「情報教育課程の設計指針―初等教育から高等教育まで」をどのように活用するか

~新学習指導要領「情報I」の授業設計に向けて

「小中高を通したプログラミング教育」の新学習指導要領がスタート

2020年4月から小学校で新しい学習指導要領が施行され、小中高を通したプログラミング教育がいよいよスタートしました。

 

小学校では、算数や理科の教科活動の一部にプログラミングが取り入れられるほか、ローマ字入力のタイピングや、ファイルの保存や共有など、コンピュータの基本的な操作も身に付けていくことになります。授業以外でも、学校独自のカリキュラム・マネジメントによって、学校生活の様々な場面や行事でコンピュータが取り入れられることになります。

 

2021年度からは中学校の技術科で、現行の学習指導要領から質・量ともにさらに進んだプログラミングや情報モラルなどを学びます。そして2022年からは、いよいよ高校の共通教科「情報」で「情報I」がスタートします。

 

 

高等教育に目を向けると、2019年6月に政府がまとめた「AI戦略2019」で、Society 5.0を実現してSDGsに貢献していくための人材育成戦略として、2025年を目標に大学・高専卒業者50万人が、「数理・データサイエンス・AI」の初級レベルの能力を取得できるように、さらに、大学・高専卒業生の半分に当たる25万人は、自らの専門分野への応用基礎力を身に付けられることを目指す政策が打ち出されています。

 

さらに、データサイエンティストが「The Sexiest Job of the 21st Century」(“Harvard Business Review”2012年1月号)としてビジネス・産業界でも注目を集め、大学でも情報系、特にデータサイエンス系の学部・学科の新設が相次ぎ、志願者数も順調に増加しています。共通テストへの「情報」の導入が検討されるのも、この動きを受けた高大接続の流れの中にあると言えます。

 

 

小学校から大学専門教育まで、どこで・何を・どこまで学ぶか

 

しかし、情報学は歴史が浅く、新しい技術が日々どんどん入ってくるため、これまで発達段階に応じた体系化ができていない、という課題を抱えていました。例えばAIの利活用に向けて機械学習の基礎を学ぶ活動では、現段階では、極端に言えば中学生と大学生が同じようなことをしている、という場面もあります。また、習い事としての小中学生向けのプログラミング教室が人気を博し、ことプログラミングに関して言えば、生徒間の力の差が大きく、プログラミングに不慣れな大人顔負けの技術を持った子ども達も増えてきています。中学・高校と進むにつれてその差がどんどん広がって来ることも予想されます。

 

日本学術会議は、大学教育の分野別質保証に資するため、30の分野別委員会で、それぞれの分野の大学学士専門課程で教えるべき知識体系と、養成すべき能力を整理してリスト化し、大学がカリキュラムを作成する際に参照できるものを作る「参照基準」を編纂しました。

 

2018年3月に公表された「情報学の参照基準」(※1)では、「メタサイエンス(複数分野の科学に共通して必要な学問)としての情報学」を中核部分ととらえ、大学の学部レベルの専門教育は、この中核部分を中心にするのがふさわしい、という方針が示されました。

 

※1「情報学の参照指針」はこちらから

 

 

また、この「情報学の参照基準」には、「市民の一人一人が情報技術に関する知識を背景として、情報社会の制度や情報倫理に関する見識を有していることが望まれる。」ということも掲げられています。

 

ここで示された理念を具体化し、小学校から大学の教養課程、さらに専門の基礎教育としての情報教育までを体系化し、各年齢段階で情報学のうちから何を学ぶことが望まれるかを検討することで、「情報教育の共通のものさし」として一貫した形で整理したのが、2020年9月に公開された「情報教育課程の設計指針」です。

 

※2「情報教育課程の設計指針」はこちらから

 

 

「情報教育課程の設計指針」では、情報学の内容を以下の10の分野

A. 情報およびコンピュータの原理

B. 情報の整理と創造

C. モデル化とシミュレーション・最適化

D. データとその扱い

E. 計算モデル的思考

F. プログラムの活用と構築

G. コミュニケーションとメディアおよび協調作業

H. 情報社会・メディアと倫理・法・制度

I. 論理性と客観性

J. システム的思考

K. 問題解決

に分け、それぞれを

小学校(情報教育・他教科・教育全体)

中学校(同上)

高校(情報科の必修科目・情報科の選択科目・他教科・教育全体)

大学(共通教育の情報教育・共通教育の他教科・教育全体・専門分野別)

の段階別にどこまで学ぶことを目標とするかを示しています。広大な情報分野の学習体系を示す、わが国初の指針となっているのです。

 

情報教育の世界にも新たな教材やサービスが次々と生まれ、コロナ禍を機に、学習のスタイルも大きく変わりつつあります。その中で、各学校段階で何を身に付けさせる教育が必要か。そのために、この「設計指針」を具体的にどのように活用していけばよいか。

 

編纂にあたった萩谷昌己先生(日本学術会議情報学委員会 情報学教育分科会委員長/東京大学)と、久野靖先生(電気通信大学)にお話をうかがいました。

 

 

萩谷昌己先生(日本学術会議情報学委員会 情報学教育分科会委員長/東京大学)にお聞きしました

■「情報教育課程の設計指針」の編纂の経緯・目的をお教えください。

ご本人提供
ご本人提供

平成28年に公開した、「情報学分野の参照基準」では、情報学のみならず、学術全般の専門課程に対する、メタサイエンスとしての情報学の基礎教育の記述を行い、さらに、初等中等教育から大学の教養教育に至る教育課程における情報教育 について述べていました。

 

しかしそこでは、基本的な考え方のみを示しており、各教育段階におけるより詳細な情報教育の指針を与えることは重要な課題でした。

 

今回の報告「情報教育課程の設計指針」は、情報教育の共通の物差しとして、各学校等の教育現場において情報教育に携わる者、情報教育を設計・評価する者が、自らの学校段階の情報教育と隣接する学校段階や大学での専門分野における情報教育の関係について検討する際の指針として、また、情報教育全体 (もしくはその一部)を設計する者が体系化の手段として用いられることを期待します。

 

詳しくは、報告の冒頭に書いてある通りです。こちらもご参照ください。  

 

■「情報教育の参照基準」を今回の「情報教育課程の設計指針」として公表するにあたって、変更された部分はあるでしょうか。また、その背景にはどのような経緯があったのでしょうか。

 

内容に関する変更はありませんが、この報告の位置づけを明確にするためにタイトルが変わり、「参照基準」という語がなくなりました。

 

簡単にいえば、参照基準は各学術分野の理想像を書いたものであったのに対して、この報告は、実用文書と位置付けられます。そのことを明確にするため、査読過程でタイトルが変更されました。

 

この趣旨は、報告では、「参照基準が情報学の理想像を志向しているのに対して、本報告は現行の教育課程 に基づいており、情報教育に携わる者が活用できる現実的で具体的な指針を示している。」と示されています。

 

 

■小中学校ではまだ実際にプログラミング教育が始まっていない時期に作られていますが、各発達段階で学ぶべき知識・スキルはどのように策定されたのでしょうか。参照された基準や体系があれば、教えてください。

 

今回の報告には、下記のように記しています。

 

検討の土台としては、専門課程としての情報学の内容・範囲を示す文書である 「参照基準」、および、学士課程に共通する知識・理解・スキル・態度・志向性 を示した文書である「学士課程教育の構築に向けて(答申)(※1:以下「学士力」 と記す)を用い。このほか、初等中等教育・幼児教育の各学校段階については 文部科学省が公開している20172018年告示学習指導要領(※2)(※3)(※4)(幼稚園に あたっては教育要領※5)ならびにその解説を参照した。

 

高等学校「情報」学習 指導要領解説は※6にある。またその考え方については※7を参考にした。各国の 情報教育との比較やわが国の情報教育体系の検討については※8、※9を参考とした。

 

  ※1 中央教育審議会, 学士課程教育の構築に向けて(答申), 2008.12.

  ※2 文部科学省, 小学校学習指導要領, 2017.3.

  ※3 文部科学省, 中学校学習指導要領, 2017.3.

  ※4 文部科学省, 高等学校学習指導要領, 2018.3.

  ※5 文部科学省, 幼稚園教育要領, 2017.3.

  ※6 文部科学省, 高等学校学習指導要領解説情報編, 2018.7.

  ※7 鹿野利春, 学習指導要領の改訂と共通教科情報科, 情報処理, vol. 58, no. 7, pp. 626 - 629, 2017.6.

  ※8 Yasushi Kuno, Ben Tsutom Wada, Yasuichi Nakayama, Takeo Tatsumi, Eriko Uematsu, 

          K12 IT Education in Japan: Current Status and Future Directions, The 23rd IFIP World Computer

          Congress, IT Education Forum (K-12), pp. 37 - 44, 2015.10.

  ※9 久野靖, 和田勉, 中山泰一, 辰己丈夫, 上松恵理子, わが国の初等中等情報教 育: 現状と将来に向けた目標体系の

         提案, 日本ソフトウェア科学会第 32 回大会 論文集, rePiT2-1, 2015.9.

 

 

「学士力」では、学士課程共通の学習成果に関する参考指針として、

 Ⅰ.知識・理解、 

 Ⅱ.ジェネリックスキル(汎用的技能)

 Ⅲ.態度・志向性

 Ⅳ.総合的な学習経験と 創造的思考力

の4分類を挙げていますが、これらには、

 (1)Ⅰの知識・理解については、(当然ながら)情報学に関する具体的な記載がない。

 (2)Ⅱ~Ⅲについても、専門教育までを 含んだ学士取得時の水準について言及するものであり、本報告が対象とする大学 普遍教育・専門基礎教育・普遍的事項の教育と範囲が異なる。

という問題点があります。

 

したがって、これら4分類を本報告の目的に照らして活用しようとした場合、(1)と(2)の2つの問題点に対応する必要があります。

 

そこで、

(1)については、「参照基準」からすべての大学生が学ぶべきだと考える情報学 の内容を取り入れました。

(2)については、やはり「参照基準」をもとに、学士として社会に出た段階で、専門分野に関わらず共通に必要とされる水準までを、普遍的事項として学ぶ内容に含める形で対応しました。

 

つまり、学士力を最終目標として、学習指導要領等をもとに、高校・中学校・小学校の内容を定めていきました。

 

 

 

■この設計指針の編纂の過程で、AI・データサイエンスへの注目や期待が急に高まってきました。編纂の過程で影響を受けた部分はあるでしょうか。あるとすれば、具体的にどのような部分かをご教示ください。

 

特に影響は受けていません。なぜなら、編纂当初からデータの扱いについては含まれていたからです。編纂の途中で、特に拡大したり強調したりすることはありませんでした。

 

たとえば、データサイエンスに関係の深いのは、「B. 情報の整理と創造」と「D. データとその扱い」の「D3 データの統計的・人工知能技術による扱いの知識・理解。(知識:情報一般)、(知識:機械情報)」では、

 

L1: 平均・分散・中央値・四分位数など基本的な統計量が分かる。(高校・必修)

L2: ヒストグラムや散布図などの視覚化とそれに基づく検討が分かる。(高校・必修)

L3: データマイニングの考え方や基本的な手順が分かる。(高校・選択)

L4: 機械学習など人工知能技術により何が可能になるかが分かる。(大学・情報教育)

 

となっています。

 

 

■今後小中学校の1人1台の端末環境が整備されることで、特に高校段階でのレベル感・位置づけが

大きく変わってくる領域があるとすれば何でしょうか。逆に、大きく変わらないものは何でしょうか。

 

1人1台の端末環境は、情報分野だけなく、すべての教科に影響を与えます。それが高校まで波及すれば、当然ながら、情報科にも影響を与えます。

 

特に演習のやり方は大きく変わり、たとえば従来のコンピュータ室での演習ではなく、通常の教室での講義を交えながらの演習が可能となります。

 

また、家庭への持ち帰りが可能になれば、家庭での学習が大きく変わります。ただし、情報科で学ぶ内容は変わりません。学習指導要領は、そのような学習方法には影響されないように普遍的に定義されていると思います。

 

 

■萩谷先生から先生から、高校の先生方へのメッセージをお願いいたします。

 

学習指導要領の内容は盛りだくさんになっていますが、基本的なところは、データ分析を除いて、大きくかわっていないと思います。現行の社会と情報および情報の科学を踏まえて、データ分析のところだけ、特に統計について大学での学習を復習していただければ、決して恐れるものではありません。

 

 

久野靖先生(電気通信大学)にお聞きしました

情報処理学会第81回全国大会より
情報処理学会第81回全国大会より

まず、「情報教育課程の設計指針」はもともと個別の指導要領よりも長いスパンで、しかも小学校〜大学の範囲でカリキュラムを考えているものであることを御承知置きください。

 

ですので、今回の高校の指導要領改訂に当てはめて読もうとしても、もちろん大枠はカバーされるとしても、細かい所はあまり触れられていないということになるかと思います。

 

■高校・大学の接続部分で、特に高校卒業までに身に付けておくべきことは何でしょうか。また、それは、この「設計指針」で言えば、本来どこが担うべきところでしょうか。

 

「設計指針」を構築してわかった事は、大学までに身に付けておくべき知識は膨大にあるということです。たとえば「A 情報およびコンピュータの原理」だけでも、「A1 L3 様々な情報表現」、「A2 L2 コンピュータとプログラム、デジタル情報の関係」、「A3 L3 ネットワーク プロトコルの原理」、「A4 L3 暗号などセキュリテイ技術の原理」、「A5 L4 センサーによる自動制御(これは中学ぶん)」が大学の前に必要となっています。

 

どの一つも、大学まで待っていては大学のカリキュラムがパンクするでしょう。そういうものがA〜Kの11分野にまたがって詰まっています。つまりそういう膨大なものをリストアップするのが「設計指針」の役割です。

 

 

■特に高校段階で、数学等、他教科とある程度重複する分野としても、情報科でなければ学べないことは何でしょうか。

 

「設計指針」を見ると、プログラム部分がわずかなのにびっくりします。Aについては上で触れましたが、「B 情報の整理と創造」では、「B1 L3 KJ法など情報の整理」、「B2 L2 信頼性や矛盾」、「B3 L3 信頼性の担保」、「B4 L4 適切な構造・メディアのコンテンツ」、「B4 L2 自分の記録の活用」という具合で、他教科とも関係はあっても、情報で扱うのが適切なものばかりです。他のカテゴリも同様です。

 

 

■高校入学時に、中学校できちんと学んで来なかった生徒に対して、「情報I」の内容を習得するためにまずフォローすべき点は何でしょうか。

 

これは「設計指針」と関係なく「プログラム」ではないでしょうか。上記の2つの内容について挙げたものも、プログラムができて初めてわかるというものが多いとおもいます。

 

 

■高校の情報科の先生に、この「設計指針」で特に活用してほしい・参考にしてほしい部分を教えてください。

 

高校のカリキュラムを単独で読んでいると他の学校種とのつながりがわからなくなりがちです。そのような時に、この「設計指針」を参考にしていただければと思います。

 

 

■高校の先生方へのメッセージをお願いいたします。

 

先生方には、大幅に変わったカリキュラムへの対応、大変お疲れ様です。変わったところ全てを詳細にフォローすることは、内容の多さを考えると容易ではありません。

 

私からおすすめしたい方法は、年ごとに「重点をおく箇所」を自分で選び、その範囲について重点的に教材研究することです。その際、設計指針はその箇所が周辺領域とどう関連するかを知る手がかりとなるものと思います。