New Education Expo2019 

[特別講演]新学習指導要領における教育の情報化の推進

東北大学大学院情報科学研究科 堀田龍也先生

今日は下図にある五つの話題を用意しています。新しい学習指導要領が2020年度から小学校で全面実施されます。1年遅れて中学校、さらに1年遅れて高等学校で実施されます。高等学校では年次進行で実施されて、2024年度に完結することになります。これがどのような経緯で作られてきたかについては、皆さんもすでにご承知のことと思いますので、これについては確認としてお話しします。

 

それから、Society5.0についてお話しします。政府や文部科学省の様々な会議で、この言葉が出ないことはないほどポピュラーになっています。Society5.0とは、情報化が基盤となって、私たちの生活を支えていく、そういう社会の考え方です。学校にいるとなかなかピンと来ませんが、生活の中ではすでにこれに近いことを享受しています。この話について、改めて少し整理をします。

 

それから学校教育の具体に入って、「情報活用能力」です。新しい学習指導要領では、これが非常に重い位置付けになりましたので、それについてお話します。そしておそらく今、多くの方々が注目し、戸惑っているであろう小学校のプログラミング教育について。私は施策を決定していく段階で関わっておりましたので、その立場から解説をします。

 

最後に、おそらくこれが今一番重要だと思いますが、ICT環境整備の施策について。これは最近ずっと話題になってきたことではありますが、この1年ほどは特にかなり急速な形で進んでいます。お金がないから入れられないとか、そういうレベルとは全く違う、強い推進力で進んでいます。以上、こういったことについて、お話ししていこうと思います。

 

学んだことを使って未知の問題に対応できるような資質・能力を身に付けるために

まず、学習指導要領について。下図は平成19年度の小学校の全国学力・学習状況調査の問題です。このとき問題になったのは、「平行四辺形の面積を答えなさい」という問題には96%の子どもが答えられるのに、右側のように問題が文脈付きになってしまうと、どれが縦の長さでどれが底辺かを見抜くことができず、正答率が18%になってしまうことです。つまり、勉強したときと同じ形で提示されれば、それは皆が解けますが、それを活用した応用問題の形になると、途端にできなくなるということが観測されたわけです。これは当時非常に話題になりました。

 

このような実態を受けて,現行の学習指導要領が作成されました。そこでは、「習得したことを活用する」、つまり「習得」と「活用」をつなぐものとして、言語活動の充実が必要だということになりました。これが実施されて9年目になりますので、どの授業でも言語活動を意識し、工夫した活動が行われていると思います。

 

それに対して、新しい学習指導要領は、その延長ではありますが、いくつかの特徴があります。まず「学力」という言葉はやや狭い意味になるので、「資質・能力」という言い方に改められました。覚えている、解けるというレベルの話から、そういう力を身に付けていく態度まで含めた形で、資質・能力という言い方になったわけです。

 

その資質・能力は「三つの柱」という言い方で規定されました。これは中教審の最終答申にも載っていますし、学習指導要領にも何回も書かれています。ここで最初に挙げられているのは、やはり「知識・技能」の習得ですが、これも形式的な知識・技能ではなくて、「生きて働く」となっています。つまり覚えて終わりではなく、それが使える形・再利用可能な形で構造化されていることが要求されます。つまり、知識・技能を授業の中で習得するだけでなくて、それを活用できる場が準備されていなければならないという意味で、現行の学習指導要領を引き継いでいます。

 

次に、そのようにして恒常化された各教科等の知識・技能を用いて、様々な問題に対応できる思考力・判断力・表現力等を育成しよう、ということです。ここでは、「今日出て来たこの問題を解くために、一生懸命思考しました。なのでOKです」ということではなくて、未知の問題に対応できるよう、自在にその思考を用いられることが要求されます。この力は、1時間の授業だけで身に付くものではなく、何回も同様のパターンを、少しずつ形を変えながら提示して、ようやくできるようになることだと思います。そのためには、「あのやり方を使ったらいいんじゃないか」とか、「あのとき勉強したこのことを使うといい」と、子ども自身が考えるような場面をどれだけ用意するかを考えなければいけません。自分の考えだけではおぼつかないので、いろいろな人の考えを聞きながら、ということになります。ここでアクティブ・ラーニングとしての授業の改善が必要だという話が挙がってくることになります。

 

三つ目は、毎回言われることですが、この先労働人口はどんどん減っていきます。そういう時代を迎えるわが国で、自分の人生を充実させるだけでなく、自分が暮らす社会に自分なりに貢献をする力、あるいは態度として身に付けさせましょう、ということです。スライドの黄色いところに描いてあるのがキーワードで、「主体的・対話的で深い学び」とあります。これについてここでは詳しくご説明はいたしませんが、自分が主体的であること、対話的であることは、言語活動の充実の延長です。ですから、この「対話」は、人と対話するだけではありません。例えば、ネットでいろいろなものを検索して情報を得る、ということも含めて、自分以外のところからリソースを持ってきて、それによって自分の考えを書き換えていくという観点で、この「対話」が使われています。「深い学び」というのは、相対的に見れば浅い学びがあって、その浅い学びがより構造化、ネットワーク化されるということ。つまり、より再利用しやすく頭の中に収められるということを、深い学びと言っています。

 

黄色い部分のその下に、「コンテンツベース」と「コンピテンシーベース」とあります。コンテンツベースというのは、内容中心主義とも言います。各教科には、教科の内容と同時に、その教科独自の見方・考え方というものがあります。例えば数学で言えば、方程式や一次関数などいろいろな内容を通して、数学的なものの見方・ものの考え方を身に付けさせています。ですから、コンテンツ(内容)を学ぶことを通して、コンピテンシー(見方・考え方・スキル)を身に付けていくことになります。ここで言うスキルやコンピテンシーというのは、数学の時間で使えるだけでなく、もう少し汎用的で、数学を超えたところで数学的なものの見方ができるということを求めています。

 

つまり、各教科の内容を教えるのですが、子どもたちがその内容をコンピテンシーとしていろいろな場面で用いることができることこそを重視することになります。ですから、先生が教えて終わりではなくて、先生が教えたことをもとに話し合って、人に説明して、さらにそれを問題解決に使うことが重要になります。もっと言えば、そういう学習の営みなしに、学校教育は存在し得ないということなのです。

 

単にコンテンツを学ぶだけであれば、わかりやすい動画教材はネット上にたくさん出ています。そういうものを使って、自分で学ぶことができる人を育てるということ。さらに、そうやって得た知識を元に、自分の問題解決とか、他者との対話にそれを用いることができるというコンピテンシーが求められることになります。

 

学習者用デジタル教科書が教科書として認められることに

新たな学習指導要領は、タイムスケジュールとしては来年、2020年に小学校で全面実施です。実は幼稚園はすでに始まっていますし、小学校でも、先行実施としていろいろなことが行われています。今年度は、小学校の教科書の採択の年で、今まさにその時期にあたります。

 

中学校は今検定の最中です。高等学校はまだ少し先になりますが、この2020年というのは、大学入試センター試験が終わって、大学入学共通テストが始まる年でもありますし、英語の4技能の試験に外部機関の試験を導入するということは、皆さんもご承知かと思います。ですので、現在は学習指導要領だけでなく、それが影響する大学入試や高大接続、あるいは小中一貫等など、いろいろなことが同時に動いていることになります。

 

現行の学習指導要領でも、先生が実物投影機や指導者用のデジタル教科書などを活用してわかりやすく教える工夫によって、黒板とチョークで説明するよりも短い時間で効率的に知識を提供して習得させることができています。そして、残った時間を使って子どもたちが知識を活用した活動をするという動きはたくさんあります。ただし、これは現行の学習指導要領に対するICT施策です。ですから、これがまだできていないというのは、言葉は悪いですが、周回遅れということになります。

 

次の時代は、学習者用デジタル教科書が動くことになります。学校教育法の改正で、紙の教科書だけでなく、デジタル教科書を用いて学習しても、教科書の使用義務を果たしたと見なす、ということになりました。法律の改正というのは、とても重いものです。

 

この改正が意味するのは、紙の教科書もあるけれど、それだけで授業をすることがないように、デジタルもうまく使いながら学習をしていこう、ということです。紙(の教科書)の方が良ければもちろん紙で、デジタルの方が良い場面ではデジタルを使って、どちらを使っても教科書を使ってしっかり学んだと見なしますよ、というのが国の方針となります。

 

さらに、教科書がデジタルになることによって、様々なデジタル教材と比較的容易にリンクすることが可能になります。おそらく、そういうロボットが間もなく登場するでしょう。それによって、子どもたちが1コマの授業の中で関係のある情報にうまくたどり着いて、自分の考えていること、あるいは異なる情報をうまく対話に用いながら学んでいくことが実現することになるでしょう。

 

この状態が実現するためには、学習者がキーボードを使えるような端末を持っていないといけないですし、それらがネットワークに十分につながってないと、リンク先へとぶこともできません。ネットワーク環境が脆弱だと、全部それぞれの端末の中にインストールしなれればならないことになりますが、先生たちにはそんな時間はありませんし、外部に発注すると、それだけでコストがかかります。これでは授業ができません。ですから、ネットワーク環境を強化して、端末の動きを軽くするというのが、コストバランス的にも良いということになります。

 

皆さんはスマホをお持ちだと思います。スマホはコンピュータの一種ですが、その中に、かなり大量に情報が入れられるとはいえ、うまく活用するためにはやはりクラウドにつながることが前提です。しかし、今の学校のネットワークはクラウドが前提になってないし、ネットワーク回線は遅い。その結果、値段が高い端末を入れて、そこにソフトデータをたくさんインストールしないといけない。それだけで先生方は疲れてしまいますし、たくさんの機能を持ったすごいコンピュータだから、余計に使いにくくなるということが起こっているのです。

 

「教える道具」としてのICTは普及しているが、使い方の指導は今一つ

先生が教える道具としてICTを使うということについては、すでに全国で相当実践されており、その結果教員のICT活用指導力が向上していることが調査からも明らかになっています。こちらは、毎年3月に行っている「学校における教育の情報化の実態に関する調査」の結果ですが、このグラフの中のB、オレンジ色の「授業中に ICTを活用して指導する能力」は、他の伸びに比べて著しく伸びています。

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つまり、先生方はICTが使えないのではなく、ICTの設備自体がなかったのですね。それが、この数年の間に、全国の様々な教室に大型のテレビやプロジェクターなどが配置され、指導者用のデジタル教科書が用意されました。それらを用いて、子どもたちにわかりやすく教えるということが普及し、その結果先生方のICT活用指導力が伸びているのです。

 

それに対して伸びがまだ鈍化したままであるのが、C「児童、生徒のICTの活用を指導する能力」です。ICTがパソコン室にしかないと、そこに行ったときしか指導するチャンスがないので、結果的に先生も指導する力が身に付きません。しかし、これからは全教室に子ども用の端末が入ってきて、先生が子どもたちに使い方を指導したりサポートしたりする時代になります。

 

ICTの操作自体は、子どもはすぐに上達するので、そこはあまり心配する必要はありません。むしろ、子どもに何をさせれば学習として成立するのか、それをどのように全体に提示すれば授業がうまく進行できるのかということを考えることが、まさにICT活用指導力であり、そこがこれからの課題ということになります。

 

このICT活用指導力の18項目のチェックリストは、本年度から16項目に修正され、「子ども同士が対話をする」といったことも含めた内容になりますので、今後このグラフは不連続になります。

 

学校のICT環境の整備の違いが、児童生徒の学習レベルにつながるおそれも

先生がICTを使うのは当たり前ですが、ホワイトボードや黒板といった、今までのものも使う。子どもたちも、ごく自然に紙を使いつつ、コンピュータも使っています。そもそも、紙かコンピュータかという議論自体がナンセンスであって、皆さんもスマホを見ながら紙の資料も見ますよね。両方があるからこそ、豊かな社会なのです。便利な方、その時どきで有効な方を使うだけの話です。ですから、学習の環境に両方とも揃っていることが重要です。そして子どもたち自身が、「私は紙でやりたい。だって…」「私は、これはコンピュータでやりたい。どうしてかっていうと…」と言えることこそが情報活用能力であり、そういう子どもたちを育てたいということになります。

 

また、最近はいろいろな学校でアクティブ・ラーニングルームのようなスペースを作っています。大学でも同様で、今はBYOD化が実現していますので、昔はコンピュータ教室のようなところを校内に何か所も作っていましたが、今は電源とWi-Fiがあるスペースに置き換わっています。そして随所でWi-Fiが使えるので、一度認証したら、どこでもネットワークにすぐつなぐことができるというユビキタスな環境で学習をすることが日常化しています。

 

私学では、中高からこういった取り組みをしていますので、公立の学校が昭和の仕組みで動き続けたら、おそらく世の中の動きからどんどんズレが大きくなってしまうでしょう。ですから、まさに今が最後のチャンスなので、ここで一つ大きく舵を切りましょう、というのが、ICT環境の急速な整備の話ということになります。

 

中教審の諮問に示された抜本的な教育制度の改革

4月17日に中央教育審議会(中教審)の諮問がありました。柴山文部科学大臣が、中教審に対して、下図に挙げたことについて「これから1年半くらいかけて、新しい時代の教育について検討してください」と依頼をしました。中教審はそれを受け取って、現在審議に入っています。

 

今回は特に初等中等教育が中心で、具体的には教員の定数や教員免許制度など、様々な重要事項の抜本的な改革になります。これは教育課程をどうするかというだけではなく、教育環境や事務的環境も含めた教育制度をどうするかという大きな検討になります。そのための特別部隊を作って、今後半年くらいの間に、新しい方法が次々に出されるのではないかと思います。

 

こちらについて報道した日経新聞の記事では、「人工知能(AI)をはじめとする先端技術が発達した新しい時代に対応するとともに、教員の働き方改革を含めた制度の多面的な見直しを求めた」と述べられていますが、各新聞社が同様の記事を書いています。こういった教育改革の記事の中に、普通にAIという言葉が出てくる時代になりました。

 

高学年の教科担任制というのは働き方改革の一環で出てきています。先生方からすれば、現在のように全ての科目の教材研究をやらなくても、ある程度特定の教科の教材研究に絞ることによって、教材観が深まって指導が向上し、同時に負荷も減るかもしれない。これはやってみないとわかりませんが、子どもの側からすると、担任の先生だけでなく、専門性の高い人から学ぶ機会を得られることなります。

考えてみれば、6・3・3制というのも、戦後すぐにできた制度で、当時の5・6年生は本当に今の5・6年生と体格や知力が同じかと考えると、やはりこれは見直すべきではないか、という動きは出てきます。かといって、学校制度を急に変えることは簡単ではないので、こういった形で少しずつ動かしていこうというのが、今のやり方ということになります。

 

諮問は大きく4項目出ています。『基盤的な学力の確実な定着』というのは、特に小学校1年生から4年くらいまでが主眼です。基盤的な学力というのは、各教科の基礎・基本を下支えする力で、例えば読む・書く・話すといった技能のことです。これらは、いくら個別化・個性化が進む時代であっても、全ての子に等しくしっかりと身に付けさせる必要があるということですね。そして、学級担任制や教科担任制のポイントがいろいろ挙げられています。

 

二番目が高等学校のあり方です。これもすでにいろいろなところで検討がされていますが、特に普通科の改革が強く進むことになります。さらに、現在の定時制や通信制というのも、今は普通の高校でもネットで学ぶことが行われているので、時代にあまり合っていないのではないか、ということも言われています。さらにそもそも通学をどこまで義務付けするかということについても、もう少し議論しよう、という話です。

 

三つ目は、外国人児童生徒に関することです。入国管理法が変わって、今年から日本で働くために外国人をたくさん受け入れることになりました。これは、労働人口が減っているので、ある意味、仕方のないことですが、彼らに対する教育を公立学校が負担することになり、当然現場は今よりさらに大変になることに対して、どのようにサポートするかということです。

 

各自治体の調査では、教科担任制は、小学校5・6年生の音楽で50%以上、理科で約45%、家庭科は約3分の1がすでに取り入れられています。東京都では、小学校であっても音楽と図工と家庭科は基本的に教科担任です。この実態を見ても、実質的に運用は可能だろうと考えられます。

 

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ただし、小規模僻地校のようなところをどうするかというのが、次なる課題です。その場合、教科担任ができないのであれば、例えば遠隔授業のシステムを入れて、より専門性の高い人に教えてもらうということを、授業時数として読めるようにしていこうと考えることもできます。そのためには、教員の免許法の改定や教員配置の問題も関係してくるので、それについても一緒に議論しましょう、ということになっています。

 

 

四つ目は、どちらかというと環境整備に関することです。具体的には、教職員配置や教育免許制度のことが、あるいは教員の養成、免許、採用、研修に関することです。学校の先生は、現在終身雇用が前提で、採用何年目の研修という形になっていますが、人材流動性が非常に高くなっていて、大学生が就職すると平均で3回以上仕事を変えるという時代に、教員だけが終身雇用というのは、無理があります。そうすると、最終的に校長先生になるまでを見越した研修というのがどれくらい実効的なのかということになります。

 

つまり、若い人を積極的に登用していくことも含めて、マネジメントを担当する人と、教科を教える人の専門性の違いをもっと明確に出していくべきではないか。そして、途中から入ってきたり、逆に退職したりすることを前提とした研修の仕組みが必要ではないか、ということになります。具体的には、例えば民間の会社でうまくいっているところの経営のノウハウを、学校にも持ち込むといったことですね。これは、民間人校長という形で、今少しずつ動いていますが、全ての校長を民間人にするということではなく、今よりもっと多様なあり方があってもよいということです。

 

そして、一番下の教職員や専門的人材の配置の後に「ICT 環境や 先端技術の活用 を含む条件整備の在り方」と書かれています。つまり、諮問の最後の最後に、「今まで言ったことを支えるICT環境をちゃんと考えてくださいね」とお願いしているのです。新しい学習指導要領が動く直前の今、すでに次の諮問がスタートしているのです。今まで10年単位でゆっくり変えてきた日本の教育制度が、少しずつ細かくマイナーチェンジを続けながら、結果としてものすごいスピートで塗り替えられています。スマホのアプリがしょっちゅうバージョンアップするような形で、学校を少しずつ変えていこうという動きがスタートしているとご理解ください。

 

Society5.0で社会は、教育はどうなるのか

続いて、Society5.0です。このSociety5.0というものが前提になって、いろいろな社会構造や産業構造が変わってきています。

 

政府広報としてSociety5.0の動画がYouTubeに上がっていますし(※)、内閣府のページでも見られます。これからの学校や教育がどうなるのか、社会はどう変わっていくのか、という観点で見ていただければと思います。

 

https://www.youtube.com/watch?v=oxQsShukx3Y

 

この映像にはいろいろなものが出てきます。ドローンによる配達も実用化されつつあり、あとは法律の問題だけですね。無人走行バスもそうです。今、東北大学では無人走行の実験がキャンパス内を走り回っていて、見るとギョッとします。私たちは、人が運転してないことで不安を感じるのですが、そのうちに人間が運転しているから危ないと思うようになるかもしれません。これは普及の問題だと思います。

 

また、医療行為も昔は対面でしか行えなかったのですが、どんどん制度が変わって、今は内容によっては、無理に通院させるよりも遠隔医療で、という場合も出てきました。これは、スマートデバイスで心拍数や体温などがわかるようになっていて、そのデータを送ることで「大丈夫ですか」と声を掛けることができるようになっている、というのが背景にあります。顔認証の話もあります。この動画を授業で見せると、小学校3年生ぐらいでも盛り上がります。ぜひ先生方も紹介してみてください。

 

わが国の人口は減少していますが、世界的には人口爆発の最中です。そのため、これからは食糧難の時代がやってきます。そのときテクノロジーの力も使って、どれだけ効率よく食料生産をするかというのが、非常に大きな課題です。わが国は、2004年12月をピークに、人口減少社会に入って、すでに15年経ちました。私が子どもの頃は、戦後の右肩上がりの時代で、給料もどんどん上がり、何か新しいことを考えると、それをやる人が常にいて次々に新しいものが生れてくる。それが当たり前だと思っていた時代でした。終身雇用も、右肩上がりが時代の仕組みでした。

 

 

それが今、右肩下がりで、何か新しいこと考えると「それ誰がやるの」ということになります。今までの仕事のどれかを機械に任せていかないと、人間がクリエイティブなことをやる余裕はなくなります。まさに学校が今その真っただ中にあります。学校が忙しくなったのは、当然のことながら働き手が減っているからです。まして、税金で給料が払われている以上、納税者が減るのですから、教員だけ増員するというのはまず無理だということになります。

 

したがって、これから学校でも非正規雇用がもっと増えていきます。今すでに学校にはいろいろな勤務形態の人がいらっしゃって、校長先生や副校長先生は、その方々の勤務管理で非常にお疲れだと思います。これからの時代、いろいろな働き方の人たちと一緒に、チームとしてやっていく必要がありますが、それを管理するための校務支援システムを導入していないというのは、もうあり得ない状況に来ているのです。

 

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先ほど自動運転の話がありましたが、これが実用化されているのが農業機器です。農業人口の激減については小学校5年生の社会科で習いますが、今は農業従事者がお年寄りばかりになっているため、AIによる収穫機やトラクターの自動運転といったものが実用化し、農業で活躍しているという現実があります。

 

思えば、昔、人がやっていた仕事が機械に変わっていくのは、今に始まった話ではありません。例えば、私が高校生のときはATMはもうありましたが、まだまだ銀行の窓口で通帳でやりとりすることもありました。今は、窓口に行くのはよほど何かなくしたとか、多額の融資とかいったことくらいで、たいていのことはATMで終わってしまいます。

 

こう考えてみると、人の仕事を機械が代替することで仕事の新陳代謝が起こったわけですが、ことさら不安がる必要はないと思います。ただ、これからは人口が減少しますから、いっそうこれが強く起こります。そうなると、人間こそがやらなければいけないこととは、本当は何なのか。むしろ、もう機械に任せてしまって、私たちはもっと別のことをやるべきだろう、という判断が必要になります。

 

さらに、それが判断できたとしても、それを実現してくれるテクノロジーが身近にあるかということが問題になります。現在、学校のテクノロジー環境は非常に貧弱です。会社では、必要に応じて書類もメールで決裁するなど、ICTを使っていろいろな業務をどんどん効率化しています。一方、学校は子どもを育てるのが仕事なので、人間がやらなければならない部分がどうしても残ります。それに加えて、ICTでやってしまえるような雑務も、やはり先生が自分でしているという現実があります。この辺は、そろそろ割りきらなければなりません。

 

プログラミングを学ぶことで、ICTの仕組みがすごいことに気付く

先ほど労働人口の話をしましたが、これからは要介護人口がどんどん増えます。体を支えたり、ベッドから起き上がったり、歩いたりということに対しては、これからはロボットやロボットスートのようなテクノロジーが支援してくれる時代になるのだろうと思います。私たちは、ロボットというと人間の形をしたものを想像しがちですが、そうでないものもありますし、今は家庭にもお掃除ロボットが普通にありますよね。こういったものに支えられて、あるいは共存しながら、よりよい社会を作って暮らしていく時代に来ているのです。そういう時代の子どもたちが、テクノロジーをブラックボックスとして見ているようでは、新しい産業は起こり得ませんし、ことと次第によっては、新しい産業が起こっても、人間の方がロボットに使われるようなことになってしまいかねません。

 

小学校からプログラミング教育が入る一つの理由は、まさにこういうところにあります。プログラムを作って動かすという経験そのものが、例えば身の回りにある自動販売機やエアコン、自動ドアといったものを見たときに、「ああ、こういうプログラムで動いているんだな」という見方・考え方ができる姿勢を育てたい。小学校の段階だから、体験的にやりましょう、という話です。プログラマーを育成しようということではありません。小学校でリコーダーを教えたからといって、皆が音楽家になるわけではありません。しかし、子どもたちが、自分でやったことがあるからこそ、その後オーケストラを聞いたときに、上手だな、きれいだなと思うことができるのです。プログラミングも、そういった感覚で義務教育に入ることになったのです。

 

ロボットの話でいうと、私たちは日常的にいろいろな形で検索を行っています。今は、パソコンやスマホで検索すると、すぐにリストが出てきます。これは、その場でコンピュータが探しているわけではありません。擬人化して言えば、日頃からクローラーというロボットプログラムが、インターネット上をいろいろ見て回って、「この言葉と関係のある言葉があそこにある」とか「この言葉からこういう理由付けであそこにも関係が付く」といったことを全部計算して、データをためておくわけです。そうやって準備しておいたものに対して、私たちが「この言葉は何?」と問い合わせると、たちどころに答えを出してくれます。ですから、答えを表示するスマホがすごいわけではない。スマホはクラウドにアクセスしているだけですから、そのクラウドのネット上のロボットが探し回っているという、この仕組みがすごいのです。

 

実は、私たちの周りにはそういうものはすでにたくさんあります。ロボットなんか見たことも使ったこともないとか、そんなものを開発している人がいるなんて考えたこともない、という方もいらっしゃると思いますが、日常的に便利に使っているものがあまりにも便利なので、それがどんな仕組みで動いているかなどを考えずに済ませてしまっている。このことが恐ろしいのです。

 

教育環境の整備に、教育委員会がどれだけ真剣に取り組むかが問われる

インターネットにつながるデバイスには、コンピュータだけでなくスマホもあります。今は車もネットにつながる時代になりました。ネットコマース社が作ったスライドをご覧いただくと(※)、人口の増加は63億人から75億人に線形的に増えていますが、インターネット接続デバイス数は5億台が500億台になるという増え方をしています。1人あたりのデバイス数は、2020年で6.5台です。皆さんもスマホやパソコン、iPadをお持ちで、家の中でもAlexaがあれば、さらにいろいろなものがネットにつながりますよね。そう考えると、ネットにつながっているデバイスが1人平均6.5台という数字も納得できます。

 

それなのに、学校では端末が1人1台どころか、5~6人に1台しかなくて、ネットワークも遅い。みんなが一度に検索したらネットが止まってしまった、などという笑えない話があります。世の中のどこにでもある環境が学校教育に与えられていないという、そのことが問題です。しかも、お金がないからといって、そのままになっているということが、わが国の将来にとって、非常に危険なことであると思います。

https://www.slideshare.net/after311/libra-012019-it

 

さらに、算数・数学科では学習内容の四つの領域が再編されて、「データの活用」という新しい領域ができました。これはとても大きなことです。このデータの活用のすぐ近くでコンピュータを用いることは当然あります。つまり「データの活用」の隣に教科情報があるということなのです。算数・数学だけでなく、社会科も情報社会のことを手厚く教えることになりました。理科でセンサーを使うことも普通になりました。百葉箱も、今はどんどんデジタルに置き換わっていますし、アメダスで観測されたいろいろなデータにスマホからアクセスできますから、それらを使って自分たちで分析や予測をすることも可能です。

  

中教審では、教員養成大学の中に研究指定校を作ろうという審議が始まりました。教師のICT活用指導力の向上を始めとする、「Society5.0に対応した教員養成を先導するフラッグシップ大学」というのがこれです。

 

Society5.0の時代に必要な教育はどのようなものであるか、そこで必要なのはどのような教師であるか。必要な教育環境はどのようなものか、といったことを大学で経験していない人が、教員となって現場に出ても大変なので、それらをきちんと教育しようという形で動き始めたのです。これは、教員免許取得の弾力化にも関係してきます。

 

問題は、そのようにして育成された人を、教育委員会がきちんと採用するのかということです。ある県はたくさん採用するのに、ある県は採用しないなったら、おそらくこういった優秀な方は、採用する県に行ってしまうので、格差はさらに広がるでしょう。自治体トップの方たちの、教育委員会への理解というものが、さらに必要な時代になったということです。

 

情報活用能力を教科の学びに役立てるため、小学校での基本操作の習得が義務付けられる

ここからは、具体的な教育の内容についてのお話です。まず「情報活用能力」という言葉について。これは昔からある言葉ですが、今回の学習指導要領改訂で位置付けが大きく変わりました。こちらが学習指導要領の本文です。情報活用能力は、「言語能力」や、「問題発見、・解決能力」と同じように、『学習の基盤となる資質・能力』の一つと定義されました。

 

先ほども申し上げたように、基盤というのは、各教科の学びの前提にあるものです。例えば、言葉が豊かであるということが身に付いていると、様々な教科で幅広い対話ができ、多様な読み取りができます。ですから、言語能力は基盤であるということができます。

 

同じように、特に小学校高学年から中学校、高校の学習において、コンピュータが使える、いろいろなことをさっと検察できる、必要に応じてICTで作ったものを保存できる、ネットを使って交流できる、プレゼンができる、といった情報活用能力を基盤として教科学習を進めていく方向に向かっています。これには、当然のことながらICTの環境整備が前提です。

 

この情報活用能力をしっかりと育成してないと、結局コンピュータを使うことだけに時間がかかってしまって、教科の学びが深まらないということが起こってしまいます。逆に情報活用能力が深まっていれば、教科の学習はより効率的に、時間内により深いところまで進むことになります。これは、ICTをさっと使いこなせる人は仕事が速いのと同じで、情報活用能力がその人の仕事の仕方、生活の仕方、人とのコミュニケーションの仕方の基盤として機能するということになります。

 

ですから、学校でも情報活用能力をしっかり身に付けさせていこう、ということになります。これは言語能力と同様に、いろいろな場面で実際にICTを使う機会を取り入れ、身に付けさせていくという、カリキュラムマネジメントの問題ということになります。

 

そのために、小学校の学習指導要領の総則には、「コンピュータで文字を入力するなどの、学習の基盤として必要となる情報手段の基本的な操作を習得する」とあります。ですから小学校では、教育課程を編成するときに、これがしっかりと身に付くようにカリキュラムマネジメントを行う必要があり、中学校はその力を前提として、教科の学習をさらに進めていくということになります。

 

しかしながら、平成26年から28年の調査で、日本の子どもたちの情報活用能力が十分ではないということが明らかになっています。例えば一番右に、キーボードによる文字入力数が書いてありますが、小学生だと1分間で6文字くらいしか打てません。高校生でも25文字ですから、キーボード入力がむしろ学習の妨げになってしまう、その程度の情報活用能力しかないことが示されました。

 

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他にも、複数のウェブページから、目的にあったものを見つけ出すことが苦手だということもわかりました。この調査は作問が大変でしたが、小中高一貫で調査が行われ、その結果を踏まえて、情報活用力としてどのような力を調査すればよいかということを議論しました。

 

PISA学力調査で明らかになった、日本の授業でコンピュータを使う機会の乏しさ

下図はOECDのPISA学習到達度の国際調査の結果です。2015年に日本の読解力の成績が急に下がっているのは、CBT、つまりコンピュータ調査に移行したところです。PISAでも、複数の項目にわたって目的に合ったものを見つけるような問題はできていない。これは、先ほどの情報活用能力調査と同じ結果です。

 

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例えば、ある公式が整理された形で提示されていれば、それを適用して問題を解くことはできますが、その公式が文脈の中に埋め込まれて自分で判断する問題になると、とたんにできなくなります。

 

ネットで検索することは普通に行いますし、検索して一番上に出たものを、そのまま鵜呑みにしてはいけないというのは、皆さんもお気づきの通りですが、そういうことから考えても、子どもたちが複数の情報を組み合わせて判断することができないのは、かなり致命的だということになります。

 

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下図は、PISA2009デジタル読解力調査の、国語の授業におけるコンピュータの使用状況です。グラフのグレーの部分は「使わない」という回答です。これは中学校の結果ですが、日本はほぼ皆無です。2009年の調査ですから、多少は改善されているかもしれませんが、他国に比べると著しく低いことがわかります。

 

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こちらは2015年の調査で、他の生徒と共同作業をするためにコンピュータを使う機会を聞いたものです。ここでも、「全く使っていない」「ほとんど使っていない」というのがとびきり多いのが日本です。もちろん、先生がしっかり教えるということはとても重要ですが、他の国では、それと合わせてコンピュータを使いながらいろいろな活動をしていることが示されています。

 

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そうは言っても、日本は成績のスコアが高いから、それでいいじゃないか、という意見もあります。しかし他国では、スコアが多少低くても、ICTを使って協働で学ぶようなコンピテンシーは身に付いているかもしれないわけです。これからの時代、コンテンツはどんどん塗り変わっていきます。歴史でも新しい解釈が出てきますし、理科でも新しい発見があったり、実験などの方法もどんどん変わったりして、義務教育で勉強したことをそのまま覚えてればいつまでも使える、ということはありません。新しい知識をどんどん更新していく能力が必要なのです。それを考えたとき、日本のこの状況はかなりまずいのではないかというのが、国家的な危機意識になったわけです。

 

情報活用能力の体系表が公開された

文部科学省では、情報活用能力が基盤となる能力として位置付けられたことを受けて、IE-School(情報教育推進校:イースクール)とICTスクール(ICT活用推進校)という二つの研究指定校で、様々な実践を行っています。両方とも報告書がネットに上がっていますので、ご覧ください。

 

IEスクールの成果では、情報活用能力の体系表を掲載していますが、その一部を拡大したのがこちらです。情報活用能力を「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう態度・人間性」の三つに分けて整理しています。

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そして、それをステップ1から5まで5段階のレベル分けをしています。ステップ1~3が小学校、ステップ4が中学校、ステップ5が高校をイメージして作られています。学校の差が大きいので、例えば小学校の中学年でステップ4をやっているところが出てくるかもしれませんが、全国の平均的なレベルとして作っています。ぜひ参考になさってください。

 

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この資料では、モデル校が「情報活用能力」の育成のために1年目は何をして、2年目はそれをどのように見直して修正したか、場合によっては外部の人材の協力を得てどのように進めてきたかという経験を元に、カリキュラム・マネジメントを、準備期・実践期・改善期という三つの段階に分けてモデル化しています。

 

これもちろん学校によって事情が違いますが、大体こういう感じで進むとよさそうですよ、ということが示されていますので、特に管理職の方や教育委員会の方に参考になると思います。

 

情報活用能力には、情報モラルや情報セキュリティといったことも関係します。東京都の都立高校は、2018年度から個人のスマホを授業で活用することを始めました。これによって、端末を導入するよりも、ネットワークの活用やWi-Fiを整備することを優先したことになります。これは、これからの時代のICT環境整備の方法と一致しています。

 

規制緩和と運用上のルールのバランスが必要

2009年に、当時の文部科学省からの通達によって、スマホの持ち込みは原則禁止のところが多かったですが、それから10年経って、むしろきちんとした使い方を教えるべきではないかという動きに変わってきています。もちろん、学習の場面でどこまで使わせるという問題がありますが、これは実際の運用上の問題です。10年経った今、保護者のお金で買ったスマホを、国が一律に禁止するというのはどうなのかという議論が今再燃し、見直しの会議がスタートしています。

 

ただ、そうはいっても不適切な事件に学校の教室が巻き込まれることもあり得るわけで、その辺りのガイドラインをどうするのかということを審議しています。

 

これから労働人口が減っていくので、日本全体としては、いろいろなものを規制緩和して、自分たちで判断していこう、という方向で動いています。規制をすることで、かえってお金がかかりますからね。しかし教育委員会は、学校現場をあまり信用していないのか、たくさんルールを作って、「あれはやったか、これはやっているのか。ちゃんと報告しろ」ということを繰り返して言っています。学校現場の疲弊は、たいてい文部科学省が悪いみたいに言われますが、実際は文部科学省の人は、相当大胆にいろいろなことの見直しをしています。ところが、それが学校現場に下りてくるまでに、伝言ゲームになって枝葉が付いてきます。こういった今のヒエラルキーを、どのように作り直していくかというのが、これからの課題だと思います。ネット社会なのですから、現場の学校や先生が、直接文部科学省のデータや中教審の審議の報告を入手することも可能です。だからこそ、現場が現場の裁量で判断して動ける部分を、これから増やしていこうという方向になると思います。

 

情報モラルの教材として、文科省などが作っている動画の教材です(※)。これはYouTubeに出ていますが、問題はYouTubeが禁止されている、あるいはフィルタリングで見られない学校があるのです。これは、国が作ったものを研修や学習指導で使えないことになります。安全に超したことはありませんが、「過剰にフィルタリングをかけることイコールよい環境」なのか、ということを見直す必要があります。セキュリティの見直しというのは、重要の課題の一つです。

 

教科学習へのプログラミングの導入には、必ずその前提となる活動が必要

続いて、小学校プログラミング教育のお話です。今日も、この会場の公開授業で、5年生の子どもたちが正多角形を描く授業をしていました。小学校のプログラミング教育については、それまでにプログラミングの経験が全くない子どもたちや先生が、ある教科のある場面で急にプログラミングを導入しても、教科として十分満足するような結果を出すことができないということです。学習にあたって、どこかでそれにつながる考え方やスキルを経験していて、初めてそれが教科の中で生かされることになります。情報活用能力が「基盤となる」というのはこのことです。

 

プログラミングも、その基盤となるものの見方や体験をそれまでに経験しているからこそ、教科の中でそれが応用されることになります。ですから、この場で初めて多角形の描き方もプログラミングも体験するのでなく、教科の学習を大事にするからこそ、日頃から教科に関係なく、プログラミングに触れて体験するということをしておく必要があるということです。今日の公開授業のクラスは、4年生のときからコンピュータを持って、自分たちでプログラミングをするということをやっているので、スムーズで、しかも深い授業ができるのです。先生の力量が高いから、優秀な子どもたちだから、という話ではありません。公立の小学校でも、同じモデルで授業をしているところは全国にたくさんあります。

 

小学校の学習指導要領の総則には、プログラミングについてこちらのように書かれています。大事なのは、「児童がプログラミングを体験しながら」というところです。つまり、まずプログラミングを体験するということが目標になっているということです。ですから、「別の形で論理的思考力を身に付けさせているから、プログラミングをさせなくてもいい」というのは誤りです。

 

これは長い目で見ると、例えば数学を学んだことを、数学以外の別のところで応用できるのはよいことですが、だからと言って、数学以外のところでそういう見方が出てくるのであれば、数学を学ぶ必要ないということはないと思います。プログラミングも同様で、実際プログラミングを体験することなしに、プログラミングで用いられる論理的思考をどれだけやったとしても、プログラミングの経験がない人には、それがプログラミングにはつながらないということです。

 

「コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考」を身に付けるために

ここでいう論理的思考というのは、「コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考」です。論理的思考にはいろいろなものがあります。国語には国語の、算数・数学には算数・数学の、理科や社会科にも、それぞれ学問としての論理的な考え方があります。同様に、プログラミングにおける論理的思考というのは、コンピュータをうまく動かすためにどうすればよいかという論理的思考なので、これをコンピュータでプログラミングをするという体験なしに身に付けさせることはできません。同じようなことをしたとしても、それはプログラミング的思考とは言わない、ということです。

逆に、ある授業でプログラミングを一生懸命やった子どもたちが、次の時間に先生が黒板とチョークで別の活動をしたときに、プログラミングの考え方を話すことがあるかもしれません。つまり、長い目で見たときに、その子たちがどのくらいプログラミング体験をするかを、きちんと視野に入れたカリキュラムになっているかどうかが大事だと思います。

 

小学校のプログラミングの授業の題材としていちばん取り上げられるのは、先ほどもご紹介した正多角形の描き方です。これは六角形ですが、左側に書いてあるように、赤いカードのところは3つ進む、黄色のカードでは60°回転する、ということを繰り返せば六角形が描けます。

 

同じことを何度も繰り返さなくても、「同じことをするところを一つにまとめて、それを〇回繰り返す」という肌色の枠を使えば、同じ内容がもっと短く書けるね、いうことを学んでいます。

 

これは八角形でも同じやり方で描けます。もしも一万角形を書くときには、左側の何回も繰り返す書き方ではおそらく無理ですが、右側のまとめる書き方であれば描けます。

 

つまり、こういった活動をすることで、算数的なものの考え方の延長にプログラミングがあり、プログラミングを使うことによって、人間では時間的にも技術的にも到底無理なことを、コンピュータがうまく・たちどころにやってくれていることを体感することになります。

 

私たちの社会は、いろいろなものがコンピュータによって支えられています。例えば、最新のエアコンは、ちょっと室温が高くなれば涼しい風が自動で出て来て、涼しくなれば止まります。これをいちいち人がやっていたらたいへんです。このように、実際に自分でプログラミングを体験することによって、生活や社会の中で機械が自動で動くのは、実はプログラミングで制御されているんだ、ということを知り、見方ができることが大事なのです。

 

ですから、左側のように直列で書いていたプログラムを右側のように括るということの意味は、正多角形というのは、それが三角形であっても六角形であっても、もっと大きなn角形であっても、全ての辺の長さが等しくて、全ての角の大きさが等しい。プログラミングでは、これを適切に変えさえすれば、あとはどんな形でも書けるということです。「適切に変える」というのが数学的な考え方です。そのことを子どもたちに理解させるのが、モデル化の考え方ということになります。

 

算数でも数学でも同様ですが、例えば花壇の面積を求め方にしても、壁にペンキを塗る話にしても、いろいろな文脈がありますが、最終的に数式に落ちれば、そこから先は機械的に解けます。これが算数・数学の良さの一つです。こう考えると、いったんプログラムに落としたら、あとは数字を適宜変えればいろいろな応用ができるのは、算数や数学と非常に親和性が高いということになります。

 

今、MicrosoftやGoogleといったICT企業にインド人がたくさんいますが、それはインドが数学に力を入れていることと深く関係しています。ですから、プログラミングを取り入れた正多角形の授業を見て「こんなの算数じゃない」と言う人がいますが、それは昭和の時代の算数であって、これからの時代には通用しません。学校でも、いつまでも人口増加で将来が明るかった時代のやり方をずっと繰り返しているようでは、これから先の教育は語れないということになります。

 

プログラミングに関する学習活動の6つのステップ

文部科学省では、プログラミングに関する学習活動をAからFの六つに分類し、そのうちのAからDまでが教育課程内であるとしています。特にスライドの「A学習指導要領に例示されている単元で扱う」のところは、先ほどの5年生算数の正多角形の描き方と、6年生の理科の電気のところで、単元が指定されています。これらは教科書に必ず記載する内容になっています。

 

次は「B学習指導要領に例示はされていないが、各教科の内容を指導する中で、より教科の学習が深まりそうなところでプログラミングを取り入れる」というものです。その次に「C教育課程内ではあるが、教科とは別に実施する」があります。先ほど申し上げたように、これがないと先行体験はできませんから、学校ではとりあえずこのCからスタートして、いろいろやってみることが大事です。

 

皆さんはすぐAからやろうとしますが、断言します。無理です。ぜひCからやってください。とにかくいろいろなところでプログラミングを経験するというのは、子どもだけでなく、先生もプログラミングの活動自体を経験するということです。指導の経験もなしに、急にAやBをやるということは、ほぼ無理だと思います。

 

Aは教科書に書いてあるようにすれば、上手に誘導することはできますし、それに合わせた教材はたくさん発売されると思います。しかし、だからといって、それがにわかに全ての学校に十分な質や量で入ってくるとは思われません。ネットワークもある程度必要ですが、多分それもあやういことを考えると、とりあえず、まずCから、今ある教材や設備でできるところから始めるべきだと思います。

 

そして、興味を持った子や上手にできる子をクラブ活動などで育てていただくのがDです。さらに「E学校を会場とするが教育課程外」や「F学校外でのプログラミングの学習機会」がわざわざ書いてあるのはなぜか、と聞かれることがあります。これは、例えば学校での水泳の授業というのは1年間で何時間と大体決まっています。その授業だけで、皆が日本代表になるくらい速く泳げるようになるわけではありません。泳ぎの上手な子はスイミングスクールなどで、学校とは別の機会で練習をしています。

このように、学校教育は実は社会教育に支えられています。とりわけ水泳やピアノといった技能系のものについては、学校とは別の機会で練習を積んだ子たちを見習う形で、いろいろな授業が展開できるという側面があるのです。

 

このことを考えると、プログラミング教室などで習うことでプログラミングが上手な子が出てくることは、むしろ喜ぶべきことです。そして、クラブ活動などを通して、先生方がレベルの高い子たちというのがどのくらいできるのかを実際に目にし、理解することが非常に意味のあることだと思います。ですから、現段階でまだ学校にプログラミングクラブがないところは、正直なところかなりまずいと思います。カリキュラムマネジメントの一環として、学校で計画的に取り入れていくことが必要かと思います。

 

文部科学省と経済産業省と総務省が協力して、「未来の学びコンソーシアム」(※)という産・官・学共同の情報教育のコンソーシアムを作って、ポータルサイトを運営しています。そこに、来年度からの教科書で、どの教科書会社のどこにプログラミングが載っているかという一覧表があります。こういった情報も全て公開されていますから、ぜひご覧ください。

https://miraino-manabi.jp/

 

教育委員会の体制作りも急務

また、文部科学省ではいろいろな調査をしていますが、こちらは2017年度と18年度で、教育委員会の体制がどのように変化しているかというものです。

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プログラミング教育に対する準備の割合を、

ステージ0 特に何もしていない

ステージ1 担当を決めて取り組んでいる

ステージ2 研究会や研修を一部の人で実施している

ステージ3 モデル校や研究指定校が授業を実施している

の4段階に分けて、状況を調査しました。2017年の段階では、「特に何もしていない」というところが56.8パーセントもありましたが、2018年にはそれが4.5パーセントに減っています。多くの自治体が、もう授業を実施するところまでいったということですね。来年度から実際の授業がスタートするのですからこれでも低いと思いますが、それでも教育委員会はプログラミング教育の準備に力を入れ始めていることがよくわかります。

 

ただし、この右側に回答率が出ていますが、回答率が6割弱です。回答しなかったところは、答えられないという可能性を考えると、あまり楽観視できない可能性があります。

 

これと同時に、教育委員会の体制等の実施率の比較も行っています。教育委員会のプログラミング教育の担当者がいる場合といない場合で、ステージはかなり違います。さらにその担当者が、教員経験がある人かどうかで、さらに圧倒的に違います。つまり、教員経験のある人の方が整備が進むということは、言い換えれば、お役所の人の論理だけではなかなか進まないということでもあります。

 

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現場の先生が、プログラミングが得意でなかったとしても子どもたちに新しい学習活動をするというのは、英語や生活科、総合的な学習の時間と同様に、今はどのようにすればよいかということを、探索しながら進めている時期にあるということになります。

 

下図は、WDLC(Windows Digital Lifestyle Consotium)が行った「Make Code×micro:bit 200」いうプロジェクトで、micro:bitというマイコンボードを200校に配布してプログラミング教育をサポートするというものですが、その200校に対して、アンケート調査を行ったものです。昨年夏に各学校に配布して、今年3月までにいろいろな実践をして、子どもたちの実際のICTのスキルと、本当はこれを持っていてほしいと期待するスキルの差はどのくらいあるかを聞きました。

 

 

例えば、起動・終了やマウスの操作には大きな差はありませんが、キーボードの入力とファイルの操作には大きな差があります。他にも有意差はいろいろ出てくるのですが、つまりは、子どもたちはプログラミング以前にそもそもICTの操作がおぼつかないので、プログラミングの授業がうまくいかないということを示しています。これはつまり、基盤となる情報活用能力がない状態では、各教科の授業で実施するプログラミングがうまくいくわけがないということになります。ですから、プログラミングを取り入れると同時に、情報活用能力をしっかり身に付けさせることは、喫緊の課題ということになります。

 

これらを踏まえて、国ではプログラミング教育に民間の力を生かすことに大々的に取り組んでいます。こちらは2月に日経新聞に掲載されていましたが、文部科学省では今年9月を「プログラミング教育推進月間」として、各教育委員会と連携して、希望があったところに民間の一流企業からプログラミングの指導員を派遣することにしました。実は、申し込みは3月15日ですでに終わっています。こういったことについても、教育委員会のアンテナの高さが非常に問われることになります。ですから、専任の担当がいるか否かで、推進の度合いが大きく変わってしまうのです。今の教育長や若い首長の方は別として、お役所の偉い方々は、年代的にも「プログラミングなんか関係ない」と思われるかもしれませんが、これからの時代を生きる子どもたちが、学習指導要領にわざわざ明記されていることを、学校教育の現場が実施できないとしたら、それは非常に大変なことだと思います。

 

 

ということで、今のままのICT環境ではまずいので、とにかく急速に整備を進めましょうという時代に入りました。ただ、これは、設置者の義務なので、国ができることには限界があります。特に義務教育は、公立学校の設置者は市町村ですから、その自治体の教育委員会が動いてくれない限り十分な整備になることはありません。国の問題ではないのです。ここが非常に痛しかゆしで、地方分権の時代になってからの20年、国ができることは、せいぜい地方交付税交付金の金額を上げることくらいです。今回、この財政の厳しい時代に、しかも子どもの数は減っているのに、ICT環境整備のために地方交付税交付金を増額したのです。そのくらい気合を入れて応援しているにもかかわらず、それがICT活用ではないところにも使われてしまうという実態があります。これは地方自治体の問題なので、国としてはどうしようもないということになります。ですから、ぜひ皆さんから教育委員会にしっかりと訴えていただく必要があります。このことを今からお話しします。

 

学校はCBTが実施できないようなICT環境のままでよいのか

今年4月18日に、中学校の全国学力調査がありました。3年生の英語の「話すこと」の試験をパソコン室で行ったのですが、パソコンが不具合だったり、隣の声が丸聞えだったりで、大混乱になりました。わが国の学校は、コンピュータでテストをする環境がないということですね。

 

 

それを、とにかく先生方のご苦労で、USB使って音声を拾ったりとかして、何とかやったのですが、それでも502校が実施できなかったということがニュースになりました。502校というのは、全体の約5%です。95%は今の環境の中で何とかやったというのですが、私はそのことの方が本当はすごいと思います。

 

もしネットワークが十分に整備されていれば、今どきはネットワークでテストをしますよね。英検やTOEICといったものも、みんなネットなので、在宅で受験できますし、コストもかかりません。フィードバックもすぐ返って来ます。

 

そういう時代に、学校はネットワークを使うことができなかったのです。実は、最初はこのテストもネットワークを使って実施するということが検討されました。そして、予備調査や、そのまた予備調査のようなことがいろいろ行われて、やはり無理だということになっていたのです。学校のネットワークが整備されているところもあれば、学校に音声ファイルを送るなんてことができない自治体もたくさんあって、これでは無理だということになって、苦肉の策としてUSBを使うことになりました。

 

今どきUSBって、文部科学省は何を考えているんだ、と議論になりましたが、結局USBしか方法がなかったのです。

 

 

それでも国は、学力調査をCBTでやろうとしました。このことの意味をぜひ考えてください。このテストでは、現場には非常にご苦労をされました。学校にICT支援員がいないところは、先生方ご自身が苦労されました。それでも回収漏れが起こったりして、子どもたちにかわいそうな結果になったところもあります。

 

私が言いたいのは、これからの学校が、CBTが受けられないような貧弱なICT環境でいいのかということです。これからテストはコンピュータベースのものにどんどん切り替わっていきます。人手が足りなくなっていく時代に、紙に印刷して、テスト当日まで金庫に入れておいて、みたいなやり方がどこまで実施可能なのか、ということです。そうすると、そもそも全国で同じ日に学力調査をやるべきなのかということも、今議論になっています。

 

新しい学習指導要領では、前提となる「必要な(ICT)環境を整え」ると、学習指導要領自体に書いてあります。必要な環境を整える配慮というのは、「各学校において」とありますが、主語はもちろん設置者です。つまり、設置者の義務ですよ、ということが学習指導要領に書かれているのです。

 

「教育内容としてそれを行う基盤となる環境としてICT環境を整備しろ」と学習指導要領にと書いてあって、そしてそれを整備してないがために学力が上がってないとなれば、もはや国の責任とはいえないわけですね。その意味で、自治体の責任が問われます。

 

1校あたり600万円のICT環境整備予算をどのように活用するか

先ほどの地方交付税交付金も1805億円に値上げされ、市町村で言えば、小学校1校あたりの金額が、平均で約622万円になる積算額が地方に届いているはずです。それを、実際に学校に622万円使うかどうかは、自治体の判断ということです。

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お金があり余っているからICTを買うという自治体などあるはずがないのに、きちんと整備しているところと、相変わらず「お金がない」という理由で整備していないところがあるというのが現状です。自治体間の格差というのは、国の全ての会議において常に議論になる点です。その結果、設備のよい私学にたくさんの人が流れていく。これは公立学校の危機であると思います。

 

先ほど情報セキュリティについてお話ししたように、今、文部科学省のプログラミングや外国語教育に関する大臣の談話などがmextchannelというYouTubeのチャンネルに上がっていますが、これが、学校からは見られないというところがあります。また、筑波にある教職員支援機構(以前の教員研修センター)も、研修のいろいろなシリーズの動画を出していますし、教科調査官の解説もネットで見ることができます。ですから、集合研修でなくても、各先生たちに「1週間でこれを見ておいてください」と声をかけて、それをもとに○日に集まって議論しましょう、という形で、ネットを使うことと集合研修の良さをミックスできる時代になっているのに、基盤となるネット環境がそれを阻んでいるというケースが多々あるのです。

 

 

国は校務支援システムを強く推奨していますが、いまだに導入していない自治体があります。これは、大変なことで、先生方はよくそんな職場環境でやっているなと思います。現在校務支援システムがある学校は52.5%で、これもまた都道府県格差が非常にあります。一番高いのは愛知県と静岡県で、この2県は有名な校務支援システムの会社があります。

 

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文部科学省は、ICT環境の整備が進まない理由を様々な調査の中で調べています。例えば、教育部局としては検討したけれど、予算要望に至らなかったという自治体が10%、財政部局に要望はしたけれど認められなかったというところが20%もあります。

 

そして、認められたけれど、予算が要求通り付かなくて、結局整備が不十分なところが、これまた20%、ここまでで5割です。ですから、その他の理由などもいろいろ考えると、十分に整備できているところはまだ少ないですし、やはり財政部局の、もっと言えば首長部局の理解が重要であることになります。

 

 

あとは、やたらと高い機械を入れてしまうところがあります。それは、言い方はよくないですが、ある意味出入りしている企業の言いなりで入れてしまっているということも考えられます。また、公益調達が起こってない、自治体ごとに調達しているので、結果的にうまくいっていないということがあるので、この辺りを国が何とかしようという話もあります。

 

例えば、今年6月に文部科学大臣が出したICT環境整備方針の最終まとめによれば、大学が使っている高速回線であるSINETに各学校現場をつなぐのを、2022年からスタートさせるための実験がこれから始まります。また、学校のセキュリティが必要以上に強過ぎるのではないか、もちろんセキュアであることは大事ですが、何もかも個人情報として、それを全部学校で止めているというのは問題があるのではないか、という話も挙がっています。

 

また、環境整備として学校現場に何を設置すべきかについて明確な指針が示されていないので、無計画に入れているうちに、結局使い勝手が悪くなっているという事態も出てきています。そういうことを考えて、今後はクラウドを前提にしていきましょう、ということも書かれています。もはやクラウドでないとコストが見合わない状況に来ています。各自治体でサーバーを運用するわけですから、それをハッキングされたらどうするのか、ということを考えると、当然クラウドが前提になります。ですから、学校のネットワーク環境もクラウド前提の方向で整備していく必要があるということです。

 

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1人1台端末に向けて動き出している

今のお話は文部科学省のものでしたが、内閣府の教育再生実行会議の低減にもいろいろなことが書かれています。

 

下図は、5月17日に出た第11次提言からの抜粋です。一つは校内研修で使うようなポータルサイトや動画配信をもっとやりなさいということです。また、全国学力学習力調査の改善、CBTの導入についても書かれています。また、大学入学共通テスト、現在のセンター試験の後継試験に情報1を出題すること、それをCBTで実施することを検討するとも言っています。つまり、コンピュータでテストを受けたことがない人は、いろいろな意味で不利になりますよ、ということです。

 

これから日常のいろいろなテストの場面で、CBTがさらにポピュラーになると思います。検定はすでにそうなっていますし、企業の入社前研修などもeラーニングになっていますね。

 

 

そして一番下には、地方公共団体ごとの学校のICT環境にかかる整備の状況等を見える化、つまり公表すると言っています。これによって、議会や住民がICT環境の整備を評価できることになります。これは健全なことではありますが、同時に税金の使い方が問われることにもなります。

 

さらに、昨日、6月7日のニュースでは、政府の規制改革会議で、学校でのパソコンやタブレット端末を1人1台体制を早期に実現するという方向で、安倍総理に答申を行ったとされています。これは規制改革なので、国の規制緩和が起こってから地方に浸透していくまでには少し時間がかかりますが、最先端ではこのように動いていて、これはますます待ったなしの時代に入っているということです。