情報処理学会第83回全国大会イベント企画(オンライン開催)

「情報」入試導入の必然性

慶應義塾大学 村井純先生

ご本人提供
ご本人提供

私は「情報入試を導入しよう!」という運動をずっと続けてきており、筧先生をはじめとする情報処理学会の皆様には、たいへん心強いお力添えと推進を担っていただいております。情報処理学会の有志メンバーと2012年1月に「情報入試研究会」を立ち上げて、入試にあたっては大学からのメッセージがいかに大事か、ということを議論してきたのですが、議論しているからには実行しなければならないだろう、ということで、当時私が環境情報学部の学部長をしていた慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)で、情報入試の実施にこぎつけました。

最初は受験生が集まるか、どんな学生が入学してくるのか、内心ドキドキでしたが顔にも出さず、「情報入試、当然だろう」ということでやってきたという背景がございます。今回私からは、情報入試の背景としての、情報処理スキルがなぜ必然になっているかということについてお話ししたいと思います。

 

急速に進むDX(デジタルトランスフォーメーション)

 

世界の動向を見ると、2019年頃から世界中で急激にデジタルトランスフォーメーション(DX:※1)が起きています。世界中ということでいえば、すでに2000年代から動いていました。当時のDXは、例えば行政サービスをデジタル化するといったことが中心で、日本でも2000年にIT基本法(高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)が制定されましたが、なかなかうまく進んでなかったことはご存じの通りです。

 

※1「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念(Wikipediaより)

 

※クリックすると拡大します。

 

2016年にデジタルデータの活用を目指して「官民データ利活用推進基本法」ができました。このときから、それまでITとかICTと言われていたのが「デジタル」という言葉に変わり、今は「デジタルトランスフォーメーション」という表現になっています。

 

我々も、情報処理という、コンピュータサイエンスの全般的なインパクトを高めることを目指して、学会活動や社会活動を進めてきました。その際に社会を動かすためのバズワードとして、「デジタルデータ」がありました。それが世界各国で言われるようになったのが、この2019年頃です。

 

日本は、2016年に官民データ利活用推進基本法の施行によって、デジタルデータを計算したり処理したりして、AIを使ったビックデータ分析などが自由自在にできるようにしよう、ということを進めてきました。この場合のデジタルデータというのは、コンピュータから発生する計算結果だけでなく、センサーから発信されるものもあります。さらに2007年からのスマートフォンの発展を背景とした映像データをはじめ、様々なデバイスからのデータが入ってきますし、そこにさらに別の技術が重なって来たりもします。

 

例えば、GPSによる位置情報が社会の中に浸透してくると、その位置情報と人間の行動やセンサーの情報といったものを総合的に使うことも可能です。この時に、コンピュータによるデータ処理が必要になります。

 

2000年代の政策は、「インターネットを皆が使えるようにしよう」というのが大きなポリシーでした。ところが、今は「データをちゃんと使おう」ということが目標になってきました。

 

その間に何が起こったかというと、「デジタルインクルージョン」です。つまり、インターネット、デジタルデータが社会の隅々まで行き渡ることによって、これらに触れる人がどれだけ増えるのか、さらにどれだけの人がこれらに関する力を付けるべきか、に対する考え方が、この10年、20年で大きく変わってきているのです。

 

「俺たちのインターネット」から“Internet is for everyone”へ

 

私が情報処理学会に参加しはじめた45年ほど前、皆さんにはもうイメージできないかもしれませんが、コンピュータは、研究者がコンピュータサイエンスの研究をするためのもので、まさに「俺たちのための、俺たちの学問」でした。その中でOSのアーキテクチャや分散システムなどが生まれてきました。インターネットを作ったときも、「俺たちのために、俺たちがインターネットを作る」という意識がありました。

 

ところが、95年に私がヴィントン・サーフ(※2)と議論していたとき、インターネットのキャッチフレーズを作ろうということになり、私が「“Internet for everyone” というのはどう?」とヴィントンに言いましたら、「いや、“Internet is for everyone” にしよう」と言われました。何が違うのか、よく分かりませんが、とにかくキャッチフレーズは、“Internet is for everyone”ということになり、ここからは、「インターネットは全ての人にリーチする」というビジョンを持って開発が行われてきました。

 

※2 アメリカの計算機科学者。インターネットとTCP/IPプロトコルの創生に重要な役割を演じた。

 

 

そういったことが今、実を結んで、インターネットの参加人口は、北アメリカ、日本、ヨーロッパで人口の約89%、つまり、現在北半球ではほとんどFor everyone が実現していることになります。

 

世界全体でも、今年また急激に増加して65%くらいになりました。このままいけば、あと5年もすれば、世界中でほぼ100%になるでしょう。これがインターネットインクルージョンの実態です。

 

そして、全ての人がデジタルデータを使う時代になったとき、我々は教育の中でどんなことに責任を持たなければいけないのか。「俺たちのためのコンピュータサイエンス」だったのが、「全ての人のためのコンピュータサイエンス」に変わったことで、我々が情報処理学会でもともと取り組んできた、コンピュータアーキテクチャやインフラストラクチャ、データツール、プロトコルといった、テクニカルなトピックスに加えて、これらが社会の中でどうやって受け入れられるかどうか、ということを考えることが必要になりました。

 

そもそも、テクノロジーにはabuse(アブユース:(コンピュータネットワーク上の)迷惑行為)とethical use(エシカルユース:倫理的に正しい使い方)、abuseとproper use(プロパーユーズ:本来の使い方)のように、必ず両面があります。そうすると、学問としてのコンピュータサイエンスの中で、あるいは教育の中で、「信頼性のある、正しく善い使い方とは何か」ということも考えていかなければならないことになります。

 

さらに、人材を育てるということになると、この世界に生きる全ての人(=everyone)がコンピュータサイエンスを理解できるようになることが一番望ましい。そのための仕組みはどうやったらできるのか。これは、今までのような一部の情報処理の授業だけではなく、全ての分野について全ての子ども達が学ぶことができる体制を作らなければならないということです。これは子ども達や大学・学部の学生に限ったことでもありません。これをやらなければならないことになったのには、ここ数年でDXが急激に進んだことが背景にあると思います。

 

IT基本法、20年ぶりの全面改訂へ

 

これを受けて、日本でも今年20年ぶりにIT基本法を全面改訂するべく、現在準備をしています。この法律で言われていることは、20年前とは全く変わっています。

 

下図にあるように、デジタル化の基本原則は、オープンで透明であること。AIを使うと同時に国民への説明責任を果たすこと。つまり、コンピュータをブラックボックスとして、中身がわからないまま動けばいい、という使い方はもうやめようよ、と。

 

そして公平なアクセシビリティ、全ての人がアクセスできること。さらに、安心で安全でなければならない。それから、ロバスト(堅牢)で安定していること。社会課題を解決するための基盤にならなければなにらない。そして新しい価値を作り、国際貢献ができる。こういったことについて議論して、人に優しいデジタル化はどうあるべきかを考えました。

 

これは、IT基本法の時のように、インフラをどんどん速くしようとか、光ファイバーを日本中に引こうとかいうこととは異なるものに変えました。

 

※クリックすると拡大します。

 

この改正のために、今、国会で審議をしています。元の提案がこちらです。1.情報アクセシビリティ、2.置いてきぼりを作らない、3.テクノロジーの善用、とここまでが理念です。そして大事なのが4.デジタルデータが価値の源泉である。5.地方、6.防災体制、7.健康、8.教育は、こういったことに国民皆が力を合わせなければいけないこと。10.国土カバー率というは、人間のいるところだけでなく国土全体をカバーしよう、と。ここだけはインフラに関する部分を残しました。このように新たな基本法の理念を提案したわけです。

 

 

これを2月9日に閣議決定して、現在法案を衆議院・参議院で審議しています。アペンディクス(補遺)の部分が追及されていますが、内容自体はこれで通過することでしょう。

 

この基本法(デジタル社会形成基本法)の概要がこちらです。今日のお話のポイントは、この法案によって、私たちは全ての国民に対して責任を持たなければならなくなります。この法案の理念を受けて、入試というものをどのように捉えるのか、ということであると思います。

 

※クリックすると拡大します。

 

デジタル庁発足によって何が変わるか

 

そして、歴史的にドラスチックなのは、デジタル庁設置法案、つまり今年9月1日にデジタル庁を作る、というものです。

 

デジタル庁は、役所ではありません。よく見ると内閣総理大臣がトップになっています。ふつうの省庁は○○大臣がトップですが、こういった形の組織は、デジタル庁と、もう一つ復興庁だけです。

 

※クリックすると拡大します。

 

つまりデジタル政策については、総理大臣の判断で政策や予算を決めていくという、非常に強い組織です。これは、世界的に見ても強い構造です。

 

今大事なのは、このデジタル庁で何をするか、という政策の設計をすることです。情報入試をどうするか、ということもこの設計に入りますので、皆さんからご意見を聞いて反映させていきたいと思います。

 

※クリックすると拡大します。

 

「置いてきぼりを作らないデジタル社会」の実現のために

 

そして、先ほど「置いてきぼりを作らない」と申しましたが、これは、下図にあるようなことが実現できるかということです。

 

つまり、デジタル不得意な人、普通の人、デジタルが得意な人、そして世界をリードするデジタル人材、という全ての人が、それぞれが使い勝手がよいシステムを導入し、不得意な人も手厚くサポートできるようにすることです。そのために、皆がコンピュータの扱いやバリューや原理を分かって、安心して使えるようにする、ということをやっていきます。

 

 

これに対して、大学や教育機関が持つべき責任は、デジタルが得意な人を増やすことによって、デジタルが不得意な人を支えていくことです。そのためには、この部分「普通の人」、さらに「デジタルが得意な人」の人材育成や教育が重要なポイントになると思っています。

 

つまり、我々のするべきことは、自分が力を付けるだけの学習だけではなく、自分が持っている理解で他人に支えられる、という教育です。これを実現するためには、拡大再生産のような教育方法が必要です。

 

 

拡大再生産の情報教育というのは、未来を担う人を育て、弱者を支援する力、そして高齢者や苦手な人など、自分より弱い人に教えられる力を持てるようにすること。いわば、情報の先生をたくさん作るようなことですが、それをいろいろな分野、様々なレベルできちんと行う必要がある。場合によっては、国でクライテリア(基準)を作るなど、学習が回りやすくなるような仕組みを作らなければならないと思います。

 

 

その流れの中で、情報入試が出てくるわけです。すなわち、全ての分野で、今ご説明したデジタル社会を前提に活躍できること、そしてもう一つ忘れてはいけないのが、日本が情報技術で世界に貢献するという、この二つの柱がたいへん重要だと思います。

 

そのための情報入試、あるいは学校のシステム全般を考えなければなりません。大学は入試に対してもっと真剣にならなければならない。情報入試を考えよう、ということを、今後9月までにデジタル庁のミッションの中に入れていこうと思っています。別の役所ができるということは、それだけの力が宿ることです。皆さんのご意見を伺いながら、進めていきたいと思っています。

 

情報処理学会第83回全国大会企画セッションより