第11回 全国高等学校情報教育研究会全国大会 基調講演

教育の情報化動向と今後の展望

堀田龍也先生 東北大学大学院情報科学研究科

私は、現在は東北大学におりますが、もともとは小学校の教員からスタートしましたので、高校の先生方と接する機会は、今までそれほど多くはありませんでした。

 

新学習指導要領では、小学校・中学校から高校の教科「情報」への接続が非常に重要になっています。今日私からは、今回の中教審で議論された、これから我が国はどういう人を育てなければいけないのか、そのために何をしなければならないのか、ということについてお話しします。この議論の一つの解として、昨今話題の小学校でのプログラミング教育の導入があるわけですが、そのようになった経緯や、高校入学までに子どもたちが何を学んでくることになるかといったことをお伝えすることで、高校の教科「情報」の内容を深めていただきたいと思います。

 

今日のお話の柱はこの三つです。

 

まず、これからの時代がどうなるのかということ。そしてそれが中教審でどのように議論されて、小学校・中学校・高校の教育の見直しが行われることになったのかということを、情報に関係する部分についてご紹介します。

 

次に、高校に限らず新しい学習指導要領が求めていることはどういうことなのかをお伝えいたします。

 

最後に、小学校・中学校・高等学校の情報教育のつながりについて、新学習指導要領に向けたお話をします。

 

トップ研究者による最先端の学問講座を、誰でも・どこでも学べる時代がやってきた

皆さんはMOOC(Massive Open Online Course)をご存知でしょうか。MOOCは、簡単に言えばオンラインビデオ教材みたいなものでしょうか。いろいろな大学が、その大学の売りにしている先生や研究を映像コンテンツ化して、多くは無料で提供しています。日本では東大がとても進んでいますが、東北大学も「サイエンスシリーズ」として、例えばオーロラに関する有名な研究を、きちんと作り込んだ映像も含めて、大学としてはかなりのお金をかけてコンテンツにしています。

 

MOOCは、高校生が理解できるくらいの内容で、15分程度のものを何本かのシリーズで提供するというのが大体のパターンです。これを見て高校生が「東北大学に行ってオーロラの研究をしたい」と思って大学に来てくれる。偏差値でちょうどよかったからではなく、この大学で学びたいという意欲や興味を持って、しかも多少の基礎知識を持って来てくれるようになることを、大学としては狙っています。

 

また他の例としては、ご存知かと思いますが、滋賀大学はデータサイエンス学部という学部を作りました。滋賀大学は規模としては大きい方ではなく、しかも京阪神には大きな大学がたくさんある中で、国立大学法人としてこれから何が学問として重要になってくるのか、その拠点を何とか滋賀に作れないか、ということを考えてデータサイエンス学部を作ったわけです。そして、コンピュータサイエンスも含めて統計の関係の先生と、もともと経済学部があったので、特にマクロ経済を研究している方を集めて講座を再編してデータサイエンスの学部を作り、それを高校生のためにMOOCにしているというわけです。

※滋賀大学「高校生のためのデータサイエンス入門」

http://www.shiga-u.ac.jp/2017/06/19/48766/

 

 

こういうものが発展すると、そのうちに「データサイエンスは滋賀大学で基礎を学んで、応用は〇〇大学で学ぼう」とか、「オーロラ研究だったら、東北大学のMOOCで知識を得て、次はアメリカの△△大学のを見て」…という具合に学習することができるような時代が来るかもしれません。そうすると、私たちとしては、大学の先生ってそんなにたくさん必要ではなくなるのではないかという意味での危機感もあります。

 

こういったコンテンツは、たぶん今後もっと増えていくでしょう。MOOCのプラットフォームはいろいろな国にありますが、世界中で標準化が進んでいます。アメリカでは、教員の研修用のコンテンツを大学が提供して、教員が授業の方法のセオリーや教科教育のトレンドを学ぶようになっています。先生方は忙しいですし、広いアメリカで先生方が頻繁に集まることは難しい。集まれる人だけが集まったところで数名でしょうから、その中に卓越した人がいるとは限らない。そういった状況の中で、このような外部のリソースを使って研修するというのは、非常に理にかなった話です。18歳から22歳までの学生を受け入れるだけの高等教育機関ではなく、生涯学び続ける時代の大学として、高度な知識を市民に提供する役目を果たそうという文脈の中で、こういう動きが起こってきているのです。

 

日本のMOOCのプラットフォームになっているものの一つに、NTT系の「gacco(※)」があります。gaccoの説明には、『スマホ・タブレットで受講も可能。いつでもどこでも学ぶことができます。』と書いてあります。先ほどMOOCは東大が進んでいるという話をしましたが、必ずしも有名大学が第一線の研究を紹介するだけでなく、小さい大学でも一部の熱心な優れた先生が、そこの大学の特色ある研究を紹介している例もたくさんあります。さらに大学だけでなく、人材育成の会社が営業スキルの基礎講座を出すという例もあります。多くの人が知りたいと思うノウハウもこんな形で学べることになっているのです。

http://gacco.org/

 

こういった動きの背景には、インターネットが普及して、回線速度が速くなって映像がいつでもどこでも視聴できるようになったとか、個人認証の基盤が整ってきたとかいったこともありますが、それ以前にそもそも社会の動きが速くなった結果、もはや大学で学んだことだけで残りの人生をやっていけるような時代ではない、ということがあります。そうすると、社会に出てからも学び続け、何年かに一回は大学に戻ったり、仕事を休んでどこかに出かけて行って学ぶ、という時代が来るかもしれない。そして終身雇用が破綻した時代に会社に入った人は、自分で学んでスキルを付けてキャリアアップし、キャリアチェンジしていくことが当たり前になります。こういう時代の学びをどのように提供していくか。MOOCはこういう大きなスキームの中で行われているのです。

 

子ども向けの面白い授業の無料動画コンテンツもいっぱい! 先生の役割はどうなる?

今紹介したものは大人向けですが、最近は高校生向けにもこういう動画コンテンツがあります。昔は受験勉強用の「〇〇対策講座」的なものが多かったですが、今は受験に限らず、10分程度でポイントをわかりやすく解説するような、日頃の勉強をサポートするものがいろいろあります。予備校では、もう20年以上前からカリスマ講師のオンライン授業を地方でも受けることができました。当時はビデオデッキとビデオカセットでやっていましたが、今は公衆回線の通信速度が速くなって、映像の配信が可能になり、月額980円程度でスマホでいつでも・どこでも自由に受講できるようになりました。

 

こういったコンテンツは、中学、小学校でもだんだんユーザーが増えてきています。しかも、無料のものがたくさんあるのです。例えば、小学校5年生の算数の重要な単元で「単位量当たりの大きさ」というものがあります。抽象概念が入ってくるところで、いわゆる「10歳の壁」にあたる子どもたちにとっては最大の難関単元と言われていますが、「YouTube 単位量当たりの大きさ」と入れて検索するといろいろな説明の動画がいっぱい出てきます。しかもこれは全部無料です。子どもたちはそれを見て、この先生の教え方がわかりやすかった、ほかの単元もやっていないかな、と見ていくわけですね。

 

こういうものが身近にある時代に、学校の先生がやる授業というのは、子どもたちにはどのように価値付けられるかということなります。この点については、私自身も教員だったので、学校で教えるということはおいしいところだけではないということはわかっていますが、ユーザー目線から見ると、やはりちょっと不利なところだと思います。

 

そうすると、「このようなコンテンツが出ているのだから、知識を教えることはコンテンツに任せて、学校は友達と仲良くするとか、そういうところだけをやればいいんじゃないか」とよく言われます。しかし、こういうコンテンツが山のようにあったら、皆さんの生徒さんは本当にどんどん勉強するでしょうか?「今日は3つ、明日は4つ、先生が作ったスケジュール表のとおり見ておけよ」というようにすれば、確かに見るかもしれませんが、自由にやっていいよ、ということにしたら果たしてやるでしょうか。みんながきちんとやるとは思えませんよね。つまり、子どもたちはコンテンツがあれば学ぶのかと言えば、そんな簡単な話ではないということですね。

 

面白いデジタルコンテンツがあっても、それを使って学ぶ力が必要

私が「デジタル教科書の位置づけに関する検討会議」の委員会などでお話ししていると、優秀な役人の皆さんは、「教科書をデジタルにしたら、豊富なコンテンツがいつでも見られて、どんどん便利になっていいんじゃないか」と期待されるわけです。でも、教科書をデジタルにしたら、すごく楽しく教科書を読むようになるなんてことが実際あるでしょうか。「デジタル教科書を見過ぎて目が悪くなるんじゃないか」と心配する人もいましたが、目が悪くなるほど教科書にかじりつく子がそんなにいるでしょうか。結局大事なのは、学びのコンテンツがあるかどうかではなく、そういうコンテンツを使ってきちんと学べる力が必要であるということです。

 

自分にとって何が必要で、どれを学ばなければいけないかを見極めて、それをこつこつと自分のペースで学び続けていくことを「自己調整学習」という言い方で今非常に研究されていますが、そういう力がこれまで以上に大事になってくると言われています。

 

下図はエドテック(Edtech:education + technology)と言われる分野で活躍しているデジタルハリウッド大学大学院の佐藤昌宏先生が、MOOCのようなコンテンツに対して、どのような学力層の子が食いつくのか、効果があるか、みたいなものを図式化したものです。縦軸が学習意欲で、横軸が能力となっています。学習意欲と能力には、そもそも相関関係があるかもいれません。このモデルではブルーのAとBにはコンテンツの効果がある一方で、オレンジのCとDにはなかなか効果は出ないということになります。

つまり、能力はあまり高くないけれど非常に学習意欲の高い人(=A)は学習効果が出る。優等生(=B)はどんどんわかるので、いろいろなところで新しく学んでいくことができ、学習効果が出るでしょう。しかし、意欲が低ければ(=C、D)そもそもこういうコンテンツがあっても学習に向かわないから手を出さないよね、ということになります。ですから、能力も大事ですが、能力はステップアップして付けていけばよいので、むしろ意欲、つまり自分の学びや自分の将来や自分の生きている社会にどうコミットしながら、自分の学びを作っていくのかという、非常に長い時間をかけた主体的に学ぶ力が重要になるだろうというお話です。

 

主体的な学びが大事だと言われるのは、今申し上げたようなことです。先生に「主体的に学べよ」と言われてて、「はーい」と言ってやるのは全然主体的ではないのです。これから重要になる「主体的に学ぶ」というのは、自分が何ができて、何になりたくて、その差分をちゃんと把握して、足りない部分の学び方を自分でいろんな人に聞きながら、自分の学び方を見出していく。もしかしたらそこには試行錯誤があるかもしれないのだけど、より自分に適した、やりやすくてちょうどいいやり方みたいなものをうまく適用しながら、コンテンツに時には頼りながら、時には人に頼りながら、自分の学びを作っていく、そういう学び方が主体的な学び方をいうことになるわけですね。中教審では、こういったことが議論になりました。

 

少子高齢化で2050年には労働人口がほぼ半減、今までの働き方は通用しなくなる

そういう力が必要になる一つの大きな背景に、労働人口の激減・少子高齢化という、我が国に固有の大きな課題があります。

 

現在、世界の人口はどんどん増えていますが、日本の人口はどんどん減っていきます。日本の人口のピークは2004年で、その後減り始めてすでに15年経っています。しかし私たちは、右肩上がりで人が増えていた時代と同じモデルで仕事をしていないか、人材育成をしていないか、ということが問題なのですね。

 

 

社会の実態からの遅延があるのは、教育の世界では仕方のないことですが、2050年には人口は9500万人になり、戦後すぐと同様になります。そして戦後は、まだ子どもの割合、つまりこれから大きくなる人たちが多かったのですが、2050年には、65歳以上が人口の4割になります。そうすると、65歳を超えてからも、どうやって働いて社会に貢献していくか、という新しい働き方のモデルが重要になります。

 

同時に、そういう人たちの中には介護が必要な人も出てきます。体力や認知力が落ちた人たちを支えていく労働人口、ここがものすごく減っていくわけです。 

 

今までの日本は、「こうやったらもっと便利になるのではないか」と思いついた人が新しくビジネスを起こしてきました。人口が増えていたので、新しいビジネスができれば、それに従事する人がいたわけです。でも今は人口が減ってきていますから、新しいことを思いついても、それを誰がやるの?というところに直面しているのです。これからもっと人が足りない時代になったとき、今まで日本の中でやっていたことを、外国人やロボットに支援してもらうといったことを積極的に活用しないと、社会が回らなくなっていきます。

 

ちょっと前に、ベトナムから何万人かの介護労働者を受け入れるという話がありましたが、これもこの文脈です。また、ロボットスーツという、装着型の補助器具を使うと介護で抱き上げたりするのが非常に楽になりますが、そういった装置に支援してもらうことも不可欠になります。

 

人間の仕事を機械が代行~人間に求められる力は何か?

さらに、世界的に見ると第四次産業革命というものが起こっていて、今よりもっと機械化され、さらにそれがAI化されるようになります。今までに人がやってきたことをできるだけ定型化し、自動化して機械にやらせる。そして、あらゆるデータ、いわゆるビッグデータを人工知能に解析させて最適解を見つけ出す、そういったことがごく普通に行われる時代が来るわけです。

 

 

そういった社会の変化や日本の課題を考えたとき、今後の日本の教育はどうあるべきなのか、という議論になるわけです。中国がこれをやっているから、イギリスでこんなことを始めたからといったことは、参考情報としては役に立つかもしれませんが、では本当にそうなのですか、という議論がいつも出ています。また、やるべきだということはわかっていても、日本でそれをできるのですか、という問題もあります。

 

では日本は全然ダメなのかと言えば、そんなことはなくて、学力的には世界では未だトップクラスです。中国の上海や、香港やシンガポールには抜かれてしまっていますが、こういったところは教育に国を挙げて力を入れていますから、日本もまだ巻き返せないとは限らない。

 

日本は教員も高齢化が進んでいます。その人たちが退職して若返りが一挙に促進されるでしょう。秋田は小学校・中学校の学力調査で毎回全国トップクラスですが、秋田の先生方は40代が圧倒的に多いのですね。若い先生がどんどん先進的な授業を取り入れて、クラスもとても活発になって、よい成果を上げているのでしょう。しかし、10年後、20年後はどうなるか、みたいなことを考えると、これは人口構造レベルから考えないと有効な策は打てないということになるわけです。

 

人間がやっていたことを機械が代行するということで言えば、例えばATMです。大学1年生の学生に、「昔はお金を引き出すときは、銀行の窓口で人がお金を出してくれていたんだよ」と言うと「ええーっ、そんなことがあったんですか?!」と言います。皆さんも高校生に聞いてみてください。さすがにこれくらいは知っているだろう、と思っていたので、その「ええーっ」という言葉に私の方が「ええーっ」と言ってしまいました。また、記録媒体の話として、「昔はレコード屋でCDを売っていたけど、CDはレコードではないのにね」という話をすると、今はCDも見たことがない人もいて、ジェネレーションギャップに驚かされることがよくあります。

 

この辺りは、まだ第三次産業革命のところです。第四次産業革命というのは、機械が人の仕事を代行するようになったとき、いろいろなログを取って、そのログが知的に利用されて何かをやるようになったことを言います。そして、今の大学生の世代は、生まれた時からこういうことが行われている時代を生きています。私たちは、このような変遷を断片的には見てきましたが、彼らは生まれた時からiPhoneがあり、自動運転の車に乗っているかもしれない。そういう時代を生きていく人たちを、私たちはどう教育するか、という議論なのです。

 

人工知能が人間を凌駕する時代だからこそ求められる「学び方」

AIが発達するとどうなるか、ということについて話題を呼んだできごとがあります。2011年にIBMのWatsonという巨大なデータベースが、アメリカの『ジョパディ!(Jeopardy!)』というクイズ番組(これは日本で言えば『クイズ$ミリオネア』のような賞金を懸けるクイズ番組です)で、クイズ王みたいな人たちに勝ってしまいました。もちろんこれはIBMの技術者たちが、勝つようにずっとチューニングしてきていたものです。『ジョパディ!』では過去問が一切出ないので、過去問をデータベース化して、そこからどういうものがどういう問い方で問われるかという知識を抽出して、それと世の中の様々なデータを重ねて、そのロジックに合わせるとどういう答えの出し方が必要かを強化学習する、つまり機械学習を重ねてきました。

 

Watsonが勝った時の問題というのが、

・モーツアルトの最後の

・最も有名な交響曲である。

・その曲にはある惑星の名前がついている。

・その惑星の名前は何か。

というものでした。答えは木星、英語でJupiterです。

 

この時Watsonは、「交響曲 モーツアルト」で検索すれば、関連するものがワーッと出てくるので、そこにある単語の中で惑星の名前を見つけるのです。Watsonには理科年表のようなものも記憶させてあるので、そこの惑星一覧に載っている単語を見るとJupiterとあるから、それを見つけた瞬間に、「答えはJupiterだ」というわけです。それが、人間のクイズ王がコンマ何秒で答えを出すより早く見つけられるというわけですね。ですから、ロジックとしては大したことはやっているわけではなく、人間が普段やっていることを高速に、かつクイズという処理系での問われ方や答え方に特化して強化をされたことによってできるようになった、ということですね。その意味では、クイズ王のような人も、ただの物知りの人がクイズに強くなるようにものすごく練習しますよね。人間が強化学習をするのと同じことを、コンピュータがやって勝ったということなのです。これは、国立情報学研究所の「ロボットが東大に合格できるか」というプロジェクトで開発された「東ロボくん」に関する研究の過程で、新井紀子先生がおっしゃっていたことです。

 

しかし、本当に問題なのは、コンピュータがこうやって意味もわからず表をチェックして見つけたくらいのことと、同じような精度で答えられないレベルの人間がいっぱいいるということです。そこから、「いずれ人間の仕事がコンピュータに奪われる」という危機感を煽るような話が出てくるのです。そして、こういったAIが普通に使われるようになってくるなら、人間こそがやらなければいけないこととは何だろうか、という議論になるのです。

 

こういう社会の動きを受けて、「これからは何でもgoogleで調べればいいのだから、人間はいろいろな知識を覚えている必要はない」という、私から見れば暴言を吐く人はいます。しかし、googleで見つけたものが本当に正しいかどうかは知識がないとわからないですよね。だから学校は、知識・技能を身に付けさせなくてもよい、ということにはならないでしょう。ただしそれは、やたらと細かい話まできめ細やかに覚え込むというようなことではありません。それはもう探せば出てくるので、探す際の幹になるような基本的な知識と、あとは調べ方や比べ方のような判断に必要なスキル、そして個別の知識をどのようにもってきて、どのように活用するか、というタイプのスキルのようなものが必要になります。これを一言でいえば『学び方』です。学び方をどうやって育てていくか、ということが、生涯学び続けるためには非常に重要である、ということになるわけです。これがICT化によっていっそう促進される、という話になるわけです。

 

専門に入り込み過ぎるのでなく、大括りな見地からいろいろなところと交渉していく力が必要に

それが具体的にどのように活かされるか、というお話をしましょう。例えばドローンというのは、社会的にいろいろ応用ができそうな技術ですよね。ドローン自体を作る技術もあるし、どうやって飛ばすか、羽はいくつ必要なのか、羽の素材はどうやった方がうまく効率よく飛ぶのか、コストを下げられるかといった、航空力学や材料工学に近いような話もあれば、ドローンがどうやってセンサリングをしてどこに向かうか、Google Mapのような地図に対応させてどうやって自動制御するか、といったタイプの技術もありますし、通信技術ももちろん必要ですし、ドローンはどのくらいの高さまで安全なのかという安全工学みたいな話もあります。さらに、地上何メートルの高さまでなら航空法に抵触しないかという法律的な問題もあります。

 

つまり、「ドローンの技術を社会で応用しよう」という一言の中には、世の中の様々な学問領域と適用領域が関わってきます。そして、何か新しい技術をやろうとしたら、いろいろなところにネゴシエーションをして様々な問題を解決していける人が、うまくビジネスチャンスを得て、起業していけることになるわけです。

 

 

東北大学にも、東日本大震災で被災したことを受けて、災害科学の国際研究所があり、『災害に強い街作り』を研究しています。そこには津波に関する研究をするところもあれば、大きな災害が起こった時にどんな情報が必要でどんな情報は必要ないか、とかいった情報流通の研究もありますし、災害に強いインフラとしてのネットワークをどのように構築するのか、それは平時のネットワークと同じでよいのか、どういうふうに切り替えればいいのかという研究もあります。当然のことながら、安全で復旧が早い道路づくりはどうすればいいのかとか、という土木工学の分野もあります。このように、『災害に強い街』というだけでも、ありとあらゆる研究の協力が必要になるのです。

 

社会が複雑化しているので、学問が文系・理系、何学部と何学科としてきれいにわかれるというのは、実はとても稀なのです。基礎学問の範囲であれば分類可能であっても、応用分野になると、非常に大きな括りで、かつ多様な知識がないと、結局、自分の持っている知識すら使いこなすことができない、ということになってしまうことになります。ですから、私学の中堅どころの大学は、多くが一学部一学科といった形で大括りにして、情報であれば情報というキーワードでみんながつながって、それぞれの専門分野の知恵を少しずつ出し合って、新しい社会の問題を解決するという学びかたになっています。

 

そして、これからは高校もおそらくそのような学び方にしなければいけないだろうという議論になっています。つまり、専門学科に切り分けていくのでなく、もう少し大括りの再編が必要ではないかということです。これは、8月3日の教育再生実行会議で話題に出ています。そして教育再生実行会議では2つのワーキンググループを作って、来年5月には第11次提言を出す予定で動いています。この2つのワーキンググループのうちの1つが、これからの高校の在り方についての検討です。教育再生実行会議は政府の会議なので、その提言が実際に文部科学省での審議になって現場を動かすまでには、たぶん何年もかかりますが、今後かなり大胆な見直しが始まる、ということになります。

 

ちなみにもう一つのワーキンググループは、情報技術によって学校や学習がどのように改善されるべきかということを検討する会議になりますので、こちらにもぜひ注目していただきたいと思います。我々がそういうことを議論する背景には、先ほどお話ししたドローン一つとっても、実際に社会で適用できるかということを考えるときには、様々な学問の横断的なドライブが必要になる、ということがあるのです。

 

一つの情報だけでなく、様々な情報を組み合わせて判断する力=情報活用能力が不足する日本の子どもたち

次の学習指導要領では、もともと高等学校の情報科のキーワードだった「情報活用能力」が、小学校や中学校でも、教科「情報」以外でも重要なキーワードになります。文部科学省では、この情報活用能力がどのくらい身についているのかを、小学校5年生、中学2年生、高等学校2年生に対して調査しています。この調査は、CBT(Computer Based Testing)で行っているという点でも、注目されています。

 

この調査を通していろいろなことがわかりました。例えば日本の子どもたちは、あるWEBページに書かれている整理された情報の中で答える設問には見事に答えられるのですが、複数のページを渡り歩いて、あるページに書かれていた言葉と、こちらに書いてあったデータを組み合わせて判断しなければならない問題になると全然ダメなのです。でも、実際私たちがネットで調べるときは、Googleで検索したあるページに書いてあることを抜き書きして終わり、ということありませんよね。もしそうしている生徒がいたら、先生方は「それは浅いよ」と言われるでしょう。でも、浅いことはできても深いことはできない子どもに、誰が教えるのか。経験せずに自然にできるようになることは、たぶんないでしょう。だとしたら、こういうことが教育内容になるべきではないか。こういう情報活用能力というのは、社会に出たら普通に使う力なのだから、学校教育の中でもっと明確に育てる必要がある。そして、こういう能力が育ってきたことを前提に各教科の学習が行われるべきではないか。そういう議論に向いてきたわけです。 

 

そのほかに、例えばブログの例文を見て起こりうるトラブルの予測をして、それに対するアドバイスを考えて書くという問題を出してみると、トラブルの予測ができない子が一定の割合でいるのは仕方ないとしても、その理由付けが、「みんながやっていないからやめた方がいい」という書き方をする子が多く、ブログの特性や仕組みをもとにした多角的な理解はすごく弱いのです。さらに、このアドバイスはキーボードで入力するのですが、そもそもタイピングができなくて文章が打てないので、答えがわかっているかどうかもわからない。そういうことが明らかになってきて、これは大きな問題だよね、ということになりました。

 

教科学習の中で情報活用能力を発揮し、育てるためのICT環境つくり

このような調査を経て、小学校・中学校・高校を通して情報活用能力を育成することは、新しい学習指導要領の一つの大きな柱になりました。具体的には、小学校・中学校では高校の教科「情報」のように、教科として教えることはできないので、いろいろな場面でICTを活用することによって身に付けさせていくこと。そして、教科の学習の中で情報活用能力を発揮できるような活動や場をできるだけ取り入れましょう、ということです。先生が電子黒板を使って教えることだけでなく、子どもがタブレットやノートパソコンなどを持って、自分たちでインターネットにアクセスして調べた情報と、教科書や先生から聞いた情報と比べて、自分たちの考えをプレゼンテーションしていくみたいな、一言でいえばアクティブラーニングのようなことを行うことで、情報活用能力を発揮させる場面を作りましょう、と。そのためには、ICT環境の整備がも必要になるね、ということも議論になりました。

 

ここからは、今現場で起こっていることをお話しします。

 

小学校には今このスライドのようなタイプのタブレットが入ってきています。今後デジタル教科書が法令で認められるようになるので、教科書もブレットの中に入ってきます。そうすると、大事なところに線を引いたり、作ったものを保存したり、前の時間のものをキャプチャーして今日やったところと比べて、それをプレゼンテーションしたり、というようなことも可能になります。このスライドでは、国語の段落分けをしているところですが、「要約文を作るとしたら7段落はいらないね」と消しゴム機能で消してしまうとか、紙の教材ではなかなかできないようなことをやっています。いざとなれば、アンドゥ(undo)して戻せばよいので、かなり大胆にいろいろなことができています。

 

「深い学び」には知識を身に付けさせる活動も絶対に必要

また理科の実験で言えば、このスライドは、鉄球を温めると温める前は通っていた輪が通れなくなるという金属の膨張の実験です。これをタブレットで写真に撮って、「教科書に書いてあることは、この写真で証明された」という感じで、教科書に書いてあることと自分の経験をつなげていこうとしているところです。子どもたちは、けっこういい写真を撮ります、いい写真が撮れるということは、ここで写真を撮っておかなければいけない、というタイミングがわかっている、つまり知識が付随しているということです。自分が持っている浅かった知識が「やっぱりそうだ」と確かめられたことで深められた、ということなのですね。

 

ですから、浅い学びの知識は要らないわけではありません。先生に教わって、何だかわかったような、わからないような知識があっても、今まではテストをするから一夜漬けで一生懸命に何とか覚えて、テストで書いたらきれいに忘れる、みたいになっていたわけです。しかし、先ほどの実験のようなプロセスを踏んで、自分の中でもやもやしていた知識を使って確かめることで、ああそういうことだったのかと、腑に落ちるという深い学びになっていくのです。

 

これをどうやって組み立てていくのか。先生がちゃんと説明して教えるというところは、それはそれでとても大事です。問題は、この知識を使う場面をどうやって授業時数の中で保障していくかということです。この時、先ほどお話ししたようにタブレットを使わせるとして、この時間にタブレットに初めて触るようでは、たぶんうまく使いこなすことはできないでしょう。ですから、タブレットはいつでも使える環境になければならない。そして、いつでも使うことによって情報活用能力が身に付いていなければいけないというわけです。

 

現在の小学校5年生からは、新しい学習指導要領による新しい大学入試を受けることになるので、小学校の現場では、今の5年生からは今お話ししたようなことをいっぱいやらせておこうとしています。でも、その後の中学校3年間がどうなるか、ひょっとしたら何もやらないという可能性もあります。そしてその子たちは2022年には確実に皆さんのところにやってくる、ということになります。

 

「主体的・対話的で深い学び」の経験を積んだ子どもたちを、高校の教科「情報」でどのように受け入れるか

各教科教育の中で情報活用能力を発揮させよう、ということを政策用語でいうと、この図のようになります。学習指導要領の総則の文章ですが、言語能力と情報活用能力と問題発見能力は、各教科の学習の基盤となる資質・能力です。各教科自体にも基礎があり応用がありますが、その各教科の学びの土台となって支えるものであり、情報を扱う力と問題を発見して解決するというプロセスを意識する力であると言っているわけです。

 

高等学校の教科「情報」は、もともと問題解決を志向していました。そこに至る前に、こういう経験を積み重ねてきた子が皆さんのもとにいずれやってくる。そういうことになった時の高校の教科情報の在り方みたいなことを、ぜひ考えていただきたいと思います。

 

車を運転する皆さんは、車の車庫入れはなさいますよね。けっこう苦労される方も多いと思いますが、自動運転であれば、慣れない人よりよほどスイスイ車庫入れができてしまいます。自動運転では、車体につけたセンサーと障害物の距離でハンドルをどのように動かすか、というプログラムが動いているのですが、これからは自動運転に限らず、こういった自動制御で動くものが身の回りにあふれていきます。それによって、高齢者が増えても安全な車や安全な道路、さらにそういうものを前提とした道路行政というものができるということになってきます。

 

自動車がここまで自動化されるとちょっとびっくりしますが、考えてみれば家庭に普通にあるエアコンにもコンピュータが入っていて、センサーで人が活動しているかどうかによって風を分けてくれますよね。お掃除ロボットなどは、子どもたちにも非常に身近です。こういうお掃除ロボットに誰かが作ったプログラムが入っていて、それによって動いているのだということを子どもたちに意識させる、ということが小学校のプログラミング教育の最大の目標です。ですから、プログラムが組めるとか、プログラマーになるとかいったことではない。小学校の5年生や6年生が何時間かでやったくらいでプログラマーになれたら苦労はしないですよね。確かに、子どものうちに機会を与えることで、才能や興味のある子が芽を出すということはあってもよいと思います。例えば、小学校の体育で跳び箱をやりますが、大人になって跳び箱を飛んでいる人なんてあまりいませんよね。でも、小学校の時に跳び箱をやっておくと、高い跳び箱をきれいに飛ぶ人の凄さというものがわかります。プログラミングもこれと同様に考えていただければよいのです。

 

小学校のプログラミングは、子どもたちの体の中にプログラミングが社会に果たす役割の「物差し」を作る

初等教育の目標は、子どもたちの体の中にいろいろな物差しを作っていくことです。これからは、その物差しの一つにプログラミングを体験して、プログラミングがこんなに難しいとか、これだけ単純なことをやるのにこんなに手間がかかるんだとか、でも自動で動いてくれたら本当に便利だとかいったことを経験していく。そして世の中を見ると、エアコンも自動販売機もお掃除ロボットも、みんなそういうものが動いていて、さらに2050年に近くなればなるほど、こういう身の回りのロボットが私たちの身の回りの生活や社会を支えていくのだということを、子供たちなりに実感してもらうということが目標なのです。

 

ですから、小学校のプログラミング教育は高校のプログラミングと直接的に同じ目標というわけではありません。しかし抽象化すると、たぶん同じだと思います。技術のレベルや体系は違うかもしれませんが、最終的にはそれが個人のスキルを超えて、社会にどう還元されるかというところに本質的なところがあるのだと思います。

 

 

新学習指導要領で高校のプログラミング教育がどうなるかという詳しいお話については、明日の鹿野先生にお任せすることにしますが、高校のプログラミング必修化は確かに大変ですが、それでも現行の学習指導要領の「情報の科学」の方にはプログラミングの単元はありました(実際は2割しか選択されていませんでしたが)。また、中学校では、大幅に内容が増えることになりましたが、一応今までも技術・家庭科技術分野で行ってきていました。しかし小学校は、今までやったこともないし聞いたこともないものが突然入ってくる。しかも、専科ではなく全教科ですから、これは現場の先生方のショックが非常に大きくて、いろいろなことが混乱しているという現実があります。実際は、そんな難しいことを要求しているのではないので、実際にやってみれば、「ああ、こういうことか」とわかっていただけるのですが、やったことのない方はやはりビビりますよね。

 

例えば神奈川県の相模原市は、小学校・中学校の先生方にプログラミング教育を理解してもらうことに最も成功している自治体の一つであると思います。先日見学に行ったときは、LEGOを使ってプログラミングを行っていました。社会科で日本の農業の勉強をしていて、農業に従事する人口が減っているのなら、どんなロボットがあったらよいか、ということを考えているのですね。「収穫できるようになっていたら教えてくれるロボットがあったらいいのではないか」ということで、どうやったらそれを判別できるのかを子どもなりに考えて、「この植物なら高さが〇〇センチになったら音で知らせる」とか「花だったら色が付いていたらいいのでは」ということを意見を出し合います。小学生ですので内容的にはプアですが、彼らなりに考えて、「こういうものが今の日本の農業の課題を克服する」という彼らなりの考えをまとめることを、社会科の発展学習として行っています。こういった経験が、とても大事なのです。

 

小学校で、朝顔やミニトマトを育てたりするというのは普通に行われています。これで子どもたちが植物の生長を観察したり、世話をしなければ枯れてしまうことを見るのも一つの大事な経験ですが、例えばセンサーを使って自動で水や肥料をやる装置をつけてやれば、手をかけなくてもよく育つことがわかり、機械を使うことの便利さが実感できる部分があるのではないかと思います。

 

こちらは、宮城教育大学附属中学校の実践です。通信において、送信側と受信側のプログラムが両方ともちゃんと作動することによって通信ができるという、トータルなソリューションを意識したプログラミング教育のようなことが行われています。学んだことを振り返るのに、みんながクロームブックを持っていて、掲示板に自分が作ったプログラミングのキャプチャーと感想を、5分くらいで振り返りを書くといったことも始めています。これは、附属の一部の学校の例ですが、こういうことをやった子どもたちが入学してくる高等学校での情報教育を、皆さんに考えていただきたいと思います。

 

小学校の算数・中学校の数学・高校の数学・情報を通して『データの活用』が新たな柱に

最後にもう一つ。情報の先生の中には、もともとは数学の先生がいらっしゃると思いますが、算数・数学も今回の改定で相当大きな変化が起こりました。小学校・中学校で4つしかない領域の一つに、「データの活用」という領域が新たにできたのです。以前は、小学校の算数では、表にまとめるとかグラフにするとか、そういうものがあり、中学校では統計や確からしさとかいうものがありました。それが一つの体系・一つの領域となったのです。

 

 

下図のDのさらに右側に情報科がある、という位置付けです。こういったデータサイエンスと、それを自動で動かす機械の発展が社会を支えている。そういう時代の算数・数学教育では何を教えるべきか、という見直しが行われたのです。 

 

ですから、社会の情報化が進んで、高等学校の情報科が重要になるというのは当然ですが、各教科も時代に合わせて動いています。社会も理科も、国語もそうです。そうすると、皆さんが各教科と、あるいは各校種とどのように連携するのか。もっと言えば、実社会や企業などともどのように協力して授業を進めていただくかということが、とても大切なことになるかと思います。