けて、人脈を作って、次にもっと自分の人生において望ましい方向にキャリアチェンジしていく、ということを繰り返していくということです。世の中はもう終身雇用が当たり前ではなくなっています。公務員の終身雇用というのは、日本の職種の中ではすでに非常にレアケースです。そこでやっていることが普通ではないことも、私たち教員は自覚しなければいけないということです。

 

とりわけ女性にとっては、今までの会社には、結婚したり子どもができたりして生活が大きく変わっても続けられる仕事というは、なかなかなかったと思います。それが、軽い仕事を働きやすくできる会社でやっていって、子育てが一段落したらまた別の会社で働く、ということが考えやすい世の中になってきているということでもあります。

 

ですから、今は転職も4回とか5回とかいうのも普通です。民間の会社で名刺交換するときに、「前は〇〇社にいました」という会話も自然に出てきます。それが教員の世界では、10年研修といって、10年間勤続していることをデフォルトで考えています。世の中では、10年で同期入社の51%がいなくなるのですから、教員研修の形も大幅にリニューアルしなければいけないはずです。

 

しかし、こういった仕組みを作ることの意思決定をしている人たちの多くが、終身雇用が当然、と思っている世代なので始末が悪い。時代に合わせて働きやすくしていく、というのは非常に重要なことです。しかし、残念ながら日本の制度は世の中の変化に間に合っていないということなのです。

 

 

下図もまた残念なグラフですが、左側は会社が人材にどれぐらい投資しているか、というものです。

 

日本は他の国に比べると、人材にお金をかける割合がとても低く、それが年々続いている。つまり、他国と比べて人を育てようとしていない組織構造になっているということです。

 

同時に、右側のグラフにあるように、一人ひとりも学ぼうとしていない。つまり、入社することがゴールになってしまっています。かつて大学生は入学したらもう勉強しない、と言われましたが、今はそうではありません。しかし、会社においては、人の意識がまだそうなっていません。その意味で、制度と意識には相関があるので、制度が追いついていない、という現実があります。こういったデータは、最近経済産業省から出た「未来人材ビジョン」(※1)に載っていますので、ご覧になってください。

 

※1 経済産業省「未来人材ビジョン」

 

 

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実際に求められる資質・能力は何か

 

このような世の中になったときに求められる資質・能力は何かということで、一つ話題として提供しておきたいのが「当事者意識」です。これは、少し前からよく話題になっています。

 

下図の左側、「将来の夢を持っている」という割合が日本は少ない。真ん中の「自分で国や社会を変えられると思う」は極めて少ない。そして、「自分が関わって解決したい課題がある」も少ない。私は、特にこれが問題だと思います。

 

主役になるとか、参画するというところに関心が薄くて、「私なんかがやらなくても、どうせ誰かが何かやってくれるんでしょ。自分が1票、入れたって関係ないし」という意識ですね。そうならないために、若年層の人口が減っているから選挙権を18歳に下ろすなど、いろいろ工夫はしていますが、彼らの意識がそのままでは投票率は上がりません。

 

結果的に投票をいっぱいしてくれるお年寄りのための政策が進み、若い人たちのための政策は、票にならないから進まない、ということになってしまう。これは非常に大きな問題であると思います。

 

私たちが大学生の頃は、授業料免除とか、奨学金とか、様々なシステムがありましたが、それらは今はほぼ潰えていて、よほどの競争率で勝ち残った人しかもらえない。しかもほんの少ししかもらえない上に返済の利子も付くということで、到底学びやすい環境にはなっていません。

 

若者たちの学びを保障するところにあまりお金が付かなかったのは、この年代の人たちが、投票したり意見を言ったりすることがないからです。社会は一人で動かすことはできず、一人ひとりの総和でできているという社会感が、若い人たちに育っていない、ということですね。

 

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下図も先ほどの「未来人材ビジョン」に載っている、2015年と2050年で、56の能力の中でどれが大事であると思うか、という調査です。2050年は、当然予測です。これを見ると、2015年では「注意深い」「真面目」「誠実」「基本的なことができる」「スピード」といったことが重視されていました。

 

対して2050年、今の小学校6年生が40歳になる頃は、「問題が発見できる」「的確な予測ができる」「人と違う革新的なことができる」「的確な決定ができる」といったことが重視されるようになるとされています。

 

こうなるのは当然ですね。どんな社会になるのか、予測がつかないのですから。今まで通りであれば、ミスなく真面目にできればよいですが、2050年代となると、多少ミスをしても、冒険しなければ新しいことが手に入らない世の中になっているでしょう。社会の変化が激しくて、誰も答えを知らない時代といえば、コロナがまさにそうでした。誰も答えを知らないから、皆がどうすればよいのかわからない。緊急時なのにいつも同じ意思決定をしようとする。例えば、休校になってしまうから、学校にある端末を子どもにどんどん持って帰らせようとしても、「壊れたらどうするんだ」ということで結局持ち帰れず、学習が止まってしまった、みたいなことがありましたね。

 

ある意味、これからはずっと緊急時ということになります。そういう社会で、今までの平和だった時代の意思決定が延長されことのリスクは非常に大きいです。現に今、ロシアとウクライナで戦争が起こっています。ロシアは日本の隣国ですし、東アジア諸国の中でも、日本は地政学的に危ういところにいます。こういった緊張感の中で、私たちは子どもたちを育てていかなければならないという意識が、先生たちの実感の中にどれぐらいあるかということが非常に重要であると思います。

 

中教審の中では、こういうことがよく話題に出た上で今回の学習指導要領が定められていったのですが、それが教育委員会を通って現場に下りていく中で、コンテンツの加除修正ばかりが話題になってしまって、基本となる資質・能力がどのように変わるべきか、といった話には思いをはせていないという現実があります。

 

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資質・能力の3つの柱の中で最も重視すべきは「学びに向かう力」

 

文科省が学習指導要領を作ったときに出した「資質・能力」は3つの柱で構成されています。「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力など」は、少し前からありました。知識・技能というのは、学習指導要領では常に最初に書かれてます。現行のものでも最初に書かれていますし。これが大事にされなかったときは今まで一回もありません。ですから、知識や技能はやはり大事です。

 

 

しかし、知識を身に付けるのは学校教育だけではありません。社会の変化が早いので、卒業して仕事に就いても自分で知識を得て身に付けていかなければならない時代に、先生が教えることを詰め込むことに長けているのと、自ら学び取ることができるのと、どちらが重要か、ということになります。だからこそ、学ぶスキルが重要になっているわけです。

 

「思考力、判断力、表現力」についても、そもそも「AをしたらBになる」ということが一様に決まっている部分は、全てAIに置き換え可能であることを考えると、「AをしたらBになるけど、A’をしたらCになる。どちらを選ぶべきか」を判断しなければいけない、というのが難しいわけです。そういうこと考えられるようにするためには、自分で判断し、自己決定させるとか、自己調整させる、自分のペースで取り組むといったことが非常に重要であり、これは学ぶスキルでもあります。

 

それをするためには、学びに向かう力(これはemotion、気持ちですね)が前に向いていないとダメです。多少失敗したり、苦手なことがあったり、友達から「これは違うよ」と言われたりして、その結果凹んでしまって学ばなくなるというのではなく、失敗しても「もう一度やってみよう、今度はこうやってみよう、あの人のやり方が面白いから今度は取り入れてみよう」と考えられる姿勢、これが「学びに向かう力」です。こういった心情的な部分とスキル的な部分が相まって、資質・能力として身に付くということです。

 

このように3つの円で描かれている中でどれが一番大事かと言うと、やはり「学びに向かう力」です。ただ、これは数回の授業では身に付けることはできません。多くの学校では、知識や技能が身に付いているかどうか、というところを評価しがちですが、本当は方向性の目標として、学びに向かう力が育つ方向で、学校を挙げて指導しているか、ということが評価されなければなりません。

 

ですから、これからは授業の評価ばかりやってないで、学校の組織としての評価をしっかり行う。教育委員会としての経営評価をきちんとやる、ということが大事です。

 

 

この資質・能力の3つの柱を上に置いて、これらを「何ができるようになるか」という言い方にして、「何を学ぶか」「どのように学ぶか」の3点セットになっているのが下図です。これは中教審が出したもので、非常にポピュラーなものですが、読み違えている場合がけっこうあります。最大目標は「何かできるようになるか」です。ここが疎かなままであると、今後ずっと学び続けたり、問題を解決し続けたりすることができないからです。

 

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教え方・学び方を変えていく必要~全国学力調査の出題の変化にも

 

教員は、どうしても「何かを教えて学ばせなければいけない」ということが気になりがちです。もちろん、時代が変われば新しい教育内容が出てきますから、加除修正は当然起こりますが、それは学ぶコンテンツの種類の問題であって、それぞれのコンテンツを本当に小中高の12年間で覚えなければいければいけないのか、ということも考えてみてください。

 

細かいことを覚えなくても、その場で検索すればわかりますから、概念を理解できていて細かいことはいつでも探せるスキルがある方が意味があり、さらに、必要な知識を集めるだけ集めて、そこから「自分にとって今何が重要か」ということを判断できることの方が大事ですよね。先生が全部教えてくれることに頼っていては、そういう勉強の仕方はできません。ですから、先生から教わることは、それはそれで大事なことで、これからもなくならないと思いますが、そういう勉強の仕方しか知らないようでは、おそらくこれからの問題は解決できないと思います。

 

例えば、今YouTubeにたくさんの学習動画があります。「学習動画を見てもよくわからなかった。だからYouTubeはダメだ」と言う人がいますが、それは学び取るスキルが足りないのだと思います。動画から学ぶことができなければ、生涯にわたってeラーニングで学ぶことはできず、それはその子の将来を狭めてしまうことになります。

 

ですから、学校教育の中で、動画から大事なことを取り出してまとめたり、友達が取り出したことと自分が取り出したことの違いを見比べたり付け足しあったりした上で、もう1回見て、「そういうことだったのか」とわかり直したりする学習活動をやっておかなければならないのです。

 

これからの教員は「教えない」ということが大事です。生徒を学ばせる、学び取らせるということに強い学習者にする、ということが重要で、そのためには学び方の多様性を経験している、ということが重要です。ですから、授業改善の工夫というのは非常に重要なところです。

 

 

下図は4月に公表された全国学力・学習状況調査の中学校の国語の第1問で、「国語の時間に最近気になったことについてスピーチをする」という題材の問題です。ここでは、スピーチの様子を動画に撮って、生徒がそれを見ながら、途中で動画を止めて話し合っています。

 

学力調査が、このような学習経験がされているという前提で動いているということは、こういった活動をふだんからしている子には場面がすぐ想定できますが、授業で先生の話を聞くことしかしていない子どもたちは、たぶん動画を止めることの意味がわからない、つまりシチュエーションが理解できません。これは致命的だと思います。

 

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同じ国語の第2問は横書きです。それだけでも国語としては画期的ですが、さらに本文中には「作業の一部を自動化した」「スマート農業」と書かれていて、題材は「Society 5.0」です。

 

これはある人の意見文の下書きで、そこに署名の入ったコメントが付いていますから、共同編集をしています。日頃からGoogle Documentなどでこういった活動をしていれば、このシチュエーションを理解できますが、経験がないために何をしているかわからない子どももいたかもしれません。

 

これを見て、「ICTを使っていない子に不利だから、こういう学力調査はおかしい」という方もいらっしゃいますが、これからの時代の学びでは、こういった活動に慣れていないのは指導不足だということになります。学力調査の問題がこのように変わっているのは、学習指導要領を反映しているのです。

 

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こちらは理科で、実際の観察と、観測データの組み合わせの問題です。百葉箱は昔からありましたが、今は全てセンサー化しています。そこで得られたデータと、ネットで得られる情報とを比較する、つまり体験とデータをつなぐ活動です。

 

理科は体験が重要な教科ですが、そこでもデータと突き合わせるという活動を、学力調査の問題として出すところまで来ている、ということです。

 

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数学では、こま回し大会で回る時間の統計を取った問題が出題されました。中学校でこま回し大会というのは、やや無理なシチュエーションですが、作題した人は、おそらく日常生活の文脈の中でイメージできることを問題にしようとしたのでしょう。

 

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こまAとこまBの回った時間は、下図の左のグラフのような分布になっています。Bの方が安定していますが、平均は大体同じということです。

 

さらに、回すときの高さを見ると、右のグラフのようなバラつきがあります。

 

「箱ひげ図」は、学習指導要領が変わって中学校2年生に入ってきましたが、「中2で習っているから、中3なら当然解けるよね」という出題です。

 

これはまさにデータの活用であり、世の中のいろいろなデータが集約されたときに、それを読み取る力がないといけないよ、という、現代の数学教育の非常に重要なところになります。

 

ところが、今の数学の先生の多くが学んで来られたのは、微分・積分のような解析学か代数学、幾何学が中心で、統計学は、かつては大学の数学科では隅っこの科目でした。それが今は、統計学が一躍中心になっています。数学を専門に勉強してきた人ほど、当時は統計学がこんなに重要になるとは思っていなかったでしょう。しかし、そういったパラダイムシフトは、データでAIが動いている時代感を考えれば当然のことでしょう。社会の動きを広く見ていないと、実感が伴わないということになります。

 

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今回は、小学校の6年の算数でプログラミングが出題されて、話題になりました。

 

これは正方形を作るプログラムで、5cm行って90°曲がることを繰り返したらこうなりました、というもので、これは誰でもわかります。子どもたちは、「やったー、いつもやってる問題が出た!」みたいな感じですが、これはいわばお約束で、次に三角形を描くならどうなるかという問題です。

 

正三角形ならば60°だろう、ということで60°曲がると、左下のスライドのようなことになってしまいます。このプログラムのどこをどのように直せばよいのかを選択肢から選ぶというものですね。

 

これはプログラミングを経験している子には、さほど問題なくできると思いますが、やったことがない人は、これがプログラムだということからわからない。プログラミング体験がなければ、「プログラムというのは、手順を追ってコンピュータに仕事をさせることである」というのが、多分ぴんとこないと思います。

 

プログラミングは、小学校の学習指導要領に入っていますが、2020年度に始まって2021年度(2022年4月)の学力調査に既に出題されているということは、それだけプログラミングをきちんとやっているはずですよね、という確認をされていることになります。

 

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学習状況調査の質問に込められた国の意図を読み解く

 

一方で、学習状況調査の方ではICTをちゃんと使っているかを聞いていますが、この回答状況を見れば、利用の実態はわかるわけですね。これは、教育課程を満足する学力指導をきちんと実施しているか、学校が責任を持って教育課程を編成しているか、ということを表します。

 

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確かに、この間学校はコロナ対応で大変でしたが、「新しい内容だから」とか「きちんと教えられる人がいないから」、といった理由でやらずに済まそうとするのは、体育で跳び箱を片付けるのがたいへんだから跳び箱はやらない、と同様にナンセンスな話だと思います。

 

また、学校質問紙には、「生徒にウェブブラウザによるインターネット検索をさせているか」「生徒が自分の考えを発表・表現させる場面はあるか」「先生と子どもがやりとりする場面はあるか」「子ども同士がやりとりする場面はあるか」といった質問があります。これらは特に新しいソフトを買わなくてもできることばかりですから、「普通にクラウドツールでできることを、禁止せずにやらせていますよね」ということを聞いています。

 

GIGAスクールというのは、そもそもコンテンツにお金をかけず、端末とクラウドと、一般的に使われるほぼ無料のクラウドツールを使って、子どもが学ぶ上で、何か調べたり、まとめたり、伝えるたり、それで先生と子どものコミュニケーションが増えるということを期待して、インフラとして入れるものです。そういうことが増えていかないと、「令和の日本型学校教育」ができないから、主体的・対話的で深い学びにならないから、学び方の多様性が保障できないから、ということです。何を学ぶかだけでなく、どのように学ぶかをきちんと実現できるようにするためのものです。

 

そこから言えば、高価なAIドリルのようなものは、GIGAスクール構想の仕様から見ればオプションで、そこに力を入れたいところがビジョンを持ち予算を確保して入れればよい、という扱いです。

 

 

こちらは、端末をどの程度家庭で利用できるようにしているか、つまり「家庭に持ち帰らせていますか」という質問です。選択肢は、「毎日持ち帰っている」「時々持ち帰っている」「持ち帰らせていない」の次に、最後に「持ち帰ってはいけないこととしている」と意識に関するものも入っています。

 

この選択肢を考えるのは大変だと思うですが、その意味でこういった細部に意図がありますので、回答する校長先生には、こういったところを読み取っていただかないといけないことになります。

 

 

子どもへの質問紙も、少し前までは「携帯を何時間使っているか」といったものが多かったですが、今は「勉強のためにスマートフォンやコンピュータなどのICT機器をどのくらい使っていますか」という形で、勉強のために使うということを推奨しています。

 

これは、持ち帰ったコンピュータを使って、先ほど出て来たように、家庭でも動画で学ぶというようなことが行われているか、ということを問うているもので、こういった質問の形で国としての期待値が伝えられている、ということです。

 

 

さらに、全国学力・学習状況調査は、2025年の中学校調査からCBTでの実施が決まっています。2025年ということは、今回2022年の調査が終わっていますから、今の方法はあと2回だけで、2025年の中3生の学力調査からはCBTで行われます。

 

学習状況調査の方はアンケート調査ですから、もっと早く前倒しでCBTで行われるようになります。実際、今年は20万人以上の子どもがCBTで受けていますが、ほとんどトラブルはありません。実際にあったトラブルは「回線が遅い」というものですが、これはCBTの問題ではなくて、その通信環境の整備の問題ですね。あとは「子どもが慣れていない」というものがありましたが、これも経験させていないのでは仕方ありません。

 

今後、資格試験をはじめとして、様々なテストがどんどんCBTになります。大学の学内の試験もCBTがほとんどですから、CBTの経験がないということは、模擬試験を受けずに本番の試験を受けるようなものです。

 

ですから、今文科省はMEXCBT(※2 メクビット)という、CBTを経験できるようなデジタル教材の枠組みを提供し、いろいろな県が実施している問題をそこに入れて、お試しで練習できるようにしています。まだ手を挙げてる所は少ないですが、このように政策と連動しています。

 

※2 文部科学省CBTシステム(MEXCBT)

 

 

大学入学共通テストへの「情報I」の導入

 

もう一つが、これも話題になった大学入学共通テストですね。これまで5教科7科目だったものが、2025年から6教科8科目になります。

 

2025年の共通テストというのは、今年2022年の高等学校の学習指導要領は新しくなりましたから、今年の高等学校1年生が3年生になって受験する、2025年1月実施の共通テストということです。

 

大学側から見れば、学生が大学に入って来る年で数えますから、2025年度入学生のための共通テストで、これに国語や日本史や地理と同じように、「情報」を出しますよ、ということです。新しい学習指導要領では「情報I」が全員必履修になるので、これが可能なるわけです。

 

 

ただ、共通テストに「情報」が導入されても、これを使うかどうかは各大学・各学部が決めます。東大はいち早く全部で使うと宣言していますし、理系の人が多い大学などでは、おそらく使われることになるでしょう。現在、そういったことが各大学で検討されています。

 

学部によって重み付けは違うと思いますが、基本的には、高等学校で「情報」を勉強してきた人が、入試で出題される程度の内容をきちんと身に付けた上で入学する方がよいわけです。今、大学では履修登録からして全てオンラインで行っています。それに対応できない人は、どんどんついていけなくなってしまいます。

 

さらに、今は全ての大学で文系・理系関わりなく「数理・データサイエンス・AI教育」を行うということになっています。文部科学省はカリキュラムのスタンダードを決めて、補助金まで出しています。そういう状況ですから、ICT自体の仕組みやテクノロジーが支える社会の構造が理解できていないと、大学での勉強は大変なことになるでしょう。

 

ここまでは、これからの日本がどうなるかという話と、そこで求められる資質・能力がどのように変わってくるかという話をしてきました。それは既に学力調査の出題にも表出してきているということで、授業でICTなんて使ったことがない、というわけにはいかないところまで来ているということですね。

 

 

 

令和の日本型教育とは何か~「個別最適な学び」と「協働的な学び」

今日の2つ目のお話は、「令和の日本型学校教育とは何か」ということです。「令和の」ということは、最近できた、ということですね。「日本型」というのは、先ほどもお話ししたように、これまでの日本の教育の良いところはできるだけ残しながら、ということです。

 


例えば、今話題になっている部活の指導をどうするのかという問題があります。部活で育つ子は多いと思いますし、それをやるために教員になった人もいるでしょう。ですから、部活は全面的になくすことはできないし、意味があることです。しかし、だからと言って、皆がやらなければいけないとか、皆が頑張らないと勝てるチームにならない、というのは学校側の論理です。子どもの方はどうなのか、あるいは、先生たちの間でも、皆が必ずどこかの部活を指導しなければいけないことが働きやすさをスポイルする原因になって、若い人が教員を志望しなくなっている背景の一つになっているとも言われています。

 

最近、柔道が小学生の全国大会をなくすということが話題になりましたが、早くから日本一を目指して激しい競争をさせても大丈夫なのか、とか、本当に生涯学習につながるのか、といったことが今いろいろ議論されています。これについては、スポーツ庁が機構改革で新しく地域スポーツ課という新しい課を作って、地域ぐるみでスポーツの指導をする仕組み作りに取り組んでいます。

 

部活は、実は学校教育では「教育課程外」とされ、少し前までは学習指導要領には書かれていなかったことです。それでも、日本型の学校教育の中では、それなりに機能してきたことなので、どのように新しい形に組み換えていくかを考えたとき議論になります。高学年の教科担任制の問題も、この文脈の中の一つです。

 

このような「令和の日本型学校教育」がどうあるべきかということが書かれているのが、中央教育審議会の最新の答申、令和3年1月26日のものです。

 

この構築を目指すために、「全ての子どもたちを取り残さない」ということがスローガンとなっています。もう一つが「個別最適な学び」と「協働的な学び」とありますが、答申の中には、「これらの一体的な充実」と書かれていて、この2つが「令和の日本型学校教育」のキーワードになっています。

 

このキーワードが一人歩きして、例えば「個別最適な学びだから、1人ずつ内容の違うテストをする」とか、あるいは「協働的な学びのために学級会を毎日のようにする」という、よく考えるとちょっと違うのではないか、という話も聞きます。「個別最適」や「協働的」の本質は何か、というところが見失われると間違った方向に進んでしまうので、ここからはその辺りの話をしたいと思います。

 

 

こちらは、先ほどの答申について議論していた、令和2年の7月の教育課程部会の議事録の私の発言の部分です。

 

 

 

「個別最適化」とは、誰にとって最適化なのか、という意味では、子どもにとって最適であることは了解できますが、では「誰が最適化するのか」というのが問題です。先生がするのか、AIが判定するのか、あるいは子どもが自分で自分の学びを最適にするという話なのか。ここは非常に重要だから、きちんと詰めておかないといけないということを述べました。

 

「個別最適化」というのは、もともと経済産業省の周辺から出てきた言葉です。この言葉は、塾などでは非常に有効に機能しますが、学校教育に持ち込んだとき、「誰が」個別最適化してくれるのか、さらにそれが教師の負担増にならないか、あるいは単にAIに言われたとおりに勉強する人にならないか、といった危惧を発言したということです。

 

子どもが学んだ結果がサマライズされ、可視化されるということには意味があります。しかし、その上で、次に何をすべきかを自分で決める、自己決定をさせることが必要です。

 

さらに、低学年では自分で決められない段階というものは当然ありますから、自分で決められないときは先生が手伝って決めたり、ある程度AIの言うことを参考にして決めたりということはあり得ます。しかし、そこであくまで子ども自身が決めたのだということをきちんと担保していかないと、自律的な学習者にはならないよ、という意見です。

 

このような議論を経て出てきたのが、「個別最適化」ではなく「個別最適な学び」です。「学び」とありますので、主語は子どもです。「個別最適な学び」というのは、日本語として少々変ですが、こういった経緯でこの言葉になりました。

 

もう一つが「協働的な学び」です。この対義語であると考えると「個別的な学び」でもよかったのですが、そこに「最適」と入ってるのがポイントです。本人が最適だと思う、つまり、本人自身の興味や関心、ペース、やってみたいこと、挑戦してみたいことを大事にするという、これからの時代の学びに向かう力を尊重して概念化されたということです。

 

 

「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実によって、「主体的・対話的で深い学び」が実現

 

下図は文科省が中教審の中で出してきた「令和の日本型教育」の学びのイメージの図(※3)です。非常によくできた図ですが、下のところに「個別最適な学び」と「協働的な学び」が一体的に充実することによって、「主体的・対話的で深い学び」が実現するようになることを示しています。

 

このようなことを目指した授業改善が行われることによって、子どもたちに資質・能力が身に付いていく。つまり、多様な学習体験をすることで資質・能力が身に付き、それによっていろいろな国や社会の人とつながったり、一人ひとりの強みを生かした学びや文化に親しんだりする学びができるようになります。

 

これからは、学校で教員から教えてもらうだけの時代ではないので、こういったことが自分でできる人にならないといけない。そのための資質・能力が育つ必要があって、そのためには今までの教え方ではダメだから、授業改善をすることが必要であり、それを支えているのがこの2つの概念だ、という話です。

 

※3 https://www.mext.go.jp/content/20201222-mxt_kyoiku01-000011778_7.pdf

 

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先ほどの図の左側の、「個別最適な学び」の部分を拡大したのがこちらです。個別最適な学びには、教育学的に2種類あるということが明確に書かれてます。この答申は、校内研究会などでぜひ読まれたらよいと思います。

 

ここに書かれている個別最適な学びというのは、基本的には、「指導の個別化」と「学習の個性化」の2つの概念の組み合わせでできている、ということです。

 

わかりやすいのは指導の個別化です。子どもによって進度や理解度の違いがあるので、その子のペースや能力に合わせて教えましょう、と。すると、40人のクラスでは40通りのスピードや内容の分岐が必要になるので、教員一人ではとてもカバーできない。そこでコンピュータの力を借りましょう、ということです。

 

昔でいえばCAI(computer assisted instruction:コンピュータ支援教育)と言われるコンピュータの利用法として研究されていました。それが今はAIも使った学習ソフトとして市販されるようになり、塾などで効果を上げているので、それが逆輸入される形で、学校教育でも使ったら便利ではないか、という話ですね。 

 

 

 

ここでのポイントは、そういうソフトを便利に使うのは良いのですが、それどのように使うかを決めるのは子ども自身であるべき、ということです。子どもが「次はこの問題をやろう。AIも言っているし、私もそう思うから」という形でコミットして取り組むのか、ソフトが表示したものを、そのままひたすら時間いっぱい解き続けるのか、という、子ども自身の主体性の違いです。

 

そして、教員が、子どもが意思決定をする際の相談相手になっていることが重要です。これから学び続ける人となるために、「苦手なことは避ければよいのではなく、いつか潰さなければいけないから、そのときにはこうしたらいいよ」というアドバイスしたり、子どもが「友達がやっているから、今日は僕もこれがやりたい」と訴えてきたときに、教員が一緒に判断してあげたりすることで、教室の営みはなくならないと思います。

 

確かに、学習内容をその子たちに適切に合わせるというところには、コンピュータは非常に有効に機能します。これは、AIドリルのようなものを使うとある程度はできるので、そういうところにお金をかけたがる自治体は多いのですが、GIGAスクール構想では、これについては明確には予算に入っていません。

 

そこを時々勘違いして、個別最適な学びならAIドリルをやらせればよいとしているところがありますが、学校では昔から紙ベースのドリルはいろいろやってきていました。

 

ドリルだけが学校教育というわけではありませんし、学校では、自分のペースで取り組んだり、締め切りを守ったりといった、学びに向かう姿勢のようなこともドリルの学びに含まれています。ですから、そういったツールを使いながら、これまでのようなエモーショナルな部分をきちんと育ててるということが大事であると思います。

 

もう一つの「学習の個性化」というのは、その子自身の興味・関心です。その子がやりたいこと、こだわりたいことについて、できるだけ自分で決めさせる。先ほどの図の左側は、やることは一緒で、そこに到達する速度が違うということでしたが、右側は、やること自体が一人ひとり少しずつ違うということです。

 

これは、例えばあるクラスの総合的な学習の時間で環境問題を取り上げることになったとき、ある子はリサイクルをやりたい、ある子はペットボトルの処理をやりたい、ある子はもっと別のことをやりたいと言ったとします。こういう時、先生自身がそれぞれのテーマに精通しているかというと、そうではない。生徒が「先生、リサイクルのこんなページあったけど、先生はどう思いますか」と聞いてきても、教員自身が見たことがないページの可能性もあるわけです。こういう場合、教員は万能なリソースではない、ということになります。

 

先ほどの左側、子どもがやることが同じ場合は、とりあえず何とかなりますが、右側は教員1人では無理です。そのために1人に1台コンピュータがあり、それなりに多様なリソースにいつでもアクセスできるようになっている。これがGIGAスクール構想です。

 

ですから、生徒一人ひとりにツールを十分に使いこなせる程度の情報活用能力を身に付けさせていれば、先ほどの図の右側のことは比較的簡単にできますが、そうでなければ無理です。この情報活用能力というのは非常に重要で、ICTを操作するスキルと、ICTを経由してやって来る情報をきちんと判断し、取り扱う力の両方を言います。

 

これがないと、一人ひとりに端末を持たせても、うまく検索ができなかったり、最初に出てきたものを全部うのみにしてしまったり、コピペだけ覚えて適当に貼り合わせてあたかも自分が考えたかのように見せかけてしまう、といった、むしろダメな人を育てることになってしまいます。この知的活動も含めた情報活用能力が、今回は学習指導要領の総則の中に、「学習の基盤となる資質・能力」として入っています。これも今回の学習指導要領の大きなポイントです。これについては、後ほど改めてお話しします。

 

このような活動をしていると、先ほどのリサイクルの話でいえば、ペットボトルのことを調べている子がリサイクルの話に行き着いたり、サイクルのことを調べている子が、リサイクルの1つにペットボトルがあることに気づいたりします。そうやって、それぞれがやってることが可視化されて、「あなたがやっていることは私のやっていることに近いから、一緒に調べよう」という会話が自然に生まれるようになります。ですから、「協働的な学び」がこの「学びの個性化」のすぐ隣に置いてあるのですね。

 

ですから、この絵は非常によく考えられていて、しかも、生徒一人ひとりが自らの学習を調整できるような自律的な学習者であるという前提で、多様な他者と協働する、ということを表しています。

 

一人ひとりの強みや可能性もあれば、まだ十分にできないところもあるけれど、そういったことがあるから、他の人と一緒に活動することが、協働の学びとして花開くということです。

 

ですから、何も自分で考えさせていないままで、「さあ、皆で一緒に考えましょう」と言ってもうまくいきません。たまたまその内容に詳しい子が1人いたら、皆がその子の言うことを聞くだけになってしまいます。

 

また、その意味で「協働的な学び」というのは、この図の右端にあるように、クラスメートだけでなく、異学年や他校の生徒、地域の人など、対象を広げていけるようにすることも目指します。図の下の方に行くにつれてより高度な経験になります。それが社会に開かれた教育課程という言い方で、学習指導要領に埋め込まれています。

 

 

個別最適な学びと協働的な学びは同時多発的に起こる

 

気を付けなければいけないのは、個別最適な学びと協働的な学びは同時多発的に起こります。ですから、「今から個別でやります」とか、「さあ、みんな個別はやめて、次は協働でやりましょう」ということにはならない、ということです。そういうやり方をしている限り、先生がコントロールしているので、一斉授業なのか何だかわからないものになってしまいます。

 

本当は、やり方の手順をきちんと教えて、何度も繰り返して習慣化する中で学ぶスキルが身に付けば、子ども自身が見通しを持って取り組むことができるようになります。最初は5分だけでも、次は10分、15分と延ばしていき、そのうちに「次の時間までこれをやっておこう」という、自分のペースをメタ認知しながら取り組むことができるようになるということですね。

 

そうなると、同じ授業の中で、ある子は今はここに集中して1人でやりたいという時間になるし、別の子は友達と相談しながらやるということも可能です。このように、個別と協働というのは、学習活動としては、同時多発で出てくるようになるのが本当の一体的な充実ということになります。ですから、教員のコントロールは早めに引き上げるべきで、いつまでも仕切ってあげていてはいけない、ということなのです。

 

 

GIGAスクール構想の本質は何か

 

今日は「令和の日本型学校教育」の授業の側面についてお話ししましたが、それではGIGAスクール構想の本質は何か、ということをお話ししたいと思います。

 

下図は、文部科学省が学習指導要領をもとに作った図です。一番上に、「Society 5.0」や「2030年の社会」ということを念頭に置いて、どのような資質・能力が必要か、ということが書かれています。

これを身に付けさせるためには「主体的・対話的な深い学び」に向かう授業改善が必要である。そのためには「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実が必要であって、これらスムーズに行うためには、GIGAの端末で高速ネットワークに接続してクラウドを使うということが不可欠であるという話です。

 

つまり、GIGAスクール構想というのは、学習指導要領を満足に実施するためのインフラ整備ということです。道路をきちんと舗装しておいた方が、車は安全に走るし壊れにくいよね、というお話です。実際は、学習指導要領の方が先に出てしまいましたが、GIGAスクールはそういったインフラの整備を行っているということです。

 

ですので、ICTを使いたいときだけで使えばいい、という話はちょっと論点が違います。あるいは、「コンピュータを使うことが目的ではない」と言う人もいますが、一定期間はコンピュータを使うことを目的にしなければ、いつまでも使えるようにはなりません。使いこなせるようにならなければ、ここでこそ使うべきだという意思決定も、自分で判断できません。

 

ですから、ある時期集中的に思考ツールを体験させたり、協働でJamboardで意見をまとめたりといった操作の演習を行うことは、情報活用能力の育成として非常に重要に重要です。

 

このことは、現在はカリキュラム・マネジメントの一環として、学習指導要領の総則の「学校で教育課程を編成する」というところに書かれているものの、個々の教科の内容にも入ってるわけではないので、ややもすれば教え損なわれるときがあります。

 

ですから、私は小学校でも中学校でも、高等学校と同じように教科の「情報」が必要だと思います。このためには、各教科の授業時数を削ることになるので、実現するかどうかは次の学習指導要領がどうなるかで決まるかと思います。

 

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PISAで明らかになった学習におけるICT活用の実態

 

GIGAスクール構想で、1人1台端末が実現することになった直接的な背景としてよく言われるのが、3年に1回実施されるOECDの国際学力調査(PISA)です。

 

ここでは、問題解決的な学力の調査とともに、どのような勉強の仕方をどのくらいしているのか、ということで、ICT活用の調査も行っています。

 

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ICTを授業で使っている時間を見ると、世界的に見ると日本は圧倒的な最下位です。一方で1位というのもあって、それがチャットとゲームです。つまり、別にICTが使えないわけではないし、家にはICTの機器があるから使うことはできるけれど、学校には機器がないし、勉強の場面で使っていない、学習の道具になっていないということです。

 

これから仕事の道具としてICTを使うことになる人たちが、子どもにとっての大事な問題解決の場である学校での勉強で、ICTを道具として使っていないという経験不足は、その後大きく響くことになるでしょう、ということです。

 

このことは2018年の調査で大きな話題になりましたが、実は前回2015年も、その前の2012年も2009年でも同じような結果であったにもかかわらず、状況は大きくは変わりませんでした。しかし、2015年の時点で、さすがにこれはまずい、という機運が高まって、補正予算にGIGAスクールのための予算が一気に付く原動力の1つとなったということがありました。

 

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先ほどもお話しした中教審の最新の答申には、「GIGAの端末は、ここからネットワークを通じてクラウドにアクセスして、クラウド上のデータや各種サービスを活用することを前提としている」と書かれています。つまり、クラウドのサービス・ツールを使うことが授業の前提になりますよ、ということです。

 

ですから、まだ授業でクラウドのサービスを使っていないところは、かなりまずい状況にあると思ってください。クラウドへのアクセスがいつでもできるようにするためには、当然、高速大容量のネットワークがないといけません。クラウド利用の禁止などあり得ないことですし、端末の家庭への持ち帰りも当たり前です。これは国の答申に書いてあることで、国は推奨しているのです。しかし、現場でそれができないとするなら、途中で止めているところがあるということになりますね。

 

国際比較的に見ても相当遅れていた日本が、ようやく国がここまで言うようになったのに、それを阻もうとするところがあるのは、とても悲しい現実だと思います。

 

ほとんどの小中学校の設置者は市町村ですから、市町村の教育委員会の理解は非常に重要です。しかし、市町村によっては指導主事も置けない規模のところも少なくないので、その場合は都道府県の教育委員会が音頭を取って、連携して取り組むことが推奨されています。ですから、例えば、奈良県はGIGAスクール構想で、皆がうまく足並みを揃えることができました。しかし、県によってはそれがうまくいかなかったり、周りを見てやらないところがあると、むしろやらない方向に倣ってしまったり、といったことも、残念ながらあるようです。

 

答申にこう書かれている以上、先ほどの全国学力・学習状況調査でも端末を持ち帰らせているかを聞いていたように、今後はネットワーク環境に関する調査も進められると思います。きちんと整っているところと、まだ整ってないところ(これは「これから整える」という言い方になりますが)の整備状況が文科省から公表されるでしょう。

 

 

ICT端末のさらなる整備に向けて

 

これはGIGAスクールの仕様書に入っている、3つの主なOS別の学習用ソフトです。基本がwebブラウザ、文書作成ソフト、表計算ソフト、プレゼンソフト、あとはクラス管理やチャット、ファイル共有など学習支援のためのGoogle ClassroomやTeamsのようなものが挙げられています。そのほかに、授業で使うためにこういったものがあるといいね、といったソフトや機能が挙げられています。全て無料で使えるもので、これがGIGAスクールのコンセプトです。

 

ですから、「令和の日本型学校教育」を実現するためのGIGAスクールの端末の、あるいはツールの活用について、私がお話ししたことと、皆さんがイメージされることがもしずれているとしたら、それは多分、教育委員会がちょっとずらしてしまっているのかもしれない。その部分については、次に向けて端末をリプレースする時期が間もなく来ますので、そのときにはきちんと考えなければいけないことだと思います。

 

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さらに、「1人1台端末の活用に関する方針等について」ということで、国がこのようなタスクリストや、保護者と共通理解のポイントを出しています。文科省内でも、これは口出し過ぎではないか、と議論になってはいますが、サンプルとして何か見せることで、自治体が改良して決めるのであればそれでいいということなりました。

 

確かに、GIGAスクールは4年かけて整備する予定だったものが、新型コロナの影響もあって1年間で完了させてしまったので、急ぎ過ぎたがために、市町村の制度が追いついてない部分があります。そのため、こういったところまで、今のうちに担保しておこうというところがあります。

 

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もう一つは高等学校の端末整備です。GIGAスクール構想の端末は、義務教育段階の小中学校で整備し、高等学校については対象外でした。高等学校は事実上90何%が進学するとしても、義務教育ではありませんし、おそらく自治体間格差は小中学校ほどはないので、高等学校の整備は都道府県でしっかり決めてね、ということになっているわけです。

 

このグラフにあるように、既に1人1台端末を用意しているところもあれば、BYODも含めてやってるところ、令和6年度に予定、というところもあります。教育というのは、国が一定の基準を示していくので、それにどれだけついていくか、ということは大事なポイントではないかと思います。

 

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教育の情報科の最新動向~「情報活用能力」の位置づけ

 

最後に、最近の動向のお話をします。

 


まず、「情報活用能力」の位置づけにつきまして。

 

先ほども申しましたが、「情報活用能力」という言葉自体は1980年代からありますが、小学校・中学校・高等学校の全ての学習指導要領の総則に、学習の基盤となる資質・能力として、「言語能力、情報活用能力、問題発見・解決能力等」として挙げられたことで、にわかに重視されるようになっています。この「等」に何が入るかということは次の課題で、次の学習指導要領までに検討されることになると思います。

 

人間は言葉で思考しますから、言語能力が重要であることは、以前から言われています。ですから、前回の学習指導要領から「言語活動の充実」ということで、国語以外の場面でも様々な活動が行われてきました。ですから、対話的な学びのようなことは比較的充実しています。ただ、対話だけだと1対1のイメージがあるので、今回の学習指導要領では「協働的」と言葉が出てきて、クラウドを使って皆で話し合ったり共有したりすることが出てきている、ということです。このように、「言語能力」は、少しずつ変わってきていますが、以前からあったものです。

 

「問題発見・解決能力」は、前々から「問題解決能力」という言葉がありました。最近「問題発見」が加わったのは、「これからは、問題が決まれば、解決はAIがやるところが多くなるから、問題を発見できることのほうが重要だろう。『この状況を改善しよう』と思えるのはAIではなくて人間だから、むしろ人間として必要なのは問題を発見することだ」ということで、そこが重点化された言葉が「問題発見・解決能力」です。

 

この2つに割り込むように、「情報活用能力(情報モラルを含む)」というのが入っています。情報モラルを意識しながら、適切に情報を扱う。もちろん、情報手段としてのICT機器やネットワークを扱う、という力が各教科の基盤になるものとして定義されたということです。

 

概念としての「情報活用能力」は以前からありましたが、それが学習指導要領の総則、教育課程を編成するところにしっかり位置付いたというのが、今回の一番大きな変化です。

 

「情報活用能力」というと、パソコンの操作やキーボードのタイピングをイメージされる人もいらっしゃると思いますので、整理しておきましょう。総則編ではこの赤字で書かれているところにあたります。「必要に応じてコンピュータ等の情報手段を適切に用いて」とありますから、「これはネットで調べたほうがいい」とか「これは事典を見る方がいい」「ここは人に聞いたほうがいい」ということを適切に判断できるということ。そうやって得た情報を整理・比較したり、得られた情報をわかりやすく発信・伝達したりして、必要に応じて保存・共有したりすることはできる、という力です。この部分は、学習の様々な場面でいつも実行していれば、自然に身に付く力であるということです。

 

つまり、学習経験の頻度によって身に付き方が違うということになります。ですから、ICTをあまり使わない学校の子と、きちんと使っている学校の子とでは、情報活用能力は相当な差が出てくることになるでしょう。

 

青字のところは、コンピュータの基本的な操作に関することです。具体的には、タイピングの練習で、集中してやれば2-3日でできるようになることですが、では取り立てていつやるのかという話です。他にはプログラミングや情報モラル、セキュリティに関すること。ここには知識も相当必要です。

 

そして統計に関することは、データに惑わされない見方・考え方ですね。

 

今申し上げたようなことは、おそらくすべてを各教科に埋め込むのは無理があります。もちろん、各教科でもできるところはあるにしても、取り立てて指導が必要な内容もありますので、本来は、このことが抜け落ちないようにするような教育課程が求められているのです。

 

それを今の段階では、カリキュラム・マネジメントで用意しなさい、ということになっているので、学校によってどうしても違いが出てます。しかし、本当にこのままでよいのでしょうか。国家カリキュラムに入れるべきではないか、という議論が今始まったところなのです。

 

 

GIGAスクールによって情報活用能力は向上したか

 

2013年と2015年に「情報活用能力調査」という国の調査がありました。キーボード入力情報特については、当時けっこう話題になりましたね。小学生が、1分間で6文字しか打てないということに対して、「これは学習の妨げになるので、ICTを使わないほうがいい」と書いた新聞もありました。キーボードの入力の速度を上げるようにしようとは思っていなかったということですね。しかし、この頃はコンピュータがあるのはパソコン教室だけだったので、実際難しかったのです。

 

しかし今は1人1台端末ですので、キーボードがスムーズに打てないと、かなりまずいことになります。そういう状況の中で、今、情報活用能力どうなってるか、いうことで、昨年度、2021年度の後半に再度調査が行われました。そこのキーボード入力の速度はこれよりは上がっているでしょうが、どの程度になっているでしょうか。この結果と比べて、ご自分の学校の子どもたちがどのくらいできているのか、実態が把握できているかいうことが、一つの大きなポイントになると思います。

 

また、このスライドの下の方に書いてありますが、この調査の成績上位10%の学校、つまり情報活用能力が高い子が多い学校というのは、情報の整理や自分の考えを表現する学習活動をしたり、ネットやICT機器を使ったりすることをたくさんしていました。

 

つまり、学習経験が豊かであると、情報活用能力が高くなっている子が多いということはわかっています。逆にいえば、情報活用能力が伸びるかどうかは利用頻度の問題です。だから、今、GIGAスクールで端末は同じように配られましたが、それを使って、授業での中でどのくらいこういった経験をさせているかで違いが出てくる、ということになります。

 

皆が、ICT端末を使うことで算数の成績が上がったといったことばかり気にしていますが、むしろ情報活用能力がきちんと身に付くことが学習の基盤となって、他の教科にも影響することになります。子どもたち自身が端末を使いこなすことができるようになれば、授業時数は減る方向にシフトするでしょう。そう考えると、子どもたちに資質・能力を身に付けさせて、彼ら自身が学び取るように授業を回していこうという方向に考え方が変わってきているということですね。

 

 

デジタル教科書の本格的運用に向けて

 

次はデジタル教科書や教材のお話です。皆さんもご存じのように、デジタル教科書というのは、基本的に紙のものをデジタルにすることで、簡単に拡大できたりルビをふれたりするので、識字に障害のある子どもや、日本語が母国語ではない子どもが、これが学習の補助になるという意味での合理的な配慮を行いやすいメリットがあります。

 

また、いろいろな動画や、教科書以外のデジタル教材とシームレスにつながることによって、紙の教科書だけでは得られない学習効果が得られます。子どもたちに聞いても、皆これは便利だと言います。

 

子どもたちがいちばんよく使っている操作は「拡大」です。ですから、教科書のある部分を拡大してじっくり見るという活動が、学習活動においては一番多い。ですから、デジタル教科書になったときに、その機能が損なわれるような作り方は良くない、ということになります。

 

ただ、デジタル教科書の実証実験は、1つか2つの教科だけで行われています。しかも教科書会社が同じとは限らないので、それぞれインタフェースも違うということになります。操作の不統一というのは、子どもにとって勉強以外の認知負荷をかけてしまうことになりので、これが現在の課題です。教科書会社は一生懸命作っていますが、今後何らかの統一が必要となるでしょう。

 

今、中教審では次の学習指導要領を見越して、デジタル教科書がどうあるべきか、ということが議論されています。

 

デジタル教科書というのは、子どもと社会とつなぐ窓であり、できるだけシンプルで軽いものして、ネットワークに負荷をかけないようにする。そして、クラウドツールとうまく使い分け、組み合わせて使うことが重要であること。そして、いろいろな動画やドリルなどの教材とつないで使うことが重要です。さらに、「学習指導要領コード」(※4)がうまく機能するようにするにはどうすればよいか、などいろいろなことが考えられています。もちろん、持ち帰って家庭学習でも使うことがイメージされています。家庭学習は学校教育の一環であり、家庭との連携による教育ですから。

 

※4 https://www.mext.go.jp/content/20201016-mxt_syoto01-000010374_3.pdf

 

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こちらはつくば市がデジタル教科書の運用上の課題として報告したものです。学習者用デジタル教科書が届いて、生徒に配布されたのですが、ログを見ると最初はほとんど使われてない。それが1週間毎にでこぼこしながら、どんどん使われるようになっています。

 

グラフの赤い線のところを境に、急に使われるようになっています。ここで何か変わったかと言いますと、市は当初、アカウントの設定などを全て各学校に任せていました。しかし、配布した当初は先生方が忙し過ぎてあまり利用が進まなかったので、教育委員会が手順を全てマニュアル化して、TeamsのIDでシングルサインオンができるようにしたのですね。そうすると、アクセスが一気に増えて、どんどん使われるようになった。つまり、教育委員会の戦略的なリードというのは、とても重要なのです。

 

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もう一つ、つくば市の中学校の英語の学習ログです。英語なので音声教材が大事だと思われるかもしれませんが、最も使われているのは本文の拡大表示です。これは、先ほども同じ話が出てきましたが、結構シンプルな機能が多用されるということになります。

 

つまり、実は細かい所は紙の学習と変わっていない、ということです。このようなログなどで定量的なデータを取って検証しながら進めていく必要があります。

 

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さらに、教科書会社ごとにデジタル教科書のビューワーが違うので、その結果、インタフェースが違ってきてしまっています。ここに補助金を出して、インタフェースやクラウド基盤をうまく整理することを専門の業者にやってもらって、この上に乗るコンテンツを作って検定を受けるのは教科書会社の仕事で、配信や認証は教科書会社の仕事ではないことにしよう、という話が動いています。その意味では、体制的な整備も進もうとしています。

 

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校務の情報化によって教員の負担軽減へ

 

最後に校務の情報化の話をします。皆さんもご存じのとおり、日本の教員は、世界一多忙です。

 

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こちらは副校長・教頭先生の、業務に費やす時間と労力を示したものです。いろいろな仕事があり、対面でなければできないものもありますが、オンラインやクラウドを使ったら、もっと省力化できるのに、というものもたくさんありますね。

 

 

一方、学校ではこれまで文科省の施策で「統合型校務支援システム」というものが推奨されてきました。これを決めたのはクラウド以前です。当時は、いろいろなツールがローカルで使われているので統合しましょう、という考え方でしたが、今、クラウドになって便利なツールがいろいろ出ていることを考えると、多くのものがクラウドでできてしまうようになりました。

 

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こちらは、文科省が出している、いわば先生がやらなくてもいい仕事の一覧です。赤字は私が加筆した部分です。テクノロジーでできることは結構ありますが、お金がないので全て人手でやっていて、これが先生方の働き方を苦しめている部分ということです。

 

これはつい先日、6月2日に私が中教審の教育振興基本計画部会で話したものです。

 

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こちらは、校務の情報化でどの仕事がどのくらい時間が削減できるか、ということを示したものです。ここに載っている仕事のフォーマットの例は、全て文科省のホームページから取ることができます。ですから、初等中等教育局では、「子どもたちもクラウドを使う時代だから、先生も使いましょう。校務の情報化のやり方を変えましょう、非統合型校務支援システムに変えていきましょう」という方向になっています。

 

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いろいろな施策が動いていますが、当然のことながら、これらは皆連動しています。私たちは、マスコミ経由でばらばらにやって来る情報を見て、「またか」と思ってしまいますが、根本は全部つながっています。

 

今年は2022年ですが、次の学習指導要領の検討や、GIGAの端末の更新が大体どの辺りの時期にといったことは、既に予測されています。

 

ですので、自治体によって多少ずれるとしても、例えば次のPISAの結果発表があったら、その後にはこんなことが話題になるだろう、といろいろなことが予測されています。ですから、来年もぜひここに来ていただいて、話を聞いていただければと思います。

 

New Education Expo2022 基調講演より