事例327

情報Iの授業で伝えたかったこと~情報技術と友達になって、「楽しみな未来」へ

日出学園高等学校 武善紀之先生

「情報I」の内容は、社会の仕組みからデザイン、コンピュータとネットワーク、データ分析と非常に多岐にわたります。

1年間の「情報I」の総まとめの授業は、50回余の授業で何を学んだか。「情報I」を学んだことで何ができるようになったのか。何のために情報を学んだかを生徒自身が振り返るための、大切な時間になります。

 

今回は、日出学園高校の武善先生の「技術と人の接点」と題した最終回の2回の授業を見学しました。

 

情報科は「問題解決」のためだけではない、という強いメッセージが込められた授業でした。

 

 


■技術と人間の接点(最終回 前編)

人にも機械にも「やさしい」技術

 

「技術と人間の接点」の授業は、ホームルーム教室で行います。授業の内容によって、年間の授業の4割程度はホームルーム教室で行っているそうです。

 

最初に、3学期に行った「ユーザーインタフェースとUX」を振り返りました。利き手が使えないときでもうまく貼れる絆創膏にするにはどうしたらよいかを考える「絆創膏のUX(ユーザーエクスペリエンス)改善実習」では、「使いにくい」を「使いやすい」へ、「頑張れば出来る」のでなく「頑張らなくても出来る」ためにはどうしたらよいかを考えました。

 

この根底には、「技術は人にやさしい」という考え方があります。ものを作るときに壊れないようにするのは当たり前ですが、壊れないものはない。万一壊れたときに生じる被害を最小限にするのが「フェイルセーフ」です。

例えば、踏切の遮断機であれば、「発生しうる異常」として、停電によって遮断機の開閉ができないという事態が考えられます。その際に「安全方向」として、まず人が踏切内に立ち入らないようにすること。そのための「フェイルセーフ」は、電源喪失時には重力で遮断機を閉めてしまうようにする、ということが例示され、他のものではどうか、ということを考えてみます。

 

一方で、「ミスをしない人は存在しない」という考えから生まれ、特に医療の現場で発展したのが「フールプルーフ」です。たとえミスをしても、ギリギリのところで危険を回避する仕組みで、例えば加熱中にドアを開けると自動で停止するレンジなどがこれにあたります。

 

これは人間だけでなく、機械の誤作動を防ぐことにもあてはまる、という話につながります。

 

 

ここで1つの実習をします。黒板に表が白、裏が黒のタイルを5行×5列のマトリックスになるように生徒がランダムに貼って、白黒がどのように並んでいるかを他の生徒に記憶させます。

 

次に、このマトリックスに先生が1行・1列増やして6行×6列として、この白黒の並び方を再度記憶させます。

 

その後、1人の生徒にこのタイルの中で1枚だけを裏返しにさせ、どこを裏返したかを当てる、というものです(※1)。

 

 

実は、先生が1行・1列増やす際に、縦・横で黒がいずれも偶数枚になるように貼ってありました。1枚裏返したところは奇数になるので、その行・列の交点(スライドの○)がそこにあたる、というものです。

 

 

種明かしを聞いて、生徒たちはなるほど、という表情ですが、これがバイナリデータを送信する際のエラーを検出・訂正するためのパリティビットの仕組みです。

 

パリティビットは、大学入試センターの共通テスト「情報I」の試作問題(2022年11月9日公表:第1問 問2)にも出題され、話題になりましたが、「符号の誤りを検出したり、捏造を防止したりするための仕組みが予め組み込まれた、やさしい技術である」ということが強く印象付けられる活動です。

 

※1 コンピュータサイエンスアンプラグド「カード交換の手品」

 

このマトリックスの延長として、QRコード(2次元バーコード)の構造について話がありました。QRコードは、実は全体の3割程度を汚しても読み取りが可能な構造になっています。

この根底にも、常に「誤りはある」という意識、「ちゃんとやろう」「ちょっとのことは我慢しよう」という根性論ではなく、それを技術で解決していこう、という思いがあります。進歩はこの意識から生まれるのです。

 

 

社会は技術で進歩する

 

技術は人によって、人のために、生み出されたもの。この視点で、技術の進歩が社会をどのように動かしてきたか、という話を次に学びます。Society1.0から4.0までを簡単に振り返って、人類の営みの歴史とは、技術の歴史、問題解決の歴史であることを確認します。

 

では、その次に来る社会とはどのようなものなのか。

ChatGPTが象徴する人工知能社会。消費者対供給者という構造が崩壊し、ユーザーの誰もがクリエイターとなり、Webサイトへ投稿したコンテンツによって成り立つCGM(Consumer Generated Media)。明確なリーダーが存在せず、群衆(crowd)が秩序を握り、三権分立+マスコミに加えた第5の権力とも言われるSNS。これまで企業や行政機関が行っていたことがインターネット越しの「個」の集合で可能になるクラウドファンディングやクラウドソーシング。さらに現実空間を広げるVR(仮想現実)、AR(拡張現実)、MR(複合現実)などのxR技術…。

このVUCA[変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)]と言われる、まさに激動の時代に、情報科の学びは何ができるのかというのが、先生からの問いかけです。

 

 

技術を使いこなすためでなく、試行錯誤を楽しむ授業

 

「情報I」の最初の授業で、先生は「情報科は、ときにはコンピュータを活用しながら、『情報の海』を乗りこなす力を身に付ける科目」ということを伝えていました。

 

特定の技術の移り変わりは激しいけれど、問題解決の姿勢、つまり試行錯誤する力は変わらない。特定の技術を使いこなす力は廃れてしまっても、試して動かす営みの流れは変わらない。そして「情報I」の通年の目標は、情報技術への不安感をなくして、試行錯誤を学ぶ(楽しむ)ことであったことが伝えられました。

 

 

「既存の技術そのものは一瞬で古くなる」ことの例として示されたのが、武善先生の初任当時(2013年)にはまだなかったものの一覧です。これには生徒たちの間からも驚きの声が漏れていました。

 

最後に、「情報I」の1年間のタイトルを並べた「学びの地図」を見て、印象に残った授業・おもしろかった授業のベスト3を各自選びます。観点は、「楽しかった」「役に立った」「大変だった」など何でもよい、として、各自で選んだ後3~4人のグループで選んだものや、その理由を話し合います。その後Google Formに「身に付いたこと」「考え方が変わったこと(新しく考えるようになったこと)」「授業以外の場で活用できていること」とともに投票して、クラス全体の結果を共有します。

 

共有した結果は、面白かった授業の票数については棒グラフで、「身に付いたこと」などの記述内容はテキストマイニングで表されました。

 

※クリックすると拡大します

 

このクラスでは、「22.イミテーションゲーム」「16.家具配置シミュレーション」「1.メディアリテラシー」など(→内容は後述)に票が集まっていました。

 

1年の学びを視覚的に振り返り、共有することで何を学んだのか、どのような成長があったのかを共有するとともに、今後情報技術とどのようにかかわっていくかを確認できる活動となりました。

 

 

 

■技術と人間の接点(最終回 後編)

「技術と人間の接点」の2時間目は、「テクノロジー(技術、情報)の進歩の先に人の幸せはあるか」がテーマです。

 

先生からは、前の授業とは逆に「人にやさしい技術」の発達で、社会が進歩し、生活の中に便利さがあふれる反面、「ロボットに仕事が奪われる」「悪用されたときのリスクの増大」など、その弊害に対する懸念が紹介されます。

 

 

そういった考えの根底には、心理的な嫌悪感があります。道具としてのテクノロジー、つまり便利になったものに取って代わられる恐怖は、産業革命時代のラッダイト運動に象徴されるように、今に始まったことではありません。

 

また、さらなる利便性や問題解決への期待を追求することは、人間の欲望や傲慢さを肥大させ、「人

に不寛容」な社会を生み出すことにつながる危険をはらんでいます。

 

ロボット、テクノロジーと人間が幸せに共存していくために、「人間とロボットの関係」「テクノロジーの進歩」を再考する必要がある、ということが示されます。

 

そこで、最近注目されているのが、「弱いロボット」(※2)や「温かいテクノロジー」(※3)です。「弱いロボット」は、「何でもできる」とは逆に、「これだけしかできない」「ココは苦手」という、苦手なことや不完全さを前面に出したロボットです。弱みを適度に見せることで、周りにいる人の強みや優しさ、つまり「何をしようとしているんだろう」「手伝ってあげなきゃ」という気持ちを引き出し、「テクノロジーの方が人間を必要とする」という関係性を作り出すのです。

 

※2 『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』

 

※3 『温かいテクノロジー』

 

この授業の「ゲスト」が、「愛されるためのテクノロジー」を搭載したLOVOT(ラボット:※4)の「ごまちゃん(武善先生の私物です)」。ちょっとした声に反応して目をぱちくりさせたり、よちよち歩いたりと、愛らしい姿や仕草に、生徒たちの目もくぎ付けです。

 

※4 LOVOT(ラボット)

 

 


 

ロボットの外見や機能が人間にだんだん近づくと、はじめは好意的に見られていたのが、ある時点で突然嫌悪感を覚えるようになる、という、いわゆる「不気味の谷」という現象があります。LOVOTにはこの現象を克服するために、多くの工夫が詰まっています。例えば、LOVOTの目はカメラであるだけでなく、感情を語るものでもあります。前回の授業で人と機械の関係性を考えたように、ロボットを開発することは、人間を知ることにも繋がるのです。

 

「もっともっと」と追い立てる不安で管理するのでなく、LOVOTのように機械と人間との間にあたたかい関係を築くことができるのも、また技術が作る幸せな未来でもあるのです。

 

 

「幸せ」な情報社会を考える

 

ここから、4人ずつのグループで「ポジティブな未来を想像(創造)しよう」ワークを行います。これは、日出学園のコミュニケーション・ディベートで2018年度に行われたワークを、改案したものでした。

 

まず、「科学技術の進歩の先にある将来に、どんな不安があるか」について、次に「科学技術の進歩

の先にあるポジティブな未来(これは、どんなに荒唐無稽でもよい)」についてグループ全員が意見

を出し合い、一通り話し合ったら、グループの代表者が出てきた意見を発表します。

 

このとき、グループにはペンギンのぬいぐるみ(これも武善先生のコレクションです)が1体ずつ配られ、このぬいぐるみを持っている人が話す、というルールにします。1つのテーマについて、ぬいぐるみを一巡させます。

 

これは「トーキングスティック法」というグループディスカッションの手法で、なかなか人前で発言できない人も、ぬいぐるみに話しかける形であればリラックスして話すことができ、また「誰が話者であるか」が明らかになることで、それぞれの意見が尊重されます。

 

番号札などでなく、かわいいぬいぐるみに触れることで、安心感を持って話すことにもなります。

 

 

どのグループも、和やかに話し合いが進みます。なかなかうまくまとめられなくても、ぬいぐるみをもてあそびながら話すことで気まずさがありません。

 

話し合いを進めながら、先生がごまちゃんを持って各グループを巡回します。手触り(ごまちゃんには体温もあります)や反応を楽しんでいますが、意見が途切れることはありません。リラックスしながら、集中して取り組んでいることが伝わってきます。

 

10分程度話し合った後、代表の生徒が2つのテーマについて、グループで出た意見を発表します。

 

「技術が進んだ将来に対する不安」としては、やはり「コンピュータに仕事を奪われること」「AIに管理される社会は嫌」といったものの他に、「全てコンピュータにやってもらうことで人間が成長しなくなる」「情報があふれて何が真実かわからなくなる」「悪用する人が出てくるのが怖い」といった意見が出ました。

 

一方で、「ポジティブな将来」については、「今できないこと・わからないことができるようになり、パフォーマンスが上がる」「人手不足の解消、人間にはできない仕事を任せられる」「1人1台ドラえもんが持てたらいい」といった意見があがりました。

 

また、「不安」として「3次元のアイドルがいなくなる」ことを挙げたのに対して、「2次元のキャラクターと仲良くなれる」という両面を挙げたグループもあり、見方の切り替えができていることを感じました。どのグループも、発表を譲り合ったり逡巡したりすることなく、自分たちの意見を自信を持って発表していることが印象的でした。

 

 

「技術もまた本質である」~問題解決のためではなく、その先へ

 

武善先生が「技術教育とは何か」について考えるきっかけになったのは、南極観測隊での経験でした。観測隊のメインの仕事は「観測」ですが、人間が自然を探索するときは、必ず技術を通してその要素を捉えます。つまり、未知の世界を切り拓いていくのは「技術」なのです。

 

 

南極観測隊の構成員は、研究部門だけでなく、実は全体の半分くらいは基地を維持する設営部門の方々で、医療や調理、通信などの専門家が、1~2人ずつ来られています。南極観測事業というのは、多くの技術と技術者が集まる、いわば「技術の結晶」です。そこから生まれるのが、「技術もまた、本質である」という言葉です。

 

 

コンピュータを単なる問題解決の道具と見ると、先ほどの話し合いの「技術が進んだ将来に対する不安」で出てきたように、コンピュータは人間と対立するものとなり、先の見えない情報社会の強者になるための生存競争をますます加速させることになってしまいます。

 

人間とコンピュータが共存し、幸せな未来を築いていくためには、コンピュータを(問題解決の)パートナーとすること。そして、試行錯誤こそ楽しいと思って付き合えること。「情報I」の1年間の授業が何を目指してきたのか。何を学べたのかが集約された授業でした。

 

 

 

[武善先生に聞きました]

 

■今回の前半の授業では、「情報I」の授業全体の振り返りをされていましたが、先生の授業の全体設計をお教えください。

 

再掲
再掲

 

1学期~「情報I」を学ぶ意味を伝える

 

「情報I」は、1年のフレーム設計が一番大事だと思います。例えばこれが数Iであれば、数と式をやって、2次関数をやって、三角比をやって…、と単元の並びに迷いもないかもしれませんが、「情報I」は何かしらの筋道を立てないと、次々に新しい変わったことをやっているだけになってしまうおそれがあります。ですから、授業全体のストーリーには一番こだわって作っています。

 

授業全体の、大体4割はホームルーム教室で行っています。特に、最初からコンピュータ教室で授業をすると、「情報=コンピュータ」というイメージを植え付けてしまいます。また、学習指導要領の通りに進めようとすると、最初は「情報とは」「メディアとは」ということから始まりますが、そのまま読むだけでは意味がわからない抽象論ばかりになってしまいます。そこで、最初にまず座学で「『情報Ⅰ』というのは、情報を読み取る力、発信する力を育てる科目なんだよ」ということをしっかり伝えます。

 

そして、3回目に初めてコンピュータを触ってみよう、ということで、コンピュータ教室でピクトグラムを作成します。学習指導要領の第1章には、中学の復習の意味も兼ねて著作権の話が入っていますが、このあたりも単体でやっても面白くありません。

授業では、自分たちが作ったピクトグラムを情報デザイン的な視点で見て、「全ての人に伝わるデザインになっていたか」を考えるとともに、「作った作品には著作権がある」「今度作りたいときはどういうフレームワークでやると素敵なものができるか(=発想法)」といった流れでつないでいます。

 

学習指導要領の第2章(「コミュニケーションと情報デザイン」)も、内容が多彩で、順番通りにメディアやコミュニケーションの歴史の話をして、2進法の話をして、その後で情報デザインの話をするとなると、どのように関連付けるか、すごく悩ましいところです。

 

そこで、先にピクトグラムでデザインにちょっと触っておいて、「じゃあ、皆が使ったコンピュータはどんな仕組みになっているかな」という流れで、2進法やデジタル化を扱っています。

 

ここでは、「どんどん社会が進歩していく中で、コンピュータで情報をうまく扱うことが不可欠になったから、その仕組みを学んでみよう」という位置づけにしています。

 

その後は「デジタル化」「情報デザイン」の総合実習としてhtmlによるWebページ作りを行います。そこから、Webで起きる事件として、炎上騒ぎなどからネットコミュニケーションの特徴(匿名性や記録性)、個人情報などの話につないで、1学期を終えます。

 

このように1章と2章は、教科書内容についてまず実習で触ってみて、仕組み・法規の理解を後追いするという形に組み替えて進めました。また、後で述べるようにhtmlをこの時期に行ったのは、2学期のプログラミングに非常に役立ちました。

 

 

2学期~コンピュータと徹底的に付き合う

 

2学期は徹底的にコンピュータを使います。「コンピュータはシミュレーションに非常に役に立つ」

という視点で、3章のプログラミングは、「モデル化とシミュレーション」の単元を先にやってから

行うことにしています。

 

プログラミングで一番大事なのは構造化ですが、いきなりPythonを読んだり書いたりさせようとし

ても、構造化が理解できていないと、生徒は何をやっているのかさっぱりわかりません。そこで、1

学期にhtmlを、おしゃれなページを作るためでなく、構造通りに作っていくことの練習として行っ

ておきました。これは非常に大きな効果がありました。

 

そして、プログラミングでは書くことよりもまず読めるようになることに重点を置き、「プログラミ

ングは国語なんだよ。構造を取って読めることが大事なんだよ」と繰り返しています。また、字下げは必ずtabキーを使うこと、実際にコードを書くときは、上から順にではなく、まとまりごとに書いていくことなどを実際に見せながら生徒に打たせるライブコーディングなども取り入れました。

 

その後、最近のコンピュータはさらに進化している、ということでChatGPTなど人工知能の話をして、さらにコンピュータ同士を接続すると最強だ、ということでネットワークやセキュリティの話をします。

 

このあとコンピュータを作った人にも興味を持ってもらうために、毎年「イミテーションゲーム」(※5)というA.チューリングを描いた映画見せています。チューリングの偉業を説明するのに合わせてJ.v.ノイマンの話をして、ハードウェアとソフトウェアの話につないでから、「皆にもチューリングのようになってもらうよ」と言って、論理回路の組み方を経験してコンピュータの歴史を追体験する、という流れにしています。

 

「イミテーションゲーム」は、先ほどの授業でも印象に残った生徒が多かったですね。図書室でも、関連書籍を展示してもらっています。

 

※5 「イミテーションゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」Wikipedia

 

 

3学期~データを扱うとともに社会とのつながりを見せる

 

3学期はデータ分析をやりますが、これだけでは結局コンピュータが道具になってしまうので、「社会を見せる」というところにつなぎます。ここでUI(ユーザインタフェース)とUX(ユーザイクスペリエンス)を扱うことで、「なるほど、社会を見るってこういうことか」ということで、社会の仕組みとしてデータベースを取り上げ、データサイエンスにつなぎ、最後が今回の「技術と人の接点」になります。

 

「情報Ⅰ」の1章にある「情報技術の発展」に関する話題は、「社会と情報」「情報の科学」でも、「情報技術の進展」として最終章に置かれていました。これを踏襲し、年間の冒頭でやっても、おそらく生徒には実感がわかないと思い、年間の最後に持ってきています。

 

第1章では、「情報技術の発展が全部集まって情報社会ができていること」や「『物』に加えて、目に見えない『情報』というものに価値があること」「この発見で世の中の仕組みや人類の営みが大きく変わり、知的財産権や情報セキュリティ、暗号化といったものが生まれたこと」等が盛りだくさんに扱われています。単に概要ではなく、自分たちが実際に学んできたことの位置づけを知るために、最後に置くのも収まりがよいかな、と思います。

  

 

■「情報」を「倫理」の視点から考える、というお話がおもしろかったです。

どのような建て付けになっているのでしょうか。

 

人工知能を研究することで「人間を知る」、という考え方があります。我々の認識の主体となっているのは「脳」ですが、人工知能(AI)と脳の研究は表裏一体で、人間の脳を見本にして人工知能が作られ、一方で人工知能から人間の脳の仕組みを考えていく、という関係がここにあります。

 

「人間とは何か」を探究する科目である「倫理」は、実は「情報」と非常に相性が良い科目なのです。教材の一覧の中では、2学期の「認知心理学」や「人工知能」の単元で、このことを扱います。授業では錯視の絵の知覚を通じて、人間を機械(≒コンピュータ)として捉える「認知心理学」の考え方を教えます。

 

他にも例えば、コンピュータの記憶の仕組みであるメモリvs.ストレージの関係性は、人間の脳の「記憶の二重貯蔵モデル(短期記憶vs.長期記憶)」(※6)と近い関係性にあると捉えることもできます。人間の記憶もシステムでできていて、その仕組みはコンピュータと一緒だね、ということから、機械は人間らしいところから一番離れているように見えますが、「実は人間と機械はすごく近い存在なのだ」ということに気づいてほしいのです。

 

※6 https://kagaku-jiten.com/cognitive-psychology/perception/long-term-and-short-term.html

 

「捉え方」の変革は本当に大切で、データ分析にしても、「仮説検定なんて、上げ足を取ってチマチマしたことをやって、性格悪っ!」と思っている生徒も多くて、そこにちゃんと回答を示してあげないと、単なるひねくれ者の科目になってしまいます。

 

以前、ある生徒は「この科目をやって、『何となく嫌』と言うのは失礼で、『ここがこうだからおかしい』というロジカルな疑い方を知れたのが良かった」というコメントを書いてくれました。ロジカルな物の見方を学ぶことは、性格を歪めることや人を悪く言うことに繋がるわけではない、という側面も授業では扱わないといけないな、とこの時に感じました。

 

「データサイエンス入門」の最後には「バイアス」の話をしています。情報Iのデータ分析は、相関を取って単回帰分析をするところまでで、バイアスは「情報Ⅱ」の内容ですが、その前のデータの収集・整理の手順に、実はバイアスが隠れていないか、と疑ってみることが大事だと思うからです。

 

そこでは、一見きれいに見えても実は偏りに溢れている広告やアンケートの集計を見せて、よく見るとおかしいところがいろいろあることに気づかせ、身近に潜むバイアスを自分たちで見つけて、自分の分析の結果を振り返る、という形で行っています。これによって、手法は正しくても誤った結論を導いてしまうことがあることに気づかせます。

 

ここでも、「246問題(※7)」のような認知バイアスの話をして、「気付けないことが悪い」のではなく、「人間であれば、気付けないことは自然である」ことを強調しています。

 

※7 https://statistics.calculator.jp/column/246/

 

 

■「問題解決だけでない情報科の授業」というお話が強く印象に残りました。

このような授業のデザインを考えられたきっかけを教えてください。

 

以前に担当していた生徒が、最後に「先生の授業は楽しかったけど、自分は何でも0・1で切り分けるという考え方が受け入れられなかった」と言ったことがありました。自分自身、0・1で切り分けられることが楽しくて、それを授業で伝えてきたのですが、それを窮屈に感じる生徒もいる、ということに、はっとさせられたのですね。

 

同様に、「情報Ⅰ」がコンピュータを使って問題解決をする科目だという点が強調され過ぎていると、窮屈に、不安に感じている生徒もいるのでは、という思いがあります。

 

自分が南極に派遣されたことで、「コンピュータは問題解決のためのツール」という考え方への違和感の正体がここにあったのか、と気づかされました。南極で様々な技術者の方と出会い、一緒に仕事をして、南極観測で使われてきた様々な技術の歴史に直に触れることで、「技術もまた本質である」ということを強く感じました。

 

無理に「問題解決のため」と結び付けなくても、情報技術やコンピュータサイエンスの知見そのものには、十分な価値があると思います。ですから、生徒たちには、授業でも「コンピュータはパートナー。仲良くなることが大事なんだよ」と伝えるようにしています。

 

 

[取材を終えて]

 

1年の総まとめの授業を見学できる機会はなかなかありません。今回、最終回の2回の授業を拝見し、合わせて年間の授業設計のフレームをうかがうことができたのは、たいへん貴重な経験でした。

 

共通テストへの「情報I」の導入を目前にして、「情報I」の「問題解決」の側面が注目されがちですが、「いずれコンピュータに仕事を奪われて支配されるのではないか」という不安を抱えたまま、ただ問題解決の道具としてコンピュータに向き合うことは、生徒達にとってはまさに不安で支配されることになってしまうかもしれないこと。それを回避するためには、授業設計全体でストーリーを作り上げる必要があることを、先生のお話で改めて感じました。

 

基本的には学習指導要領の流れを踏まえながら、認知心理学を取り入れたり、機械と人間との共通点を考えたりすることで、コンピュータをより身近なものと感じたり、技術の進歩を自分事としてとらえることができるような工夫がちりばめられた授業の流れは、生徒が自然にコンピュータと仲良くなり、コンピュータを使って何か楽しいことをやってみよう、という気持ちになれることを感じました。まさに、教科書(「新編情報I」東京書籍)の表紙に書かれたメッセージ「Expand your possibilities with Information Study」を体現しています。

 

情報技術は進歩が早いため、生徒達自身にもその変化が実感できます。進歩の裏側には、それを支える人がいることを実感することが、情報科の学びを「自分事」としてとらえることができるようになることがよくわかりました。

 

技術の進歩は、人にも機械にもやさしいものであるはず。我慢と根性論から進歩は生まれない、というお話は、情報科だけでなく、全ての学びに通じるものであることを感じています。